金元弼先生のみ言。
今回は、「心情世界での自由人」です。
☆
それから先生は、必ず週に一回は説教することによって、
宗教指導者としての資格を維持してこられました。
いろいろと他のことをたくさんやっておられても、
週に一回は必ず説教をされます。
指導者がそういう立場を保つと、
霊界が協助するようになっているというのです。
そして私たちは特に、霊界と天のお父様と真の父母と、
いかに関係を保つか、これが一番重要です。
何をしても、どんな仕事をしていても、
いつでも天のお父様といかに心情的な関係を保つかです。
これは各個人が研究してやるべきです。
これがないと、根がなくなってしまったのと同じです。
根がないと栄養分が入ってこないのです。
私たちの根は、神と真の父母です。
ですからいかにこの関係を保つかです。
これが保たれれば、いつも生き生きとして生命力が保たれますが、
これが断たれると、生命力がなくなってしまうのです。
そして心情世界で自由になれる人、心情世界を自由に往来できる人、
どこでも私たちが心情的に交流できる人、
そういう人を多くもつことが大事であるというのです。
☆
遅かれ、早かれ一度はみな霊界に行くのです。
その霊界で、いかに自由な人になれるかです。
神の子とは自由な人です。
霊界に行って完全な自由をもっていないと、神の子と言えないのです。
この世界は神の子のために造られましたから、
結局、神の子になれば、どこに行っても自由な立場に立てるようになるのです。
特に霊界に行ってはそうなのです。
しかし、霊界に行って自由な立場に立つためには、
この地上において、その自由な立場を経験し、
そういう基盤をもたなければだめなのです。
その自由な立場とは何かというと、
それはもちろん肉体の自由もありますが、
大切なのは心情的な自由です。
心情的にいかに、だれとでも交流できる立場をもつかです。
☆
ですからこの地上において、多くの人と交流できる心情圏の広い人が、
霊界に行っても広い領土をもつようになるのです。
昔も領主は広い領土をもちたかったものです。
それは何かというと、心情圏の広さを意味するのです。
そういう心情基盤をこの地上でつくった人が霊界に行けば、
そのくらいの広さを、自由にどこへでも行ける立場に立つのです。
つまり地上で生活したその心情圏が、
そのまま霊界の心情圏になるわけです。
地上で、こういう人とは交流できるけど、
ああいう人とは全然だめだ、これではだめなのです。
どういう人とでも付き合える、どういう人とでも心情的に交流できる、
そういう心情の広さをもたなければ、霊界に行っても、
限られた分野にしか行けないのです。
ですから地上で、360度どこにでも通じる心情をもった人にいかにしてなるか、
これが信仰生活において一番重要なことになるのです。
そうするために、神の心情をもたなければならないのです。
☆
人間の個人的な心情をもっては、いかにしてもそうできないのです。
神は広いのです。
すべての人は神の子女ですから、神はすべての人の前にお父様です。
ですから父母というものは、自分の子女と通じるのです。
子女が父母を知らない場合はあっても、
父母は自分の子女がかわいいし、そのすべてを愛するのです。
そして全人類に対してその心情をもった方が天のお父様ですから、
天のお父様が一番心情が広いわけです。
すべて神が造ったものだから、神はどこでも通じないところがないわけです。
私たちはそういう神の子ですから、そういう神に似て、
だれとでも、どこでも心情が通じることができる、
そういう人になることが大事です。
☆
時々、センター(教会の寮)の中で生活できない食口がいます。
一人でアパートに生活し、人と一緒にいられないという人、それはだめです。
そういう人は霊界に行ってもそうですから、地獄に行くしか道がないのです。
ですから、私たちの教会は本当に幸福だというのです。
新しい食口も一緒にセンターに住むし、
また、他の所に行ったり、来たりします。
いろいろな環境を経験できていいのです。
どこでも適合していける広い心情をもった人、
いかにそういう人になるかです。
アメリカに行っても、韓国に行っても、ドイツに行っても、
どこに行っても通じる広い心情圏を、いかにつくるかです。
天国創建のために
1986年4月4〜7日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
1986年4月4〜7日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
☆
私たちの根である、天の父母様、真の父母様に通じることができれば、
全てに通じることができる、ということだと思います。
昔は、ホーム生活を通して、いろんなタイプの人に出会いました。
そういう人たちとの交わりも、訓練期間だということですね。。。
今は、教会での兄弟姉妹との交わり、
そして、なんといっても伝道を通して、
霊の子女を愛することが、
心情を広くさせ、深くする道であると感じます。
不定期に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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