金元弼(ウォンピル)先生の講話、
今日は『天国創建のために』の4回目、
「他の人を救うために」です。
☆
子供はみな、父母から学びますから、子供に問題があれば、
結局、父母に問題があるということになるのです。
父母が苦しみ、いろいろ解決できない問題があれば、
必ず、子女がそれで苦しみます。
子女にそういう苦痛を与えない父母になるためには、
どうしたらいいかということを考えなければなりません。
☆
それは、強制的にやる方法もありますし、
何とかして説得してやる方法もありますが、
とにかく祝福家庭はすべて、神が願う家庭として
成長するようにしていかなければだめなのです。
ですから「死ね」と言うのではなく、
「生きながらやりなさい」と言うのです。
家庭生活をしながら、神のみ旨をやるように、ということです。
この調和が難しいのです。
心情的に幼いと、この調和ができないのです。
☆
ある人は、一回に二つの仕事をすると、
頭がこんがらがって何もできないという人がいます。
これと同じです。
自分が家庭生活をしながらみ旨をやるという、
二つの仕事を一緒にしなければだめです。
そういう訓練をしなければなりません。
ですから私たちは自分のことを一生懸命にやるだけで
良いとは言えないのです。
自分のことをやるのは当たり前のことであって、
次に自分の隣の人を生かすことまでしないと、
責任を全うしたとは言えないのです。
☆
先生が今までやってこられた、先生個人として完成するということ、
それはもちろん最小の目標です。
そして、先生が家庭を完成させるということも、それが最終の目標ではないのです。
個人を完成し、家庭を完成する目標は、
結局、世界の人々を救うことが目標です。
自分の個性完成、自分の家庭完成、これはまだ易しいのです。
しかし、いかにして他の人を完成させるか、これはもっと難しいことです。
自分のことは自分でやれるからいいけれども、
他の人のことは自分でやれないのです。
ですから助けてあげて、その人ができるようにしなければなりません。
他の人を完成させて、他の家庭を完成させるようにすること、
これは最も難しいのです。
☆
だからこそ先生は、それをまたしてこられたわけなのです。
私たちも同じです。
自分の完成だけが問題ではなくて、家庭完成をしながら、
隣の人をいかにして個人完成させ、家庭完成させるかです。
これをやって初めて、私たちの使命は全うされるのです。
☆
私たちがみ言を語るのも、説教をするのも、すべてそのためです。
人に聞かせて、その人がそのようにするためにやるのです。
このように、人を生かすことが神の願いです。
神が私たちを救ったのも、私たち個人の救いが目的ではないのです。
私たちを通して、次の人を救うことが目的なのです。
私たちはたいていそれを忘れているのです。
キリスト教もみな、自分だけの完成、個人の救援で終わりです。
しかし私たちは、隣の人を導くことがいかに難しいかを知って、
それをやらなければいけません。
これをやって初めて私たちは、
自分の目的、目標、責任分担が完遂されるというのです。
ですから模範を示すことが責任分担です。
模範を示しながら、他の人がそれについて行けるようにすることです。
その両方をして初めて、責任を全うできるというのです。
これをはっきり知っておくべきです。
天国創建のために
1986年4月4〜7日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
1986年4月4〜7日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
☆
私たちの団体は、世界基督教統一神霊協会から、
世界平和統一家庭連合に名称変更しました。
ただ名称を変えただけでなく、
私たち自身も意識と行動を
はっきりと変えないといけない立場です。
私の家庭完成は、もちろんのこと、
伝道する人たちに対して、
家庭完成を成していくこと。。。
昔から言われてきたことではありますが、
今は、本当にそういう時代であることを
はっきりと認識していかないといけないのだと思います。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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