金元弼先生のみ言
「天国創建のために」から
続編です。
☆
すべての問題は自分自身の不足から
すべての問題は自分自身の不足から
そして今、私たちは人材が少なく、経済的にもとても難しく、
社会的にもいろいろと反対を受けています。
しかしそれに対して最も問題なのは、私たち自身がまだ完成していないし、
訓練を受けていないということです。
伝道をして人が増えれば、人員不足も、経済問題も解決でき、
社会的な評価も変えることができます。
しかしこの四番目の自分自身の不足とか、幼い点は、
他のだれも解決することができないのです。
そしてまた、そうであれば伝道ができないのです。
ですから結局、今の私たちのすべての問題点は、
私たち自身の不足にあるといえるのです。
私たちが足らない分野が多いから、
結局はすべてできないと言えるわけです。
ですから他の人を非難する理由は何もないのです。
問題は私たちにあるのです。
ですから、この問題をいかに解決するかです。
これを解決することが、結局は
すべての問題を解決する道に通じるのです。
☆
私たちはゲストをたくさん教会に連れてくることができますが、
なかなかそれが結実しないのです。
つながって来るのに、どうして結実することができないのかというのです。
これもやはり、私たちに何かが足りないからであるということです。
人格的な面において足りないとか、真理を知る面で足りないとかです。
霊的な力がないとか、伝道の方法がまずいとか、人を養成する、
育てる力が足りないとかいろいろあります。
お祈りが足りないとか愛がないとか、いろいろな問題を
私たちはこれから解決していかなくてはだめなのです。
☆
私たちが人格的に引っ張ることができるような人間になって、難しい神の心情を知って、
本当に神が伝えたいことを自由に伝えることができる人になっていれば、
相手が早く理解し、納得していくはずです。
しかし、それができないと、いくら話しても何か足りないのです。
霊的にいろいろと問題があれば、私たちが霊的に強くなって、
善霊が働けるようにしてあげればいいのに、それができない場合があります。
伝達の方法や、その技術も同じです。
ですからこういう問題は、私たちがこれから何としても改善すべき問題であるというのです。
☆
教会が天国になっているか
教会が天国になっているか
いつも先生が言われることですが、私たちが天国生活をすれば
人は自然に集まってくるのです。
教会が本当に天国になっていれば、
別に伝道をしなくても、伝道はできるというのです。
ですから、私たちの教会が天国になっているかどうか、これが問題です。
教会の中で兄弟姉妹がけんかしたり、お互いに恨みをもっていたりでは、
絶対に伝道はできないのです。
今まで伝道ができなかった理由は、結局はそこにあるのです。
恨みのある所には神が働くはずがないのです。
ですから、それをいかに解決させるか、解除させるかです。
その考えを直さなければだめです。
☆
教会の雰囲気を天国の雰囲気にすることです。
天国をつくるには、神が共におられる環境をつくらなければなりません。
霊的にきれいでなくてはだめです。
霊的にいろいろと問題があれば、いくら神に祈ったとしても、決して神は来られないのです。
ですから霊的に掃除をしなければいけません。
そしてまず、いつも言うように神の心情を知り、お互いに協助し合い、
お互いに理解し合うのです。
お互いに和睦する、そういう精神が必要です。
☆
私たちはまた、伝道がいかに難しいかということをよく知っています。
一人を伝道するためにどれくらい時間がかかり、どれくらいお祈りをし、
真心を尽くさなければいけないか、ということをよく知っているのです。
ところが、いったん教会に入った後には、その価値をすっと忘れてしまうのです。
ですから伝道には一生懸命だけれど、兄弟関係にはあまり時間を使わないのです。
それはなぜかというと、兄弟の価値を知っていないということです。
ですから、兄弟の価値を本当に知ることです。
そのうえで、お互いが信頼できる関係をつくることです。
信頼関係、信頼するということ。
これも、言葉は簡単ですけれど、信頼を受け、信頼するためには、
お互いに信頼できる生活をしなければだめです。
それはお互いが問題です。
信頼する人も問題だし、信頼を受ける人も問題です。
信頼する人は、その相手を理解して愛する、そういう心をもつようにすればいいのです。
しかし、それだけではだめです。
信頼を受ける側はまた、信頼されるにふさわしい内容をもたないとだめです。
それがすなわち愛と美です。
信頼を受けられる内容が美です。
信頼をするのが愛です。
愛と美が、一つにならなければだめなのです。
天国創建のために
1986年4月4〜7日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
1986年4月4〜7日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
☆
もう30年も前に語られたみ言なのに、
今にも通じてしまうような内容に、
申し訳なさを感じます。。。
人の批判はいくらしたとしても、
また、アベルの批判はしたとしても、
「それなら、あなたはどうなのですか?」
と問い尋ねられたら、正直に自信をもって
即答できる人はいないのではないかと思います。
何よりも父母様が願われているのが、「神氏族メシヤ」
なのですから、そこに突き進む以外に、
証しを立てることはできないのではないかと思うのです。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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