2017年09月28日

祈りはすぐには叶わない?! お父様は神の声を聴いているのか?! 《元弼先生》天国6



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「お父様はいつも神の声を聴いているんだろうか」
そのことを質問した人がいます。
お父様の答えは?──

まずは、金元弼先生のみ言の続き、
今回は「祈りについて」の貴重な内容です。
また「祈り」つながりで、その後にお父様の証しをご紹介します。



祈りについて


皆さんはどのようなお祈りをしますか? 

祝福を受けた人は愛天燭を持っていますね。
真の父と真の母の二つのろうそくです。
それは夫婦のろうそくです。
それをともしてお祈りをするのです。
分かりますね。

それは家庭をまだ出発していなくてもやるのです。
二人が祝福を保っている場合は、
必ず愛天燭をともしてお祈りするようにします。

お祈りの時間は神と話す時間です。
神に対して、いろいろ自分の考えていることを伝え、
そしてまた、神の考えをしのびながら、お祈りをするのです。

もちろん特別なことがあってお祈りをする場合もありますが、
全体としては、神の心情をいかにつかむか、その努力です。

そして神に対して、また自分が願うことを伝えるのです。
ですから皆さん、自分の願いがはっきりしていなければだめです。

ですから神に何を願うか、何が自分に一番大切なものであるか、
それを一度紙に書いてみるのです。
そして検討してみるのです。
これでいいかどうか、いろいろ考えて検討してみて、
明確にして、それを祈るのです。

ただ、思い浮かぶまま祈るのではないのです。
それを明確にしておいて、それを祈り、
そのあとに他のものを付け加えて祈るのです。

ですから祈りは、一回だけではないのです。
たいてい祈りというものは、一回、二回祈って、
その実りが来るのではないのです。
何年間も祈らなければ、結果は来ないのです。
それが祈りです。

きょう祈ったからあすは何かある、そんなことはないのです。
ですから自分がこれから何年間も継続して祈る
祈りの内容を考えて、研究をするのです。
まず明確にして、それから、いつもそれを祈るのです。

それが基本のお祈りで、その次に、その時その時に合った
違うお祈りもあるはずですが、それは付け加えて祈るのです。

みな立場が違いますから、自分の立場において、
何が一番適したお祈りであるか、自分が考えなくてはだめです。
そして長い間、いろいろお祈りをしながらやってみるのです。
そしてそれを補充しながら、その基本の祈りの型をつくるのです。
それは自分自身のものです。

私たちは習慣的にご飯を食べますが、同じく、
お祈りというものも習慣的にやるのです。

そうかといって、お祈りをする心もないのに、
そのまま習慣的にやるという意味ではありません。
私たちが食べなければ生きていけないように、
お祈りがそれくらい必要だというものにならなくてはだめです。

天国創建のために 
1986年4月4〜7日 
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)



昔は愛天燭や心情のろうそくというものもありました。
今は真の父母様から、天一国聖燭を伝授して頂いていますね。

ろうそくというのは、父母様が祈られた
その心情そのものとも言えるかもしれません。
それを貴重な火種として、
同じ心情圏、天の父母様と通じる境地に行くのが
祈りの目的ではないでしょうか。


さて、先日、教区の伝道部長と授受していた時に、
お父様の証しを聞きました。

「みんなお父様は、いつも神様の声を聴いていると思うでしょう?
実は、ある食口がそのことを質問したそうです。
そうしたら、お父様はこう答えられました。

『いつも神様の声を聴いているんじゃないんだ。
神様を感じるんだよ』

だから、お父様は、良心の声に耳を傾けていると思うんです。
個性完成の基準が良心の完成です。

お父様は本心のことを良心と呼びますが、
良心の絶対的な基準を高めていくこと。
このことが何よりも重要です」



なるほど、そのような祈りを通して
自分の思いではなく、良心の声を聴いていく、
そうしていけば、良心が高まるということでしょう。

食べること以上に必要だ、と言われる祈祷。
ご父母様の心情圏、神様を感じる境地に至りたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 09:44 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする