日本家庭連合創立58周年、おめでとうございます。
さて、初めて日本で礼拝が行われたという
1959年10月2日は、実は金曜日だったといいます。
なぜ、日曜日ではなかったのか、増田先生が語られています。
☆
創立記念日について
創立記念日について
真のお父様が、1941年4月1日に日本留学のために来日され、帰国された
1913年10月以来、日本に神のみ旨を果たすことのできる拠点が無かった。
2000年のある日、40数年ぶりに
日本統一教会で最初の礼拝をささげられた「雄鶏舎」を再訪した。
その場所は、真のお父様が日本留学時代に下宿された三橋家から、
驚くことに徒歩5分の距離にあった。
西川勝先生は、真のお父様の下宿時代の事情を全く
何も知らずに最初の教会を定めた。
「雄鶏舎」の跡地の前通りは、真のお父様が日本留学時代に毎日のように
通われたであろうことは、容易に推察できる場所である。
その「雄鶏舎」のあった場所は、留学時代に
真のお父様の祈祷の中に記憶されていた空間でもあったことが分かる。
このように考えると、時も場所も、み旨が成就されるのは、
真の祈りの土台の上であることが理解できる。
☆
日本統一教会の創立記念礼拝が行われたのは、1959年10月2日である。
創立記念日を調べると、10月2日は金曜日であり、
午後7時15分から30分間、わずか4人だけでの礼拝であった。
ここで疑問が残る。
後々のことも考えたであろう創立記念礼拝を、
なぜ2日後の10月4日の日曜日にしなかったのか。
また、記憶しやすいと思われる10月1日ではなかったのかということである。
2003年10月下旬のある日、西川先生と二十数年ぶりに日本で再会した。
その時、「雄鶏舎」で挙行された「最初の礼拝」(日本統一教会の創立記念礼拝)
について尋ねる機会に恵まれた。
そのとき、西川先生は多くは語ってくださらなかったが、私の心を刺した言葉がある。
それは、「10月2日(金)に創立したのは、
月も日も時刻も、自分の自由にはならなかったからである」
と語られたことである。
礼拝に参加した数人のかたたちの事情に合わせるより、ほかに方法がなかったという。
西川先生の気質を誰よりもよく知っている私には、
涙なくしては聞くことのできない言葉であった。
☆
上の写真は、最初の礼拝のものではありません。
場所も「雄鶏舎」ではなく、新大久保です。
その時の写真は、残っていませんし、
食口の事情に合わせて、金曜日になったとのことですが、
それでも、日本統一教会史上、最初の礼拝が行われたということは、
天の父母様の記憶に残るものであるはずです。
どれほど神と父母が喜ばれたことだろうかと思います。
もしかして、それは西川先生の思いを越えた
天の計らいがあったりするかもしれません。
さらに、礼拝を捧げられた場所が、
早稲田の地、お父様が下宿しておられた地、
そのことを西川先生はご存知なかったというのですから、
天の摂理は奧妙であると言わざるを得ません。
この10月2日という日は、日本の家庭連合史においては、
とても貴重な日となりました。
今日は、松濤本部で、記念式典が開催され
功労者の表彰などがされているとのことです。
改めて、心からお祝い申し上げます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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