2017年10月10日

韓国を死守した3年開拓伝道、婦人たちはどうして出発できたのか?! 《金元弼先生》



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今回は、金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
『目に見えないものを大切にする心』を紹介します。
今日は1回目、奥様である鄭達玉(チョン タルオク)先生の証しです。


本来、私の家内も一緒にここへ来る予定でしたが、
長い間眠らずに赴任のための準備をしていて、相当体をこわしたので、
同席できなかったことをお許しください。
家内は体が弱いのです。



3年間の開拓伝道

1970年、3年間の開拓があり、777家庭以上、
36家庭に至るまでの祝福家庭が参加しました。

そのころの36家庭、72家庭、124家庭では子供も生まれ、
その数が4、5人と増えていましたし、
777家庭は祝福されて間もない時でした。

そういう中で奥さんたちが全部動員されますから、
ご主人は子供たちの面倒を見ると同時に、
公的な仕事もしなければならない状況でした。
さらに、自分の奥さんが開拓で必要な食事代を月々、
送ってあげなければならないという事情でした。

ですから自分の親戚に子供を預けるか、
それができない人は孤児院に子供を預けなければならなかったのです。


文先生はこのようにいろいろな事情のある人を
全部動員するにはどうしたら良いかと、非常に考えられたようです。

そこで先生は、私の家内のことを考えられました。
当時家内は、体が弱いので病院に行ったり横になったりしていたのです。
ですから韓国の人たちは、家内は病気で寝ているから
どんなことがあっても出られないだろうと思っていました。

しかし先生は、36家庭の一番初めの者である家内に、
開拓に行くようお命じになりました。

先生は、家内に「開拓に出て死んだ場合はあなたの棺を造ってあげる」
とおっしゃり、開拓の先頭に立てられたのです。

先生がこういう覚悟で家内を出したので、
だれも「私は無理だ」と言う者がなく、
全体動員することができました。

家内は先生の願いにそって3年間、一日も休むことなくその位置を守り、
12名の霊の子女を立てて、勝利して帰ってきました。


このたびは寝られなかったので、きょうは食事もできずに寝ています。
家内が来られないので、私が代わって弁明の辞を述べた訳です。
これからはいつもお目にかかれることですからご了承ください。

1986年5月15日 ドイツ・フランクフルト本部教会
『目に見えないものを大切にする心』



祝福婦人の3年間開拓伝道、この精誠がなければ今日の私たちはない、
それほどに大切なものでした。

その当時、軍備を強めていた北朝鮮が韓国にいつ攻めてきてもおかしくない、
そんな危機的な状況だったといいます。
それが一番危惧されるのは、冬季に漢江が凍結した場合です。

開拓伝道に出た祝福婦人たちの精誠によって、
3年間、漢江が凍結することがなく、北朝鮮が攻めてこられなかった・・・
そのように聞いています。

その先頭を切ったのが、
金元弼先生の奥様だったということは、
今回、初めて知りました。

やはり、キリの先が重要なのだ、
一人の決意によって、
全てが動いていくのだな、
そのことを改めて感じました。

真の父母様が言われることは、
深い意味があるのだ、と今ならよくわかります。
いざという時は、私たちも信仰をもつ者として、
摂理に貢献していきたいと思いますし、
今与えられた使命・目標に対して死守していきたいと思うのです。

この講話の続きは、
明日以降にお伝えします。





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posted by ten1ko2 at 11:43 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする