今日の内容は、金元弼(ウォンピル)先生の
アベル・カイン講座といえるでしょうか。
「一つになりたい」あなた、必読の回、
「復帰摂理における上下関係」です。
☆
原理で学んでいるとおり、私たちは真の父母を同じ親として侍る子女たちです。
私たちは民族や言語、歴史的背景が違っていても、
同じ親をもつのですからどこに住んでいても、
どこの国籍をもっていても兄弟姉妹です。
ですから私は友達に「あなたにはどういう兄弟がいますか?」と聞かれたら、
「私はオーストリアに兄弟が、300人も、400人もいます」
と答えることができます。
もちろん、先生のこの地上における願いを達成するために
皆さんと手をつなぎ、心を一つにしてやっていくのですが、
私は、常に皆さんと兄弟姉妹であるということを心に銘じています。
☆
一方、神のみ旨を成すためには、上と下という関係が必要なのです。
この上と下という関係は、復帰摂理で知るように
カイン・アベルの蕩減の原則をもってなされています。
そのために、上と下という関係があるのですが、
常に真の父母の前においては兄弟姉妹です。
それを忘れてはなりません。
真の父母の前においては兄弟姉妹、しかし
み旨を達成していく時には、カイン・アベルの原則を通していくのです。
☆
このように、アベルに立った人は神の側に立った立場ですから、
私たちはその人を通していくという原則を貫いていかなくてはいけません。
すると、時には難しいこともあるのです。
アベルの立場にしても、カインの立場にしても難しさはあります。
アベルの正道を行くためには、カインを愛していかなければならないという
アベルの痛みもあれば、
アベルを通していかなければいけないというカインの悩みもあるのです。
その難しさ、内容においては、全く同じものです。
☆
アベルだけでは真の父母の前に出ることもできないし、
神の前に出ることもできません。
また、カインはアベルを通さないで、自分で真の父母を通し、
神の前に行くこともできません。
どんなことがあっても、私たちはカイン・アベルの一体化なくして、
真の父母の所へ行くことはできないのです。
ですから真の父母も、私たちを一つにせずしては
神の前に出ることができないということが分かります。
☆
私たちがこのように神の前に行くことができないとするならば、
永遠に神はお一人でいなければならないでしょう。
そうしたら神はどんなに悲しくなるでしょうか?
そういう悲しい神を見る真の父母はまた、どんなに悲しいでしょうか。
ゆえに私たちは、神の悲しみ、真の父母の悲しみを解放するにあたり、
お互いにどんなに難しいことがあっても、
何としても勝利していかなければならないのです
1986年5月18日 オーストリア教会
「理想の出発点は『ためにある』こと」
「理想の出発点は『ためにある』こと」
☆
アベルとカインの一体化、
今も昔も難しい課題です。
この問題が解決すれば、
すべての人間関係も解決するのではないか。。。
そう思うほどです。
アベルもカインも、
本来は、神様の子女ですので、
真の父母様の心情に通じていけば、
すなわち、ともに親の心情に立てば、
一つになることができると思います。
しかし、原理原則はそうであっても、
すなわち頭では理解できていても、
それを心情的に克服し、
実践していくのは、簡単ではありません。
歴史的な課題、民族的な課題、
血統的な課題、摂理的な課題など、
あげたらキリがありませんね。
だからこそ、勝利された
真の父母様と、心情的に一つになること、
まさに「ウリヌン・ハナダ」の精神をもって
歩みぬくことが重要なのではないかと思うのです。
また、私は、アベルでもあり、
カインでもあることを
決して忘れてはいけないとも思います。
ある意味、アベルが悪い、カインが悪い、
相手がどうだから、私が足りないから・・・
そんなことは、関係ないということですね。
天の父母様と真の父母様に免じて、
今一度、ただ一つになっていきたい、そう思うのです。
続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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