金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
最終回「理想の出発点」です。
☆
先生は、地方に、あるいはある国に教会員を送る時、
「その国を建国するために、また、その国が
繁栄するために苦労した功労のある愛国者が
たくさんいるでしょう。
あなたたちはその国に行ったら必ず、
その歴史的な愛国者よりも高い愛を
こ(そ)の国のために尽くしなさい」
と語っておられます。
☆
先生ご自身も1971年にアメリカの摂理を始められ、
アメリカ建国の時からその国を愛していただれよりも、
神の愛でその国民を、その国を愛する基準を立ててこられたのです。
たとえアメリカの国が、キリスト教が、先生をダンベリーに入れたとしても、
それでも先生は、アメリカのために、キリスト教の復興のために
祈り、尽くされました。
また莫大な投資をして、
その国を救うために全力を尽くしてこられたのです。
そういう愛を尽くした結果、キリスト教の牧師たちは、
先生がダンベリーから出られた時に涙しながら、
「自分たちの罪を許してください」と言って、先生を歓迎したのです。
それは皆さんもご存じのとおりです。
☆
神は理想を実現するにあたり、
「ためにあり」「ために生き」「ために存在する」、
そういうところに理想の出発点を置きました。
なぜかといいますと、神が神のために人間を造ったとするならば、
人間は神のためにあるのですから、神は幸せな神といえるでしょう。
しかし人間は、神のためにあるから幸せではないのです。
また人間は人間のためにあるとしたら、人間は幸せかもしれませんが、
神は幸せではないでしょう。
神も幸せであり、人間も幸せである、こうなれば
お互いが幸せであるから理想が始まるのです。
☆
そこで神は理想の出発点、幸福、平和、自由、すべての出発点を
「ためにある」というところに置いたのでした。
そうすれば、神は人間のためにありますから人間は幸せです。
そして人間も自分のためにではなく、
神のためにありますから神も幸せです。
ですから神も幸せだし、人間も幸せになるのです。
神は、理想の出発点を「ためにある」というところに置かれたということを、
私たちは忘れないようにしましょう。
1986年5月18日 オーストリア教会
「理想の出発点は『ためにある』こと」
一部編集、文責:ten1ko2
「理想の出発点は『ためにある』こと」
一部編集、文責:ten1ko2
☆
四大心情圏における子女の愛、
その延長線上にあるのが、愛国心です。
ですから、孝行の心情、
今、お母様が願われている孝情の心情を育むことが
愛国心につながっていくのだと思います。
日本は、お母様が母の国として、特別に意識してくださっています。
先週、日本においては、歴史的に重要な期間に、
滞在してくださったのも、とても意味があると思いますし、
お母様が意識する日本であるゆえに、
神様も守り、愛してくださっていることを感じます。
母の使命を果たしていけるように、
孝情の心情で、日本を愛し、
天の願いに応える歩みをしていきたいです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
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