2017年10月24日

歴史的愛国者以上に、誰よりも、この地、この国を愛する!! 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
最終回「理想の出発点」です。


先生は、地方に、あるいはある国に教会員を送る時、

「その国を建国するために、また、その国が
繁栄するために苦労した功労のある愛国者が
たくさんいるでしょう。
あなたたちはその国に行ったら必ず、
その歴史的な愛国者よりも高い愛を
こ(そ)の国のために尽くしなさい」


と語っておられます。


先生ご自身も1971年にアメリカの摂理を始められ、
アメリカ建国の時からその国を愛していただれよりも、
神の愛でその国民を、その国を愛する基準を立ててこられたのです。

たとえアメリカの国が、キリスト教が、先生をダンベリーに入れたとしても、
それでも先生は、アメリカのために、キリスト教の復興のために
祈り、尽くされました。
また莫大な投資をして、
その国を救うために全力を尽くしてこられたのです。

そういう愛を尽くした結果、キリスト教の牧師たちは、
先生がダンベリーから出られた時に涙しながら、
「自分たちの罪を許してください」と言って、先生を歓迎したのです。
それは皆さんもご存じのとおりです。


神は理想を実現するにあたり、
「ためにあり」「ために生き」「ために存在する」、
そういうところに理想の出発点を置きました。

なぜかといいますと、神が神のために人間を造ったとするならば、
人間は神のためにあるのですから、神は幸せな神といえるでしょう。
しかし人間は、神のためにあるから幸せではないのです。
また人間は人間のためにあるとしたら、人間は幸せかもしれませんが、
神は幸せではないでしょう。

神も幸せであり、人間も幸せである、こうなれば
お互いが幸せであるから理想が始まるのです。


そこで神は理想の出発点、幸福、平和、自由、すべての出発点を
「ためにある」というところに置いたのでした。

そうすれば、神は人間のためにありますから人間は幸せです。
そして人間も自分のためにではなく、
神のためにありますから神も幸せです。
ですから神も幸せだし、人間も幸せになるのです。

神は、理想の出発点を「ためにある」というところに置かれたということを、
私たちは忘れないようにしましょう。

1986年5月18日 オーストリア教会
「理想の出発点は『ためにある』こと」

一部編集、文責:ten1ko2



四大心情圏における子女の愛、
その延長線上にあるのが、愛国心です。
ですから、孝行の心情、
今、お母様が願われている孝情の心情を育むことが
愛国心につながっていくのだと思います。

日本は、お母様が母の国として、特別に意識してくださっています。
先週、日本においては、歴史的に重要な期間に、
滞在してくださったのも、とても意味があると思いますし、
お母様が意識する日本であるゆえに、
神様も守り、愛してくださっていることを感じます。

母の使命を果たしていけるように、
孝情の心情で、日本を愛し、
天の願いに応える歩みをしていきたいです。






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posted by ten1ko2 at 09:44 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする