2017年11月24日

《善進様の証し》こうして私は父母様の愛を知りました! 父母を離れた5年間の告白



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2017秋季孝情清平特別大役事。
11/3に文善進世界会長が語られた
真の御家庭とお父様との想い出について、
自らの祝福について・・・
貴重な、信仰告白ともいうべき証しを紹介します。


答えがほしいとき、お父様のみ言を読んでいます。

私は真の子女という、回りからは原罪のない模範の子女、
完璧な人間という目で見られ、期待がありましたが、
内的には父母がいない心情で父母に話を聞いてもらった
こともなく、いつも奈落の底で何も感じませんでした。

怨み、疑心暗鬼、怒りもありました。
何故、私は生まれたのか?


7才の時に興進兄さんが聖和されました。

意識不明でベッドに横たわる兄さんに対して、
父母様が私に「もうすぐ、兄さんは霊界に逝くのだから
キスしなさい」と言われたのですが、
恐くて出来ませんでした。

お父様は「泣いてはいけない」と言われましたが、
私が一人部屋で泣いていたら、
天井に興進兄さんの霊人体が見えました。
兄さんは、「大丈夫だよ」と言われました。


アメリカで育ちましたが、アメリカという国は
大変な人種差別がありました。

孝進兄さんは、集団リンチにもあいました。
あるときは、切断された指が入った封筒が
家に送られてきました。
孝進兄さんは、身を守る為に武術を学ばれました。

真の家庭は、本当に苦難を受けてきました。


私が17才になった時に、お父様が
「祝福を受けなさい」と言われました。

私は、原理を聞いたことがなく、祝福に対して理解がなく
反抗期の高校生でした。

当時、お兄さんやお姉さんの祝福が難しい時期でもあり、
韓国の男性は嫌だと思っていました。
お父様に、「No、受けません」と言いました。

皆さん、お父様の性格を知っているでしょう?
お父様は、雷のような大きな声で
「受けないなら、出ていけ!」と怒鳴られました。

高校生の私は、主人(インソップ様)を
受け入れる事が出来ませんでした。

5ヵ月、回りからはお父様の言われるように
祝福を受けなさいと深刻なやりとりがありました。


7ヵ月後に「婚約しなさい」と言われ、
祝福を受けました。

私の祝福を受けた時の写真を見てください。
私の目は泣いていました。

初めて握手した時、主人の手は汗だくで
額にもいっぱい汗をかいていました。
私はどうしても受け入れる事が出来ませんでした。


その時、お父様は座りながら
「真実は真実だ」

「真実から逃れる事は出来ない。
自分の道を行くのなら行きなさい。
だが、これを知っておきなさい。
宇宙の根本、真実は真実だ。
自分の真実を探しなさい」


17才、高校生の私は、荒野の中に真実を探しに出ました。

5年間、日雇い、一日3つの仕事もしました。
ホームレスもしました。

生きることに希望が持てず、人生の価値もなく
孤独な所にいました。
そして癌になり、死の直前までいきました。

「外には何もありませんでした」と、私は家に帰りました。


父母様は、毎晩心配され眠られなかったと
他の人から聞きました。
あなたを愛され心配されていたと。

お父様は、その時怒るのではなく
「良く帰って来た」と言われました。

私はその時、天の父母様と真の御父母様の愛に
気付きました。

外の世界に真実の愛・真の愛はありませんでした。
真実は何なのでしょうか?
それは、愛なんだと気付きました。

父母は諦めず長い間待ちます。
子女が帰ってくるまで、諦めず待っているのが
父母様なのです。
真の愛とは何なのかを理解しました。


主人は、祝福を諦めず
5年間私を待っていてくれました。

あれから、22年になります。

最初に主人に会った時、緊張して握手したら
手に汗をかいていました。
今も、握ると手に汗をかいていますが、
心から愛しています。



誰もが胸を痛めるような
ある意味では衝撃的な証しを
善進様はよくぞ語ってくださったと思います。
孝進様の証しも壮絶なものですね。。。

善進様も話されているように、
真の子女様は、栄光の立場にいるような、
そんな感覚を誰もが感じるかも知れません。

また、家庭連合に批判的な人たちは、
「真の家庭といいながら、そうではないじゃないか」
そのように野次を飛ばすでしょう。

確かに表面的に見たら、そうかも知れません。
しかし、その背後においては、
言うに言えない、辛苦の荒波に漂いつつも、
真の父母様から助け舟を出したくても、出すことが出来ない、
そんな小舟にたった一人で乗っているような、
真の子女様たちの姿を感じます。。。

しかも、それは、御自身の問題ではなく、
私たち祝福家庭の足りなさにあるということ。。。
「蕩減」と一言では片づけられないような、
その全てを受け止められるということは、
決して簡単なことではないと思います。

また、真の父母様も
どれだけ手を差し伸べたかったことでしょうか。。。
アベルの子女を犠牲にされながら、
カインの子女を愛される真の父母様に
私たちは感謝してもしきれない立場です。

真の父母様、ありがとうございます。
そして、善進様、真の子女様、
本当にありがとうございます。
心から感謝いたします。






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posted by ten1ko2 at 10:21 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月23日

神・大阪!! 大盛況の大阪1万名大会、ダイジェスト!!



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おとといの大阪大会の様子が
家庭連合NewsOnLineで紹介されています。


11月21午後、内閣府が推進する「家族の日」制定10周年を記念し、
大阪府門真市内の会場で「孝情ファミリーフェスティバル in OSAKA」
(主催・同フェスティバル実行委員会)が開催され、
青年・学生1500人のほか、新規・再復帰のゲスト3800人を含む
約1万2500人が参加しました。

今年5月に行われた東京大会、10月に行われた神奈川大会、
そして11月16日に行われた愛知大会に続き、
全国で4番目の1万名大会となりました。


大会は、本式典に先立ち、約20分にわたって賛美役事が行われ、
大阪の地で歩んだ先人・先祖たちを誇り称えると共に、
苦痛を味わってきた多くの人々の思いを解放していきました。

続いて、「祈りと奉仕」と題する映像を通じて、1360日間にわたって
大阪の地域のために祈りを捧げながら、ボランティア活動などを通して
地域に貢献してきた大阪の教会員のこれまでの精誠を紹介した後、
親・子・孫の3世代で構成された合唱団「ファミリー・クワイア・ともしび」が
家庭連合の愛唱歌「母なる祖国(くに)に祝福あれ」を4部合唱で感動的に披露しました。


引き続き、同フェスティバル実行委員会共同委員長の徳野英治会長が
主催者挨拶を行い、
「(地球環境問題や家庭崩壊等の)世界の難問題を解決するため、
世界の希望の中心として文鮮明総裁によって1954年に創設されたのが統一運動です。
統一運動こそが人類の新たな希望です」と強調。
そのうえで、「人類の真の母、天の独り娘であられる韓鶴子総裁はきょう、
日本に対する天の願い、特にアジアと世界において
日本の果たすべき責任と使命を、大阪府民1万名の皆様の前で
はっきりとお示し下さることと思います」と語りました。


来賓挨拶などに続き、戦後から現在に至るまでの大阪発展の歩みを紹介する映像を
バックに「河内音頭」が披露された後、
「クワイア・ともしび」が「わたしのありがとう」など2曲を
清らかな歌声で歌い上げました。

青年によるダンスに続いて、青年男女2人が神様のため世界のために歩んできた
両親について感動的な証しを行った後、
140人の青年・学生が登場して
「孝情をもって世の光となります。
私たちの手で、必ず希望の時代を築いていきます」と決意表明。
最後に「無条件」の歌とダンスで孝情文化を表現しました。


韓鶴子総裁のみ言に先立ち、文善進世界会長が登壇。
韓総裁について

「亡き父とともに、私の母は不動なる平和の
チャンピオンです。
私は心の奥底から、母が現代の偉大なお手本、
人類と被造世界の解放者、
純潔と善、絶対愛の実体だと確信しています」


と語り、
「万雷の拍手で、韓鶴子博士、私の愛する母、
私たちの愛する真のお母様をお迎えしましょう」

と会場に呼び掛けられました。

盛大な拍手に迎えられた韓総裁は、
約26分間にわたってみ言を語られました。


その中で韓総裁は、神様による天地万物の創造、人間始祖の堕落、
蕩減復帰摂理の概要を説明された上で、

「なぜ真の父母(文鮮明・韓鶴子総裁ご夫妻)が
必要なのでしょうか。

堕落した人間としては
神様の前に立って行くことができません。
彼らには誤った先祖の蕩減が残されているからです。

真の父母によって再び生まれ変わる
その位置に立たずしては、
神様の前に立つことはできません。

それが家庭連合で教える祝福結婚式なのです」


と述べられました。

さらに、韓総裁は

「待ちに待った真の父母が顕れましたが、74億人類は
まだそれに気づかずにいるのです。

先を行く者、先に知った者、先に祝福を受けた者が、
共に祝福を分かち合う責任を果たさなければなりません。

それこそ皆さん祝福家庭が果たすべき、
氏族メシヤの責任なのです」


と強調。

「だから私はきょう、誇り高き“神”大阪に
なってほしいと願うのです。

『新しい』の“新”の字ではなく、
神様に侍る“神”大阪です。

そのために、責任を全て果たす覚悟はできていますか」


と語り、参加者を激励されました。


続いて、副実行委員長の朱鎭台第8地区長の先導で億万歳四唱を行い、
会場全体が感謝の拍手を送る中、
韓総裁が参加者に手を振りながら退場されました。

引き続き、「模範家庭」に選ばれた8家庭が映像で紹介され、
「地域奉仕家庭賞」「家族三世代孝情家庭賞」「多文化国際家庭賞」「多子女家庭賞」
(各賞2家庭ずつ)の功労牌がそれぞれ授与されました。

フィナーレでは、参加者が手を取り合い、
会場全体で「世界がひとつになるまで」を力強く歌い、
すべてのプログラムは終了しました。



私も最初「新・大阪」だと思っていましたが、
神氏族メシヤと同じく「神・大阪」だったんですね。
お母様が地名に「神」と呼ばれたのは、
今回が初めてだったのではないかと思います。

神氏族メシヤは、お父様の遺言です。
お母様はお父様の遺言を
私たち祝福家庭に成すよう願われています。

このことを果たすことが、
Vision2020に対しての、
私たちの最大最高の親孝行である、
そのことを肝に銘じていきたいと思います。




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2017年11月22日

分かっているようで知らないアベル・カインの原則?! 『サタンの誘惑と攻撃の窓口』



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心が上にいったり、下にいったり、
ちょっと不安定な時がありますね。

昨日も、三男のちょっとしたことにカチンときてしまって。。。
心穏やかでなく、ブログの準備も「もういいや」
そう思って、過去ログを見ていたら、
信仰生活の内容に目がとまりました。

以前、研修会で、ある責任者の方が
『信仰生活のポイント』と題して、
講話をしてくださった内容です。

「サタンの誘惑と攻撃の窓口」より
「アベルカイン」の内容です。


アベルカインというのは、原則ですが、
以外にわかっていない人が多いと思います。

中心とひとつになるということなのです。
そこから霊的な生命がくるのです。


証しを紹介します。

ずいぶん昔韓国に行ったときのこと。
未熟ながら幹部の先輩方と同席をして、
お父様のみ言を拝聴しました。

そのとき、当時の久保木会長に
お父様はものすごく大きな声で、
「久保木!」
そして、こてんぱに怒って
もうぼろくそにいろんなことを言われました。
他の幹部の先生方にも同じでした。

なんていいますか、
人間の常識を超えて、叱っておられたんですね。

聞いている私たちの方が、
「そこまでも言わなくても」という思いになるわけです。
あえて、そういう同情心が沸くように
叱られたのだと思います。

お父様は個人的に注意をしないんです。
公衆の面前で、ぶった切ります。
10のうち、9くらいは切りますね。

皆さん、お父様の前で完璧な者がいるでしょうか。
責任者はみんな足りないので叱られるしかないです。

ところが、そのあと、どうするのでしょうか。
ほめ始めるんです。
「この分野においては、こいつしかいない。
こういういいところがあるんだ。
だからひとつになるんだよ」
そのように語られます。

まさに、芸術的なお父様なのです。
お父様の荒治療と言ってもいいのではないでしょうか。


皆さん、カインアベルのみ言は
相手を裁く剣として使ってはいけないのです。

私たちは、み言をもって、自分を正当化してしまいます。
み言を、アベルに向かって攻撃の武器として使ってしまうのです。

「アベルはこうあるべきだ、そう書いてあります」
なんて、アベルに向かってみ言を提示してしまいます。

逆に、アベルはカインに対して 
「あなたたちは間違っている。
カインはこうあるべきだ。
絶対従順!」

そのようにして、
み言を利用して相手を裁いてしまうのです。


み言は人を裁くためにあるのでしょうか。
違います。
私自身のためにあるのです。

だから、アベルとして、カインとして
自分がどうあるべきかということを
正すためのみ言なのです。

カインもアベルも完璧ではありません。
両者に原因があるのではないでしょうか。
ともに悔い改める必要があるのだと思います。

だから、み言で相手をせめても
何の発展もないのだと思います。

父母の心情で相手を見つめる。
そのためにみ言が必要なのです。



躓いたわけでもなく
裁く心情になったわけでもないのですが、
何かこの記事を読みながら、
心が落ち着いてきました。

み言は私のためのものである。。。
そう思いつつ、今朝になって、
三男といつものように接することができ、
ほっと一息です。





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