2017年11月27日

与えたことさえ忘れるのが、真の愛です!! 《浅川先生》1



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2010.11.27☆


自叙伝書写の浅川先生が、
新しいシリーズを紹介しておられます。

今回は、第一回目として、
「真の愛は、愛を与え、与えたことさえ忘れる愛」です。


私たちは、どうしたら幸せな人生を送ることができるでしょうか。

結論を先に紹介すれば、真のお父様のみ言によると
「真の愛を実践すること」なのです。


たとえば、「健康」なら、
幸せな人生を送ることができるでしょうか。
健康でも不幸な人は意外と多いものです。

例えば、夫婦間で、一言文句を言ったら二言返ってくる、
すなわち、言い返すだけの力がある、健康な証拠です。
また、暴力も健康だからできるもの。

そう考えると、健康は、夫婦の幸せを保証しません。

また、お金はどうでしょうか。
いくらお金があったとしても、
家族の関係に愛がないと虚しいものです。


ですから、根本的に重要なのは愛です。

ただ、愛と言っても、愛する、愛されるとあります。

男女も、お互い愛し合って結婚するわけです。
しかし、時がたち、傷つき合い、憎しみあってしまう。
そして、お互いが恨みを持つようになります。

また、子供のことで葛藤が生ずる。
ですから、愛しても幸せになることがないのです。


そう考えると、愛しただけでは幸せになれないのです。
なぜかというと、「愛の道路交通法」を実践していないからです。

道路で、歩く人、また車を運転する人、
お互いが快適に交通するためには、
車道は車を走らなくてはなりません。
そして、歩道は歩く人が優先です。
でも、横断歩道で赤信号は止まらないといけません。

このような道路交通法というものが、
人間関係の中においてもあるのです。


まず第一にはなんでしょうか。
それは、愛の優先順序です。

愛することを愛されることより優先しなければなりません。
そうすると、感謝の心がわきます。
そして、幸せとなって帰って来るのです。

しかし、愛されることを優先したらどうでしょうか。
自分を理解してくれないという欲求不満の思いになります。

また、愛してくれないという思いになり、
憎しみや恨みが生じてしまいます。
愛することより愛されることを先立てない方がいいのです。


文先生のおっしゃられる
「真の愛」とは、何でしょうか?
それは、全身全霊で愛することです。

とても憎しみが強い人に愛しても、何も返ってこないと、
逆に恨みになることが多いです。
ですから、何の見返りもない愛、
すなわち、真の愛を実践するのです。



「愛の道路交通法」
さすが、浅川先生ですね。。。

目に見えない世界、
すなわち、心の世界にも法則があるということ。

目に見えることは、とてもわかりやすいので、
法則に当てはめることができませんが、
目に見えないことは、その人の人生観、
さらには、民族的、血統的なものから、
環境的なものまで、さまざまなことにより、
影響を受けていることがあると思います。

それを法則という形で、教えてくださり、
また、具体的に実践しておられるのが、
真の父母様ですし、その結論が、
「真の愛の実践」なのです。

さらに言うならば、真の父母様に似るために、
私たちが小メシヤとして立つためには、
神氏族メシヤの道を歩む、ということになるのですね。。。

二番目に関しては、明日お伝えします。





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posted by ten1ko2 at 09:04 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする