自叙伝書写の浅川先生が、
新しいシリーズを紹介しておられます。
今回は、第一回目として、
「真の愛は、愛を与え、与えたことさえ忘れる愛」です。
☆
私たちは、どうしたら幸せな人生を送ることができるでしょうか。
結論を先に紹介すれば、真のお父様のみ言によると
「真の愛を実践すること」なのです。
☆
たとえば、「健康」なら、
幸せな人生を送ることができるでしょうか。
健康でも不幸な人は意外と多いものです。
例えば、夫婦間で、一言文句を言ったら二言返ってくる、
すなわち、言い返すだけの力がある、健康な証拠です。
また、暴力も健康だからできるもの。
そう考えると、健康は、夫婦の幸せを保証しません。
また、お金はどうでしょうか。
いくらお金があったとしても、
家族の関係に愛がないと虚しいものです。
☆
ですから、根本的に重要なのは愛です。
ただ、愛と言っても、愛する、愛されるとあります。
男女も、お互い愛し合って結婚するわけです。
しかし、時がたち、傷つき合い、憎しみあってしまう。
そして、お互いが恨みを持つようになります。
また、子供のことで葛藤が生ずる。
ですから、愛しても幸せになることがないのです。
☆
そう考えると、愛しただけでは幸せになれないのです。
なぜかというと、「愛の道路交通法」を実践していないからです。
道路で、歩く人、また車を運転する人、
お互いが快適に交通するためには、
車道は車を走らなくてはなりません。
そして、歩道は歩く人が優先です。
でも、横断歩道で赤信号は止まらないといけません。
このような道路交通法というものが、
人間関係の中においてもあるのです。
☆
まず第一にはなんでしょうか。
それは、愛の優先順序です。
愛することを愛されることより優先しなければなりません。
そうすると、感謝の心がわきます。
そして、幸せとなって帰って来るのです。
しかし、愛されることを優先したらどうでしょうか。
自分を理解してくれないという欲求不満の思いになります。
また、愛してくれないという思いになり、
憎しみや恨みが生じてしまいます。
愛することより愛されることを先立てない方がいいのです。
☆
文先生のおっしゃられる
「真の愛」とは、何でしょうか?
それは、全身全霊で愛することです。
とても憎しみが強い人に愛しても、何も返ってこないと、
逆に恨みになることが多いです。
ですから、何の見返りもない愛、
すなわち、真の愛を実践するのです。
☆
「愛の道路交通法」
さすが、浅川先生ですね。。。
目に見えない世界、
すなわち、心の世界にも法則があるということ。
目に見えることは、とてもわかりやすいので、
法則に当てはめることができませんが、
目に見えないことは、その人の人生観、
さらには、民族的、血統的なものから、
環境的なものまで、さまざまなことにより、
影響を受けていることがあると思います。
それを法則という形で、教えてくださり、
また、具体的に実践しておられるのが、
真の父母様ですし、その結論が、
「真の愛の実践」なのです。
さらに言うならば、真の父母様に似るために、
私たちが小メシヤとして立つためには、
神氏族メシヤの道を歩む、ということになるのですね。。。
二番目に関しては、明日お伝えします。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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