2018年03月31日

お父様の姿勢、「いつも死を目前にしている!」と考える 《金元弼先生》2



180331 IMG_3258.jpg


金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は、「死を目前にした境地で歩まれる先生」です。


先生が世界的に勝利を収めるまでに、
どのように摂理を成してこられたかということを、
もう一つだけ話しましょう。

先生は常に、難しい摂理を成していかれる時、
「今私は死の境地に置かれている」と考えて、
この難しい問題を抱えていったというのです。

東洋では、人が死んだら三日間、棺の中に入れません。
その理由は、その人が死んでもその霊は体から三日間は離れないからです。

それで、棺の前に板があり、この板の上に死んだ人を寝かせます。
そうしてそこに七つの縄で結びつけるのです。

たまに、人は死んで三日の間に生き返ることがあります。
この三日間というのは、その板の上に寝かされた人が
最後に生き返ることのできるチャンスでもあるわけです。

先生は常に「今、私はこの板の上に寝かされているのだ」と考えて、
すべてを成していかれたというのです。


私たちは家のことで、子供のことで、あるいは家庭のことで、職場のことで、
さまざまなことで神のみ旨ができないということがたくさんあります。
神の摂理を成していくのに、妨げになることがたくさんあるというのです。
それは、人によって全部違います。

神が命令した、しかし私は家庭の事情で今これができない。
またある人は学校があり、「私は勉強しなければならない。
だから私はこれに従うのが難しい」
と、このようになるのです。

「私は今ビジネスをしている。
これをしていたらビジネスがだめになる。
だからこのみ旨に私は従うことができない」。

ある人には友達がいて、「み旨のために犠牲になるとしたら、
友達との関係を切らなければならない。それは難しい。
だからみ旨をやることができない」。

このように、自分が大事にしていることによって、
自分に与えられたみ旨に従っていくことができないことが
たくさんあるというのです。


そのような場合、先生はさっきお話ししたごとく、
「私は今、この板の上に寝かされているのだ」
と考えたというのです。

では皆さん、今死を目の前にしている人にとって、
家庭が、学校が、職場が、友達が、あるいは何が問題になるでしょうか?
それは問題にならないのです。
すべてを切って、み旨に進むことができるというのです。

先生は常に、そのようにしてこのみ旨の道を歩んで、
勝利してこられたのです。
だからこそ先生は、愛する家庭をも、
氏族をも犠牲にすることができたのです。

私たちも先生のように常に、「私は今、死の手前に寝かされている」
と考えるならば、何が欲しいでしょうか?
欲しいものは何もありません。

私たちはただ神が願うことを成すことだけがすべてだというのです。
先生は常にそういう心で今まで進んでこられました。

先生は人の前、または大衆の前に立つ時にも、
常に死刑囚が死刑場に出るような、そういう心で出られたというのです。

私たちは今、だれが何と言っても、
「み旨を中心として、私はそういう死の手前に立っている」
として行かない限りは、世界の中で
生き残ることもできなければ、勝利することもできないでしょう。


「摂理と私たちの信仰」
  (生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼先生)
1987年1月25日(三拝敬礼式にて) 
ドイツ・フランクフルト本部教会


お父様が歩まれた道。。。
元弼先生のみ言のごとく、
生死の境地を越えた中を、
日々歩まれていかれたのですね。。。

ただ、メシヤだから、真の父母だからと言うだけでははく、
神様が関心を持ち、協助せざるを得ない立場に、
自らを追いやられたのだと思います。

今、真のお母様も同じ心情圏で、
同じ境地で歩まれています。
だからこそ、そのようなお母様と
一つになることを願われていると思うのです。






にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜

いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。

大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。

*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 10:48 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月30日

毎朝、霊界では大訓読会、先祖が列をなして参加している?! <訓読会の勧め>



180330 20090108 0501.jpg
訓読会に臨まれたご父母様☆


訓読会。
大切だとわかっていても、なかなか伝統を立てることが
難しいですね。
『祝福家庭』に掲載されている内容を紹介します。



習慣化する

訓読会を行う時間として、朝が望ましいのはもちろんです。
一日をみ言訓読から出発できるのは、とても素晴らしいことです。

しかし「朝は忙しくて…」という方もいらっしゃるでしょう。
もし、朝にできなければ、夜にでも訓読をするのです。



(訓読会は)一日に、朝だけしなければなりませんか、
昼も晩もすべてしなければなりませんか。
晩にまた御飯を食べる時間があれば、
四度しなければなりません。

朝起きてして、
昼食の時に御飯を食べてしなさいというのです。
夕御飯を食べてして、
寝る前にもう一度しなさいというのです。

そのようにすれば、霊的な生命が成長します。
そのようにしなければ、真っ暗で、
雨の降る日のようであり、
霧がかかったように重苦しいのです。

祈祷する時間よりも、訓読会の時間を
より一層重要視しなければなりません。

なぜでしょうか。
これは完成するということです。
真の御父母様が完成させる時間だというのです。


(『文鮮明先生の教育哲学』336-337ページ)

真の父母様は、3度のご飯を食べるように訓読し、
朝に昼に夜に訓読する生活習慣をつけることを願われています。



霊人も同参、共に成長する

ある婦人は、訓読会のとき、夫婦合わせて4系列の先祖に対し、
声を掛けているといいます。

「〇〇の血統の方々はここにお並びください。
▢▢家の方々はその隣の列に…」と、
具体的に呼び掛け、一緒に訓読を行うそうです。

ある日、先祖に示した場所をざっざっざっと歩いているたくさんの足音を聞いて、
彼女は「先祖が整列しているんだ」と確信したのです。


霊人であれ、地上人であれ、人間の願いは、
真の愛を完成し、真の夫婦愛を完成していくことです。
しかし、霊人は真の父母様を戴いた地上を通してしか、
愛を完成させることはできないのです。

み言は霊的糧です。
地上の私たちの訓読の場に同参し、共に生活しながら、
霊界人は喜びを感じ、復活し、完成できるようになっています。

そして、地上の私たちに協助するようになっていきます。
霊界と肉界が一つとなって、真の父母様に侍る訓読会をしていきましょう。

「祝福家庭」87号(2017年冬季号)より
読みどころ紹介➆
「侍義の生活」第17回
「訓読会の伝統を立てる」



真の父母様のみ言は永遠なるものです。
すでにお父様は聖和されましたが、
貴いみ言はお母様が編纂された三大経典を始め、
私たちに力を与えてくださっています。

ここに紹介された証しによると先祖が列をなして、
訓読会に参加しているとのこと。
そういえば、み言の訓読には、先祖もともに参加しているのですよね。
意識することが足りなくて、ちょっと反省です。。。

霊界では、み言が貴重な栄養素であることを思えば、
ともに訓読することで、
絶対善霊の方たちは復興し、もっと協助してくださるのだと思います。
霊肉合同作戦ですね。。。





にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜

いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。

大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。

*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 10:40 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月28日

Q:お父様を一言でいうと?! 霊界で最初に神に聞かれるのは?! 《史吉子先生》



180329 80moon_web_2300_s878x1222.jpg

お父様を一言でいうと、どんな方か?──


史吉子(サ キルジャ)先生の「原理に関するみ言の証」
今回は、「誰よりも神様を愛されるお父様」(1)です。


私たちが霊界に行くと、神様は必ず三つのことを尋ねるそうです。
誰にでも、必ず尋ねるそうです。

一番目は、おまえは地上にいる間に、
神様をどれくらい愛してきたか?
二番目は、おまえは人間をどれくらい愛してきたか?
三番目は、おまえは万物をどれくらい愛してきたか?
この三つは必ず尋ねるそうです。

それで、お父様は「あなたたちが地上にいる時、
神様を愛し、人を愛し、万物を愛さなければならない」
といつも話されます。


私はお父様が神様をどのように愛されるのか、
おそばで見てきました。
そのことを全て知っているわけではありませんが、
近くで侍りながら拝見したいくつかのお話をしたいと思います。

時々、お父様は


「私は神様に狂った。原理に狂った。
 私は神様が願われること、
 原理が願うこと以外には
 絶対にすることはない」



と言われます。

狂った状態とは何ですか?
それは自己意識がないという意味です。

お父様は、「神様のみ意がどこにあるか?
神様は何を願われるか?」と、
ただそれだけを日久月深(月日の流れとともに待ち、
願う心がより切実になること)
に考えていらっしゃる方です。


お父様がじっと座っておられる時は、何でもない方のようです。
何も持っているものがなく、
何もご存知でないような無念状態にいらっしゃるようでした。

ある時は小さな声で鼻歌を歌ったりもしながら、
何かを待っている人のような時もあります。

ご自身が全くない状態で、
ゆらゆら揺れるアンテナのように、
神様のみ意をいつでも掴もうとしながら、
常に心を空けておかれるのを時々拝見します。

そうしていても、一度何かを始められると、
雷のように急がれます。


それで、アメリカの食口たちが私に尋ねるのです。
「お父様を一言でいうと、どんな方だと言えますか?」

これは、本当に返事をするのが難しい質問です。
しかし、私は返事をしました。

’He has nothing,and everything.'
すなわち、「この方は何も持っておられない方であり、
同時にすべてを持っておられる方です」
と、このようにしか私には返事ができません。



お父様が提唱された教育理念「愛天愛人愛国」
これは、神様からの三つの問いから来ているんですね。
神様を愛し、人を愛し、万物を愛すること。。。

肝に銘じていきたいと思います。


また、全てを持っておられるお父様を、
『真のお父様』とお呼びし、
侍ることができることを、心から感謝いたします。


不定期に続きます。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜

いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。

大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。

*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 13:53 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする