2018年04月21日

悩んだ子供に対する、親のNG対応とは?! 親の「聞き方」その1 《家庭力up↑講座》



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多田部長の家庭力アップ講座。
今回は、「共感的聴き方の実践」その1です。


私たち親は皆、子供を愛していることに違いはありません。

ただ、愛しているからといって、親の愛情が
子供に届いているかというとそうではないのです。

そして、意外と子供を理解しようとはせずに、
子供に要求ばかりすることが多くなっているのではないでしょうか。

しかし、それでは親の愛情が子供に届かないのです。

これから何回かにわたって、親の愛情の伝え方を、
話の「聞き方」と「話し方」の二つの観点から学んでみたいと思います。

よく、“聞き上手は話し上手”と言いますが、まず二つの聞き方を紹介します。


一つ目は、先回も紹介した「共感的聴き方」です。

多くの親の子供に対する接し方はというと、
「良かったらほめる。悪かったら叱る」ということが多いのではないでしょうか。

このうち、「良かったら褒める」というのはそんなに問題にはなりませんが、
「悪かったら叱る」ということを一度考えてみましょう。


例えば、子供が犬に餌をあげる役割を担当していたとして、
三日間餌をあげた様子が見られないので、
仕方がなく親が自分で餌をあげたとしましょう。

この場合、もちろん子供を叱って当然なのですが、
問題は親が自分の基準に合わせて叱ってしまう場合が多いということです。

あるいは、親が自身に問題を持っているため叱る場合があります。
親の心に余裕がなく、感情的になり、つい叱ってしまう場合です。

犬に餌をあげることは子供の責任であるわけですが、
その責任を果たさない時、子供が何かの事情を抱えている場合もあります。

学校でいじめられていたり、学業や部活などで
壁にぶち当たっていたりすることもあります。

ですから、子供が三日間犬に餌をあげなかったことは、
子供からの何らかのメッセージだと捉えることもできます。



私たちはいつも親自身の価値基準で子供を判断していますが、
子供には子供の観点があるのです。

まず、そのような子供の事情を理解して、接する必要があります。
子供への接し方を決めるのは、それからでもいいのです。


子供が問題を抱えている時にやってはいけないことは、
命令、脅迫、説教、提案、非難、賞賛、同情、侮辱、分析などです。

たとえば、不登校になったときに
「学校に行かないと立派な人間になれないよ」と言って、学校に行かせようとする。
逆に褒めるということもいけないようです。
それから激励、質問も避けたほうが良いでしょう。


最近、いじめによって自殺してしまうという事件がたびたび起きています。

もし親がよき相談相手になっていれば自殺は起こらなかったかもしれません。

ある自殺してしまった子の遺書には、子供の悩みを何とか解決しようと、
親が子供にした10の質問に対する回答が書かれていたそうです。
その親は、子どもがなぜ質問に答えなかったのかと悩んでしまいました。

親が質問をすることが、かえって子供にとって苦痛になることがあります。
おそらく質問された子供には、それに答える心の余裕がなかったのでしょう。
応えたくない子供の気持ちを理解することも時には必要なのです。


私たち親は、何とか子供に答えを教えてあげたいと思うのですが、
「教える」というのは、実は親の心を満たすだけであって、
子供には愛情が伝わらない場合があります。

むしろ、共感的に子供の気持ちを理解してあげることこそが、
親の愛情がもっとも伝わる方法であり、
子供の問題を解決できる方法でもあるのです。



親の願い通りにいかない時、
一方的に叱るのではなく、
子供にも事情があるのだ、
そう思っていくことで、
親子の絆が深まっていくのだな、
そのように受け止めさせていただきました。

子供たちは、親の願い通りに育つもの、
そのように決めつけてしまっていたとも思います。
もっともっと真の親、真の父母様を思いつつ、
今日のみ言を教訓として、
子供たちに接していきたいと思います。








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2018年04月20日

私が目撃した真の父母様の真実! 神様が第1の生活 《文妍娥様》1



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2015年10月家庭連合出帆記念大会のあと、特別集会で語られた
文妍娥(ヨナ)様のメッセージを紹介したいと思います。

題目は「学んでも学んでも到達できない
真のお母様の深い愛と心情の世界」です。

最初はお父様のみ言の訓読からです。


皆さんが、「神様のみ旨」という時、
それは歴史の目的、創造目的が完成することです。
「神様のみ旨は創造目的の完成である」
このようになるのです。

創造目的の完成とは何でしょうか。
それは、み旨の完成です。

み旨の完成とは何でしょうか。
四位基台の完成です。

四位基台の完成とは何かと言えば、
真の家庭を完成することです。

真の家庭とは何でしょうか。
真の父母がいなければならず、
真の男性と真の女性がいなければならず、
真の夫婦がいなければならず、
真の子女がいなければなりません。

一番の中心は何かといえば、
個人の目的も真の父母であり、
男性と女性の目的も真の父母であり、
赤ん坊の目的も、兄弟の目的も真の父母です。

真の父母になって、息子、娘を持つ。
家庭を持つ。
このようになるのです。

(1997年アメリカ)



家庭連合時代という
新しい時代を出発するに当たって、
私にはこの真のお父様のみ言が、
深く心に刺さりました。

では、私たちはどのようにすれば、
遠くにいらっしゃる真の父母様と、
一緒に暮らしているかの如く
生活できるのでしょうか。

それを知るためには、目に見えない天の父母様と
一体となり、侍っていらっしゃる
真の父母様のことを知らなければなりません。

それがどのような生活なのか、
皆様も気になっていらっしゃると思います。

もし、それを知ることができれば、
たとえ物理的な距離があるとしても、
真の父母様と共に暮らす
私たちになれるのではないかと思います。

私が真の父母様に身近に侍らせていただくようになったのは、
孝進様と祝福を受けた1999年以降です。
決して長い期間ではありません。

そういう中で私は、
「真の父母様のすべての中心は
常に天の父母様である」
という結論を得ることができました。

それは必ずしも
「天の父母様のみ旨を成してさしあげます」
という壮大な話をされることとは限りません。

朝、目が覚めれば最初に
「天の父母様、おはようございます。
新しい一日が始まりました」
とご報告なさることであり、
食事の時間になれば、
「腹が減ったから何々を食べよう」
というのではなく、
「天の父母様、何を召し上がりたいですか?
どのようなものを一緒に味わいたいと思いますか?」
とお尋ねになることです。

また真のお父様も、
摂理的な内容を勝利なさったときはいつも、
「これら全てのことは、天の父母様が導き、
保護してくださったので、できたのだ」
と言われました。

ご自身が一生懸命やったというのではなく、
天の父母様に常に感謝し、
天の父母様のことを思われるのです。

私はそのようなおふたりのお姿を
たくさん目撃してきました。



妍娥様が目撃された真の父母様は、
ある意味いたってシンプルだったのではないかと思います。
四六時中、天の父母様(神様)を思い続け、
神様に尋ねながら生活していかれるわけです。

でも、逆にそれが難しいことなのだと思います。
全てを神様に結びつけていかれる真の父母様。

もちろん、いいことばかりでなく、悪いこともあります。
多くの迫害、試練もありました。
そのことを全て神様につなげていかれるので、
「感謝」ということになるのでしょう。

さらには、ご自身の栄光も神様にお返しするのですから、
まさに「孝情」の思いで、生活してこられた
真の父母様だと思います。

この妍娥様のみ言は、不定期に続きます。






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posted by ten1ko2 at 09:31 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月19日

アベルカインが必要な理由?! 父母の愛と兄弟の愛の違い 《金元弼先生》2



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金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は「横的な兄弟関係と縦的な親子関係」です。


カインはアベルに「あなたは私のためにあるのだ」、
アベルはカインに「あなたは私のためにあるのだ」となるのですが、
カイン、アベルというのは横的な関係なので、
他のためにあることは難しいのです。
同じレベルだから平等なのです。

しかし、親と子供というのは次元が違います。
縦的な関係ですから、親は子供のためにあるというのです。

だれが言わなくても自然に他のためにあるという心が親の心なのです。
子供が親の話を聞かなくても、その親は子供に心を注ぐというのです。

それは縦的な心、それは犠牲の心なのです。
これが「ためにある心」です。

ところが兄弟関係の愛というのはそうではないのです。


ここにおいしいものがあるとすれば、兄弟の関係というのは、
お互いが争って持っていこうとするのです。
いいものがあれば「自分が先に」となるのです。

ところが親子の関係というのは、おいしいものがある時、
親が先に食べないで、子供に先に与えるのです。
ここが違うのです。

ですから親の心というのは、「ためにある心」なのです。
ところが子供の心というのはそうではありません。
自分のためにあるのです。


それではそれが悪いのでしょうか?
そうではなく、子供が親になっていく成長期間においては、
自分は自分のためにあるという心があればこそ成長することができるのです。

皆さん、成長していく時に全部人にあげて成長できますか?
生まれたばかりの子供にミルクをあげると、
「いいえ私はいりません。あの子にあげてください」と言えば、
この子供は成長できますか?

ですから、成長の時には自分のためにあり、
成長して成熟したら他に与えるのです。


兄弟関係でも、先に生まれた子供が
親の愛を先にたくさん受けます。
それで、その子供は弟たちよりも先に
親の心を分かり、受け継いだというのです。

ですから横的な関係の兄弟であっても、
親の心情を受け継いだ者は弟に対して、
また妹に対して与えることができるのです。

そして親の心情を受け継いだ者を長男、長女と呼ぶのです。
あるいは原理の言葉で表現すればアベルだというのです。


親の心情を受け継いだものがアベルですから、
アベルはカインに尽くすことができるのです。

このように私たちが親の心情に立てば、
リーダーとメンバーが一体化することができるのです。

そしてカインの立場に立っている者は、
神と真の父母の心情をもってアベルに尽くし、
アベルは神に尽くさなければなりません。

ですから私たちの心と体の一体化というのは、
カインの人々に尽くすことを通して成すことができます。

「真の信仰をもつ者」  
(生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼)
1987年10月11日
ドイツ・フランクフルト本部教会



アベルもカインも父母の心情に立つこと。。。
これは本当に重要なことだと思います。

最初は家庭のような組織でも
大きくなれば、心情組織でなく、
外的な関係になりがちなのかと思います。

父母の心情に立って、接すること。
そのような人間関係を構築するならば、
天の願う組織になるのではないかと思います。

天の父母様、真の父母様が喜ばれる、
そのような組織を目指していきたいと思うのです。







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posted by ten1ko2 at 10:44 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする