金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
今回は「横的な兄弟関係と縦的な親子関係」です。
☆
カインはアベルに「あなたは私のためにあるのだ」、
アベルはカインに「あなたは私のためにあるのだ」となるのですが、
カイン、アベルというのは横的な関係なので、
他のためにあることは難しいのです。
同じレベルだから平等なのです。
しかし、親と子供というのは次元が違います。
縦的な関係ですから、親は子供のためにあるというのです。
だれが言わなくても自然に他のためにあるという心が親の心なのです。
子供が親の話を聞かなくても、その親は子供に心を注ぐというのです。
それは縦的な心、それは犠牲の心なのです。
これが「ためにある心」です。
ところが兄弟関係の愛というのはそうではないのです。
☆
ここにおいしいものがあるとすれば、兄弟の関係というのは、
お互いが争って持っていこうとするのです。
いいものがあれば「自分が先に」となるのです。
ところが親子の関係というのは、おいしいものがある時、
親が先に食べないで、子供に先に与えるのです。
ここが違うのです。
ですから親の心というのは、「ためにある心」なのです。
ところが子供の心というのはそうではありません。
自分のためにあるのです。
☆
それではそれが悪いのでしょうか?
そうではなく、子供が親になっていく成長期間においては、
自分は自分のためにあるという心があればこそ成長することができるのです。
皆さん、成長していく時に全部人にあげて成長できますか?
生まれたばかりの子供にミルクをあげると、
「いいえ私はいりません。あの子にあげてください」と言えば、
この子供は成長できますか?
ですから、成長の時には自分のためにあり、
成長して成熟したら他に与えるのです。
☆
兄弟関係でも、先に生まれた子供が
親の愛を先にたくさん受けます。
それで、その子供は弟たちよりも先に
親の心を分かり、受け継いだというのです。
ですから横的な関係の兄弟であっても、
親の心情を受け継いだ者は弟に対して、
また妹に対して与えることができるのです。
そして親の心情を受け継いだ者を長男、長女と呼ぶのです。
あるいは原理の言葉で表現すればアベルだというのです。
☆
親の心情を受け継いだものがアベルですから、
アベルはカインに尽くすことができるのです。
このように私たちが親の心情に立てば、
リーダーとメンバーが一体化することができるのです。
そしてカインの立場に立っている者は、
神と真の父母の心情をもってアベルに尽くし、
アベルは神に尽くさなければなりません。
ですから私たちの心と体の一体化というのは、
カインの人々に尽くすことを通して成すことができます。
「真の信仰をもつ者」
(生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼)
1987年10月11日
ドイツ・フランクフルト本部教会
(生活伝道・真の父母に倣う伝道の精神 金元弼)
1987年10月11日
ドイツ・フランクフルト本部教会
☆
アベルもカインも父母の心情に立つこと。。。
これは本当に重要なことだと思います。
最初は家庭のような組織でも
大きくなれば、心情組織でなく、
外的な関係になりがちなのかと思います。
父母の心情に立って、接すること。
そのような人間関係を構築するならば、
天の願う組織になるのではないかと思います。
天の父母様、真の父母様が喜ばれる、
そのような組織を目指していきたいと思うのです。
〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜
いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。
大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。
*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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