2018年05月25日

(証し)私も伝道できる! 障害を負った私に、天が与えてくださった人



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今回は伝道の証しを紹介します。
題目は、「⾝体の不⾃由な私に下さった天の⽗⺟様の恩恵」です。


私は、ちょうど10年前の2008年5⽉に
突然脳出⾎を起こし、半年間⼊院しました。
結果的に後遺症が残り、左半⾝が不⾃由になり
杖を突いて歩くようになりました。

担当のケアマネージャーが付き、
要介護2級の介護を受けるようになりました。

しかし、天の⽗⺟様はそういう状態の中でも、私を導いて下さり、
清平で清⼼病院に泊まりながらの
「霊性役事」や「原理本体論」の修練会にも
韓国のヘルパーさんを手配して頂きながら参加することができました。

また、ちょうど真のお⽗様の聖和の時に、奇跡的に清平にいたのです。
今思えば、それがどれほど私にとって 感謝な出来事だったかわかりません。

私は、もともと本を読むのが好きではなく、
伝道され信仰を持ってからもあまり訓読をしていませんでした。
体が不⾃由になったため、以前のように
活動もできなくなり、前線にも⾏けません。

そういう中、家の中に⼭積みになっていたみ⾔の本が目に留まり、
訓読をするようになりました。
せめてもの精誠条件になればと思ったからです。


毎週定期的に家に訪問介護のヘルパーさんが来てくれますが、
仕事だとしても、向こうから来てくれる⽅は、
天の⽗⺟様が間違いなく伝道のため送って下さった⽅だと思い、
短い原理のDVDを⾒てもらうようにしました。

私⾃⾝、36万双の祝福は受けましたが、
主人が完全に復帰された訳ではなかったので、
主人復帰のためにも、「霊の子3人」を⽴てようと思いました。

DVDを⾒せると、ヘルパーさんたちはいろんな反応をされましたが、
4人目の⽅は結果的に⼀通りの原理の内容を⾒てくれました。
しかし、2015年に我が家の都合で引っ越しをしないといけなくなり、
そのヘルパーさんとはそれっきりになってしまいました。


引っ越した先で、5人目のヘルパーになったMさんにも
同じようにDVDを⾒てもらいました。

2度目にDVDを⾒てもらった帰り際に、
「実は私、独⾝の時、この原理を勉強していました。
⼩さい“ご⽗⺟様のお写真”も捨てられずに持っています」
と話してきたのです。

本当に驚きました。
天の⽗⺟様の導きを実感しました。

それ以後、教会の教育部⻑さんに我が家に来て頂き、
介護の時間に原理講義をしていただくようになりました。

毎週1回は原理講義を受けるようになり、
祝福、清平役事、感謝献⾦等、少しずつ
摂理的な話もできるようになりました。

また、1年たった頃、サモニムに和動に⼊って頂き、
家庭のこと、祝福のこと、精誠条件のこと等を話して頂きました。

その中で、「今は、介護の時間内の講義なので、
精誠として⾃分の時間を捧げるという⼼情で、
しっかり時間をとって教会で講義を受けられたらどうですか︖」
と提案していただき、⽉に1回から始め、
回数を増やしながら教会に来られるようになりました。

また、それと並⾏して、祈願書を書いたり、還元祈願礼式を⾏ったり、
また祝福感謝献⾦を段階的に捧げられました。

Mさんは最初に私と出会った頃は、夫婦関係が悪く、
離婚を考えているような状況でした。
しかし、原理を学んでいく中で、祝福の重要性を理解し、
夫に対する気持ちを整理して、
祝福を受けなければならないと考えるようになったのです。


Mさんが飛躍したのが2017年11⽉21⽇、
真のお⺟様をお迎えしての⼤阪1万人⼤会でした。
私たちの教会でもネット中継されるということになりましたので、
Mさんもその⽇、教会に来てネット中継を⾒ながら、⼤会に参加されました。

その天運をいただき、教会で参加記念に配られた紅⽩饅頭を、
家に帰ってご主人に⾒せながら、
「私の願いを1つだけ聞いてほしいです」と祝福の話を切り出しました。

話を聞いたご主人は、郵便局に勤めている⽅ですが、
勤務先の郵便局に誰かが置いていった
真のお⽗様の⾃叙伝「平和を愛する世界人」を読んだことがあって、
「その教会のことは知っている」という返事でした。
そして、彼⼥の気持ちを受け⽌めてくれました。

不思議なことにちょうどその⽇は、⼆人の結婚記念⽇でした。

年が明けて、1⽉になり、初めてご主人に教会に来ていただき、
教会⻑ご夫妻に会っていただきました。

ご主人は、もともと学校の社会科の教師だったので、
歴史や地理の話になると気持ちが盛り上がり、
4時間交流されて帰られました。

そして、3⽉18⽇に教会で、教会⻑ご夫妻の主礼のもと
既成祝福式が⾏われ、Mさん夫婦が参加されました。

ご主人は、「これが本当の結婚式だと思う」と感想を⾔われていました。
現在、40⽇聖別期間中です。

体が不⾃由になった私に祝福伝道の道を与えてくださった
天の⽗⺟様と真のご⽗⺟様の限りない真の愛と恩恵に感謝いたします。



素晴らしい証ですね。
やはり、人間というのは、心が主体で、
体が対象なのだと改めて思います。

「伝道したい!」という意欲さえあれば、
どのような状況でも、
神様が導いてくださると思うのです。

神様が私を用いてくださるように、
祈りと委ねる心情を持って、
日々、精誠を捧げていきたいと思います。








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2018年05月24日

歴史的なパラグアイ川探査、お湯が出ない船でお母様は?! 《補佐官が見た》7



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<パラグアイ川>


鄭元周(チョンウォンジュ)秘書室長の真の父母様の証し。
今回は、「パンタナール探査」です。


1997年9月20日、パンタナール踏査のために
ブラジル、Caicaras(カイサル?)のホテルに到着しました。
ホテルとは言うものの韓国の旅館並みでした。

明日から進められる歴史的なパラグアイ川の踏査に向けた準備の最後の日でした。

準備において実質的な責任はお母様が担当されます。
お父様が使われる物、召し上がる物、常備薬をお母様がすべて準備されるのです。

私は書いておいても満足にできませんが、
お母様はほとんど自動的にすべてを準備されるのです。
お母様はいつも科学的に仕事をなさり、すっきり整理なさいます。

すべてを準備した後、歴史的な踏査のために船に乗り込みました。


船のスペースはとても狭かったです。

狭い空間で川の水で沐浴をされました。
浄水されたと言うのですが、船の事情を見ると完璧な浄水は不可能でした。
お湯は想像もできませんでした。
冷たい水で入浴するととても寒いので、昼にしなければなりませんでした。

お父様がお休みになられるお部屋は、
少しでも楽に使われるようにお母様が自ら整理されました。

お父様がお部屋に入ってこられ、どこに座って勉強なさり、
トイレの使用はどのようにされるということを一つ一つ考えられて、
すべてのものをお父様が楽に生活することができるように準備なさいました。

翌日の朝、船が出発すると同時に甲板の上では訓読会で一日が始まりました。
昼も蚊と牛蝿(ウシバエ)に刺されながら
一日に12時間ずつ訓読会をしました。

手の甲に蚊が来て刺しても蚊を追い払うことができずに訓読会をしました。


1997年9月21日からパラグアイ川の最上流にあるCaceres(カセレス)を皮切りに、
パラグアイ川の踏査が始まりました。

50キロメートルの地点ごとに杭を打つのですが、そこはすべて密林地域です。

虫に刺されながらも、お父様とお母様が船から降りて直接、杭を打たれました。
杭を打ちながら「ここは私の地だ」と叫ばれるのです。
写真をお撮りになって万歳を叫ばれた後、再び船へ上がってこられるのです。

羽根のあるアリのような虫が、本当にご父母様を煩わせました。
船の中全体がその虫から落ちた羽根でいっぱいになって、
戸を開けることができないほどでした。

一週間以上をそのように生活なさりながらも、
いつもお父様を楽しく楽にしてさしあげようとする
お母様のこの上ない精誠は変わりありませんでした。


あるときは、お母様が冷たい水で沐浴して出てこられて、

「私が13人の子供を生んだものと食口たちは思っているけど、
実際は14人を生んだ。
統一教会の教会員たちのために私が死ぬ覚悟をして多くの子女を生んだ。

國進と権進の間が5年あったが、その期間に3、4度の自然流産があった。
そのときが1971年から1975年までだが、
お父様がアメリカに来られて最も困難な時期だった。

当時12歳だった孝進が、お父様を狙う者たちを見分けて
『お母さん、僕があいつらをこらしめようか』
と言うほどお父様の身辺が危ない状態にあった。

そのようなお父様に侍っていこうと、
とても緊張して自然流産するほかなかった」とおっしゃいました。

その影響で今でも冷たい水でシャワーをすると、
悪寒がして5分ほどは動くことができないと言われました。
ところが、船内ではお湯が出ないので、
冷たい水だけでシャワーをされなければならなかったのです。

毎日、疲労薬を召し上がりながらも顔に表さず、その期間を過ごされたお母様でした。



お母様はたくさんの子女様をお産みになられました。
胸痛い流産の話も初めて知りました。

そんなお母様が、今、最前線で歩まれているということが、
本当に奇跡的なことであり、
どれほど大変なことでしょうか。。。

公的な立場であるがゆえに、
ご自身のお体もしっかりとケアーしておられますが、
それ以上に、全人類を生かしていく、という
熱い思いを持っておられるために、
常に前を向いて歩まれるお母様なのだと思います。






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posted by ten1ko2 at 10:30 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月23日

お父様聖和数年で気づいた、私とお母様との違い?! 《ヨナニム》6



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文妍娥様のみ言、
続編です。


私は777双の祝福家庭に生まれた子女、二世です。
四十歳を超えました。
「お姉さんです」と言いたいのですが、
おばさんの年齢です。(笑い)

ここにいらっしゃる先輩方にとっては、
妹のような年齢です。

このような自分が、この場に立って
皆様の貴い時間を頂くことが
心苦しくもあり、申し訳なくもありました。


しかし、それでも、
真のお父様の聖和以降、
真のお母様のおそばで侍り、
そのお姿を拝見しながら、
私がどのようなことを感じたのか、
どのように変わったのかを
申し上げなければならないと、強く感じます(拍手)

なぜなら、おそばにいる私が
きちんとお母様についてお伝えできなければ、
皆様はお母様について知るために、
より多くの時間を費やし、
さらに苦労しなければならないからです。

また、私が誤解し、間違って伝えれば、
大きな過ちを犯すことになります。
それも実際、心配です。


過去三年間、
私は夫を霊界に送った者として、
真のお母様のお気持ちが
少しは分かると思っていました。
傲慢だったのです。

しかし、真のお父様の
聖和二周年が過ぎて、
そうではないことに気づきました。

孝進様が霊界に行かれた後の私と、
真のお父様が霊界に行かれた後の真のお母様では、
まず心の持ち方が違い、
生活態度が違いました。

お母様は常に前進されました。
全世界の子女のために、
ご自分は何を準備するかを考えながら、
日々、精誠を尽くして過ごされました。

一方私は、個人的に愛すべき
五人の子女をまともに守ってやることもできず、
「とにかく生きなければならない。
まずは自分自身がしっかりしよう」
と考えながら、多くの時間を費やしていたのです。

そんな私も、五、六年過ぎる頃から落ち着いてきました。
そして「孝進様が霊界に行くことによって、
私の子供たちは心情的、心理的に、
母親まで一緒に失ってしまったのだな。
私が子供たちを孤児にしてしまったのだな」
とようやく気づいたのです。



お母様って、本当に素晴らしいですね。。。

妍娥ニムも同じ立場に立って、
改めてお母様の素晴らしさを実感されましたが、
客観的に見つめるのではなく、
主観的に見つめることが重要なのだと思わされます。

お父様が聖和されたことは、
お母様にとってはどれほどの心の痛みでしょうか。。。
しかし、どんな困難があっても、
前進していかれるお母様です。

「中断なき前進」というみ言をすぐに語られたお母様。
私たちを本当に子女として見つめ、愛しておられる、
真のお母様に心から感謝いたします。






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posted by ten1ko2 at 09:10 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする