文妍娥(ムン ヨナ)様のみ言、
「学んでも学んでも到達できない
真のお母様の深い愛と心情の世界」続編です。
☆
真のお父様が、天の父母様と「私」の関係、
父母と子女の関係において協調された、
重要な三つの点があります。
それは、1962年に良心について
語られたみ言の中で教えてくださったものです。
その一部を訓読いたします。
☆
「永遠に残らなければならないのは、
一つの世界を成し遂げるための神様の
願いであることを知らなければなりません。
一つの世界を中心として、
神様がここにおいて天下万民を中心に、
神様が通じることを願うし、
事情だけでなく、愛したいという、
そのような非常に大きい
創造理念があるというのです。
ですから、永遠に残るべきもの、
私たちは逝ったとしても
残していくべきものは何でしょうか。
「願い」です。
残していくべきものは何でしょうか。
「事情」です。
残していくべきものは何でしょうか。
「心情」です。
この三つは、永遠に存在しなければなりません。
そのような境地から見るとき、
私たちが改めて考えるべきなのは、
『神様、あなたの願いは成就しましたか。
あなたの事情は通じるようになりましたか。
あなたの心情を中心として
喜ぶことのできる
立場にいらっしゃいますか』ということです。
神様の願いを成し遂げて、
何をしようというのでしょうか。
神様の事情に通じること、
そして、神様の心情に通じること、
これがすべてです。
最後の答えは、これなのです」
☆
皆様、その三つとは、
願い、事情、心情です。
この三つを知ってこそ、私たちは本当に
「父母と心が通じている。
父母のことを知っている」
と言えるのだと思います。
天の父母様と真の父母様の
願い、事情、心情とは
どのようなものでしょうか。
皆様が一日を始めるに当たって、
この三つを持って祈り、
天の父母様と真の父母様に報告するだけで、
恐らく皆様は何か
新しいことを感じるようになるでしょう。
☆
妍娥ニムが紹介してくださったお父様のみ言。
これは本当に重要なみ言です。
妍娥ニムがみ言を熱心に訓読され、
求めていかれた結果、
このようなみ言が与えられたのではないかと思います。
願いと事情と心情。。。
神様の願いは何か、
事情は、心情は。
このことを尋ね求めることが
日々の生活、特に祈りの中で、
最も重要なことなのではないかと思います。
徳野会長も、真の父母様の
願い、事情、心情を求めていけば、
絶対にずれることがない、
そのように強調されます。
貴いみ言を何度も訓読しつつ、
また、深い祈りを捧げていきたいし、
妍娥ニムもそのようにしていかれたので、
「新しいことを感じ」られたのだと思います。
〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜
いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。
大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。
*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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