金元弼(ウォンピル)先生のみ言。
質問応答の続編です。
☆
伝道と家事、育児の両立について
伝道と家事、育児の両立について
質問:育児や家事と伝道の両立、信仰のマンネリ化について
どうしたらいいのか教えてください。
育児、家事は伝道のプロセスです。
それを通して神の心情を相続する場です。
子供が生まれて八日目に奉献式をするように、
子供は自分の子供ではなく、神の子女であり、
真の父母の子孫であると考えなければなりません。
また、子供は全世界の人々を縮小した立場であり、
先祖たちの結実であり、将来の子孫の先祖となります。
その子供の中には、私が復帰しなければならないすべてが入っているのです。
子供が泣いていたらほうっておかないで、
だれから言われなくても面倒を見るでしょう。
しかしこの時、何も聞いてくれないし、
自分のことばかりしていて母親の気持ちを分かってくれない子供を
自分の子供だと考えないで、すべての人類、
またこれから生まれる人類の縮小体だと考えてください。
☆
私たちは、内的に神から親の心情を受け継いでいる者であり、
世の中の人々に対してアベルの立場です。
アベルというのは、兄弟でありながらも、
カインに対して親の心情を受け継いだ人のことをいうのです。
ですから世の中の人たちに対して、私たちは自分の子供のごとく
とらえて接していくことができるというのです。
自分の子供を世話するような心で、その人たちにも接していくのです。
子供が言うことを聞かない時には、私が伝道に行った時に
受け入れてくれないカインの人々のことを考えるのです。
自分の子供なら、自分の気持ちを分かってくれなくとも
関係を切らないで尽くしていくように、
霊の子となる伝道対象者にも
親の心をもって尽くしてあげないといけないということです。
それと同時に、神と真の父母が私たちをどのように許し愛してくれたかを、
育児を通して分からせるために私たちに子供を与えたのです。
ですから育児によってその心情が分かったら、
世の中の人にも同じような心情で尽くしていくことができるようになります。
☆
家事にしても同じです。
家には主人や子供がいて、掃除をしたり食事を作ったりしなければなりません。
家の中のことをするときに、世の中のこと、国のこと、
教会のこと、そして天国のことを思い浮かべながら、
神と真の父母はどのようにされるのだろうかと考えてみなさい。
食事を主人と子供のために作るだけでなく、
神と真の父母と子女様のために作るとしたら、どういうふうに作るでしょうか。
パッパッと今までのように作るでしょうか?
時間がないので速度は速くなるにしても、心情を込めるようになるでしょう。
皿を洗うにしてもサッサッとなるでしょうか、きれいに洗うでしょうか?
そして皿に傷がついたとすれば、それは使わないようになるでしょう。
どうして神と真の父母の前にそういう割れ目のある皿を使うでしょうか。
ですから家事を通して、神と真の父母の心情をすべて受け継ぐことができるのです。
先生が、説教をする時にはその三倍祈って語るようにしなさいと言われたように、
家事を通して得た霊の糧を人々に与えることができるのです。
ですから家事や育児をする時も、心を込めてやりなさいというのです。
信仰生活についての質疑応答
1989年6月22日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
1989年6月22日
ドイツ・カンベルグ修練所(日本人修練会)
☆
日々の生活で、神様と真の父母様に
侍る生活というものがどういうものなのか、
具体的な指導をいただいたようで、
本当に感謝です。
目の前に真の父母様がおられなくても、
家事や育児においても、
侍る意識をもって、対していきたいと思います。
〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜
いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。
大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。
*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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