2018年06月12日

お母様の祈りはダンベリーを聖別した! 《金孝律元補佐官》1



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今日から、元お父様の補佐官、金孝律(ヒョウユル:ピーターキム)先生の
「刈り入れ人のお母様」を紹介します。
最初はダンベリーでのご父母様の貴重な証しです。



ダンベリーの時期のお母様

資格もない身で私は「ダンベリーの門番」という名誉な名札をつけて、
1984年7月から1985年8月まで13ヵ月間、
ダンベリーの丘を見守って、真のお父様の獄中のお世話に命をかけました。

皆が良い結果が出るとばかり期待していた
アメリカ連邦最高裁判所の最終判決が、
上告棄却という青天の霹靂のように急変して、
イーストガーデンを悲しみと悲痛のるつぼの中に追いやった
1984年5月を、私は決して忘れることができません。

お父様の入監日が7月20日に決定しましたが、
私たちはそれでも一抹の希望を担当判事のグーテル(G. Goetel)の結審にかけて
徹夜祈祷で天にすがったのですが、結局一寸先を見通すことのできない
私たちの姿であることを自認することになってしまいました。

ついに7月20日は迫り、歴史の車輪が
逆に回転するかのようだった一瞬間も過ぎました。

お父様にお目にかかるにはイーストガーデンではなく、
ダンベリーの監獄に訪ねていかなければならない冷酷な現実に直面したのでした。

夜11時が過ぎてお父様は、刑務所の門に入っていかれましたが、
入監の手続きを終え、囚人服に着替えられた後、
本館の建物を出られ、宿所であるキャンプに上がっていかれたのは、
真夜中の1時が過ぎた後でした。

かなりの間、外で待っていた私たちは、刑務所の警備員たちの催促に勝てず、
しかたなくお母様をお連れして近くのモーテルに移った後、祈祷に入りました。


私はその晩のお母様の祈祷の声を、今でも忘れることができません。
あとで、お母様のその晩の祈祷を録音しておけなかった
不甲斐ない私自身をどれほど嘆いたか分かりません。

ご自身の愛する夫としてではなく、6000年の天の摂理を完結すべき
人類の真のお父様であられる使命と生涯について
涙で天の前にすがるお母様の玉のような声は、
廊下で番をしていた私の胸を涙の洪水で覆いかぶせてしまったのです。

一言ではらわたをえぐるような絶叫に近い訴えであり、
悲壮な哀願でした。

このようにお母様の徹夜祈祷の声は、
サタンの黒い雲で覆われたダンベリーの地を聖別して、
お父様の13ヵ月のダンベリーでの囚われの身の生活を
勝利で結実させた原動力になったことを、私は今でも確信しています。

私が神様だったとしても、お母様のその晩の祈祷は
涙なくしては受けることができなかったことでしょう。
「おまえの祈祷をすべて聞いてあげるから、どうか泣かないでおくれ!」
と、かえって神様がお母様にお願いをせざるをえなかったことでしょう。


このように始まったダンベリーの13ヵ月! 
雨が降っても雪が降っても、
毎日ダンベリーの坂を上り下りされたお母様の姿は、
美しくて聖なる女性像そのものでした。

3歳の情進様の手をつないで車から降りると、
既に坂の上に立って待っていらっしゃるお父様に向かって手を振られて、
明るい微笑で周囲を明るくなされ、坂道を登られた、
厳冬の暖かい太陽のようなお姿でした。

お父様は毎朝早くこのように丘まで出てこられてお母様を待っていらしたものです。
くすんだカーキ色の囚人服を着て、
髪を染めることができず白髪混じりの姿で、
寒風が吹きつけるダンベリーの坂道の上に立って、30分でも構わず、
ある時は1時間以上も待っていらっしゃったお父様でした。


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(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より)


「統一教会の本部をダンベリーに移す」
そのように語られながら、アメリカを愛していかれた
お父様のことは、よく伝え聞いていますが、
お母様についての証しは、詳しく聞くことがあまりありませんでした。

金孝律先生が悔やんでおられるように、歴史的なお母様の祈祷も
録画されていませんでした。
今でこそ公式に記録されることが通常になったお母様の様子ですが、
それまでは、あまり注目されることもなかったのでしょう。

お父様のダンベリーでの過酷な生活も、
お母様と情進様の存在が
どれだけ大きな力になったことでしょうか。

どんな環境にあっても、
真の愛の実践をしていかれる真の御父母様。。。
私たちも相続していきたいと思うのです。

金孝律先生の証しは、不定期に続きます。
お楽しみに。





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金孝律(キム ヒョウユル):ピーターキム先生
1947年全羅南道長興に出生、1965年入教、
フィリス・キム(Phyllis Kim)さんと777家庭祝福を受ける。
1966年から牧会と協会本部文化部に勤め、
1970年から文鮮明先生の補佐官として仕事をする。
1990年以後には世界巡回講演など公的な席上で先生の英語の通訳を務め、
1994年からは米国ニューヨーカーホテルの社長として経営能力を発揮される。



※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
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posted by ten1ko2 at 07:29 | Comment(1) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

訓読会の伝統は、どこから始まったか?! 《補佐官が見た真の母》最終回



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鄭元周(チョンウォンジュ)総裁秘書室長の証し。
今日が最終回になります。


お母様はどのみち一度経なければならない更年期の憂鬱症も
お一人でかみしめて苦痛を忍ばれました。

ご自身の苦痛を考えられる前にお父様のことを考えなければならず、
ご子女様たちの困難を解決されなければなりませんでした。

大変でお一人で苦痛を受けられても、
何事もなかったかのように美しい微笑でお父様に対され、
耐えきれず涙を流されても慈愛に満ちた愛の眼差しで
ご子女様たちとお孫様たちに対されました。

24時間終始、お父様の傍らでお父様の健康のために
最善を尽くされるお母様、ご子女様たちの困難を見られながらも、
ご一緒にいることができず、神様とお父様のみ旨だけのために
すべてのことを後回しにされたまま、お父様と共に歩まれなけれはならない
お母様の困難な路程を見守りながら、
私はそのお母様がどれほど感謝であるか分かりません。

そのかたがおられたからこそ、今日の私たちがあり、また天一国を迎え、
天一国の主人として登場することができるのではないでしょうか! 
きれいで美しい私たちのお母様がすでに60を迎えられるようになり、心から慶祝を捧げます。

21年のイーストガーデンでの生活の中で、ご父母様に侍って訓読会を通して、
私は本当に霊肉合わせて成長したと自負しています。

訓読会の伝統は、すでにかなり前からご父母様が立てられてきました。
私がイーストガーデンに入る前からももちろんありましたが、
私が入った1983年から、明け方4時や5時になると決まって
お父様の前でみ言集を2、3時間ずつ読んでさしあげました。

1986年からは、み言を録音して聞かせてさしあげました。
一日も欠かさずにそのような生活をしてきた中で、
1997年から公式的な訓読会の伝統を立てられることになったのです。

ご父母様はそのようにみ言に酔って生きてこられたかたです。

すでに私の息子のワギョンが大学二年生になり、
娘のマウォンドが中学二年生になりました。
神様と真のご父母様の愛の中で立派に成長させてくださり、心から感謝を捧げます。

またカトリックの信仰を土台として成長しながら
イエス様の十字架を代わりに担うことができなかったことを常に残念に思い、
自分が大きくなってイエス様が再び来られたならば、
そのときに侍るのだと誓って育ったという、
それでこの時代にご父母様に侍ることになったのを限りなく感謝して栄光と考える、
愛する夫のマイケルと共に、ご父母様の家庭に
最もお近くで侍ることのできる特恵を与えてくださったことに限りない感謝を捧げます。

ご父母様にあまりよく侍ることができなかったことを悔い改めると共に、
残った時間もご父母様の家庭のために最善を尽くすことを誓います。



以前から聞いてはいましたが、訓読会の伝統は、
すでに真の父母様ご自身が立てて来てくださったのでした。。。

み言の訓読、というと、
精誠条件、という風に思ってしまいます。
もちろん、貴い条件であることに変わりはないのですが、
真の父母様は、み言に酔っておられるのだ。。。
そのように実感します。

真の父母様が立てられた、み言訓読の伝統、
私たちも守っていきたいと思います。
鄭元周室長、貴重な証し、ありがとうございました!





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2018年06月10日

(伝道の証し)お母様と共にワクワクしながら歩みました!



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釣りをされるお母様 麗水(ヨス)☆


伝道の証し。
今回は、新規伝道と氏族伝道の証しです。



<前線で出会った対象者>

私は昨年11 月7 日、教区合同の伝道前線活動で
⻘年のKさんと一緒に歩み、29歳の主婦Sさんに出会いました。

前日は「良い⼈に出会えるだろうか」という不安で葛藤しましたが、
真のお⺟様が
「全⼈類に真の⽗⺟様を知らない⼈がいないようにしなさい」
と言われたみ言を思い出し、良く祈って休みました。

Kさんと一緒に前線に⾏く途中、区域のお⼦さんを
⻘年部にいかに繋げるかという話しをしながら⾏きました。
結論は、基台と⻘年部がいかに一つになって歩むかがポイントで、
それによって証しが出ていると聞き、わくわくしながら歩みました。

前線で出会ったSさんは、⻘年部に繋げたいと
話していたお⼦さんに良く似た感じの方でびっくりしました。

Sさんは島根からお嫁に来て友達もなく寂しくしておられ、
叔⺟さんからある新興宗教を勧められて、
「他の為に祈ったら凄く良い事がある」と実感している事を話されました。

新規講演会から教育センターで受講されようになり、
「〇〇(新興宗教の名前)と比べ実生活にマッチしている所が良い」と、
週1回学ぶようになりました。

スタッフに話しを聞いてもらいながら正しい方向に導いていただく事が、
今の自分に必要だと感じて通っています。
書写も始めて4月の書写奉納式に参加されました。

まだお⼦さんもおられないので
一日も早く祝福にも繋げていけるようにと思っています。

先日、⻘年のKさんとアフターケアの訪問に⾏きご主⼈ともお会いしました。
ご主⼈はKさんの笑顔を⾒て、「あの笑顔はどこから来るのか」
と言っていたそうです。

ご⽗⺟様を笑顔で証して下さったKさんに感謝しています。



<氏族伝道の証し>

以前から、両親の所に2か月に1回くらい来ていた
おじ夫婦と顔を合わせてはいましたが、
伝道を意識し始めたのは、今年の3月になってからでした。

私は、両親と一緒に毎朝書写をしていたので、
おじ夫婦と5⼈で書写をする機会を持ちました。

おじ夫婦は、喜んで毎日毎日書写をし、
「もう紙がなくなった」と言ってこられたり、
「愛天愛⼈愛国」と書く時には一枚に3回書いたりしていました。

霊界が喜んでいるのを感じました。

特に、おばさんは幼い時に⺟親と死別していましたので、
書写奉納式で上映された真のお⽗様の自叙伝DVD を⾒て、
涙を流されていました。

先祖が待ち望んできたのだということを感じました。

おじ夫婦は4月の奉納式、ファミリーフェスティバルと参加しました。
今回5月の奉納式の日は、娘の体育祭のために私が参加できないので、
おじ夫婦の参加をどうしようかと不安に思っていましたが、
婦⼈代表から「基台の誰かに繋いで一緒に参加してもらったらよい」と言われ、
同じ基台のご夫婦の⾞に乗せて頂いて無事に参加できました。

会場では同じ基台の婦⼈の横に座らせて頂きました。
以前、我が家での基台書写会でおじ夫婦と顔合わせも
出来ていましたので、天の導きを感じました。

主⼈とも、おじ夫婦は高齢なので早く祝福に導きたいと話しております。
神氏族メシヤもまずは夫婦が一つになることが大事ですので、
まだまだ途上ですが、誠を尽くして歩んでいきたいと思っています。

今回、このようにして皆様に助けていただきながら
少しずつ伝道が進んでいることに心から感謝しております。

これからも助け合ってウリヌンハナダで
多くの方を天に繋げていける様頑張って⾏きます。
ありがとうございました。


私たちは一人で歩むのではなく、
神様と共に、兄弟姉妹と共に一つとなって歩むときに、
神様が多くを準備してくださっていると感じます。

何よりも、お母様のみ言を胸に休み
お母様の願いと一つとなっていかれました。

また、証しを読みながら、
喜びの心情で歩むことで、
導かれていくのだな、と思いました。

今は時代圏が全く違います。
天一国時代に入りましたし、さらには、
霊界の協助も格段に違います。

自信と確信をもって、
さらには、喜びの心情を持って、
堂々と真の父母様を伝えていきたいと思うのです。





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〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜

いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。

大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。

*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます



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