李成萬副会長の寄稿文、
「世の中で最も美しい言葉 オモニ」から
『私が見た真のお母様の一日』のその2を紹介します。
☆
アメリカの感謝祭の日に当たる
2014年11月30日、天正宮博物館の訓読室で
忠孝家集会が開催されました。
そのとき、真のお母様が
「私は何歳に見えますか」と質問されました。
そして自ら、「46歳だと考えています」とおっしゃいました。
当時、満71歳であられましたが、
なぜそのようにおっしゃったのでしょうか。
世界平和青年連合の会員の年齢が48歳までです。
ですから、言い換えれば、真のお母様は今、青年のように
毎日旺盛に活動していらっしゃるという意味です。
そして、今後なさることが
それだけ多いということであり、
その摂理を成し遂げるためには、
いつまでも若者のように
健康でなければならないというお話です。
☆
真のお母様が侍墓(シミョ)三年精誠を
ささげられていたある日のことです。
真夜中に私のスマートフォンの
カカオトークの通知音が鳴りました。
その音で目が覚め、確認してみると、
懇意にしている天正宮博物館の職員が
写真を一枚撮ってリアルタイムで送ってきたのです。
時間は午前1時か1時半です。
満月でとても明るい夜でしたが、
真のお母様が天正宮博物館の一松亭(イルソンヂョン)
の下で黙想される場面でした。
私はその写真を見た瞬間、
ぱっと飛び起きて、ひざまずかざるをえませんでした。
目からは、すぐに熱い涙が流れ落ちました。
真の父母の子女であるはずの私が、
足を伸ばしてぐっすりと眠っているのに、
真のお母様は真夜中でも
安息することがおできにならないのです。
何か、おありなのだろうか。
何を心配していらっしゃるのだろうか。
どんな説教よりも強いメッセージでした。
ほかの言葉は必要ありませんでした。
真のお母様のご心情と
ご事情を少しでも知っているのか?
写真一枚が私の胸を熱くし、
私の魂を掘り起こしました。
お母様には夜も昼もない毎日だったのです。
☆
今年の2月11日は小正月、すなわち天暦1月15日でした。
月が一年のうちで最も明るく、大きな日でもあります。
真のご家庭と指導者たちが真のお母様をお迎えして、
清平にあるヘブンGバーガーの屋上で
夜遅くまで月見をしました。
寒い夜だったので、より一層記憶が明確です。
翌朝7時、天正宮博物館の朝礼に参加しました。
真のお母様は、「昨夜、衣装だんすを
整理しながら徹夜をした」とおっしゃいました。
そして、聖衣30点余りを入れたかばんを出してくださいました。
日本の忠孝家と、苦労する食口たちを
心配されながら、夜を明かされたのです。
「私は24時間休む暇なく考え、動いています。
全祝福家庭と74億人類のためにです」とおっしゃいます。
天の父母様と真のお父様の理想実現のために、
一瞬一瞬、切迫した生活をしておられます。
寝ても覚めても、座っても立っても、
ただ天の父母様の夢、み旨成就のために
完全投入の日々を過ごしていらっしゃいます。
文字どおり、一日を千年のごとく、
千年を一日のごとく暮らしていらっしゃるのです。
☆
真夜中の一松亭で、
深い瞑想をしておられる真のお母様。。。
神様だけにしかわからない、深い心情をもって、
神様と対しておられるお母様だと感じます。
46歳と考えて歩まれるお母様は、
健康にも気を付けておられると聞きました。
先日も、ウィーン大会で、早朝散歩をされる時、
同行したバルコム会長などは、
お母様についていくのが大変だったとか。
天一国時代を迎え、内外共に健康で、
また、天を中心とした歩みを
ささげていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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