鄭元周(チョンウォンジュ)総裁秘書室長の証し。
続編です。
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韓国40大学での講演会と世界巡回
韓国40大学での講演会と世界巡回
1992年の第2次日本8大都市巡回講演も
アラスカで突然決定されましたが、
そのときは日本語で話されなければなりませんでした。
頻繁に使われるわけでもなく、熟達した日本語でもないのに、
東京ドームのような大きな会場で講演しようとされるので、
どれほど準備が大変だったでしょうか。
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その大会を終えてすぐに韓国40大学の巡回講演をされました。
韓国のキャンパスはざわついており、きわめて緊張した雰囲気でした。
お母様にお供して巡回した中で、高麗(コリョ)大学 Korea Universityと
嶺南(ヨンナム)大学Yeungnam Universityの事件は本当に深刻でした。
いつどの瞬間にどのようなことが起こるか分からない状況でした。
嶺南大でお母様がみ言を語られる間、外では
その大学の学生たちと私たち原理研究会の学生たちが衝突していたのです。
20分近くみ言が伝えられている最中、
学生たちはほぼ押し入ってきて、場内は騒然となりました。
とても防ぐことができず、金奉泰会長がお母様をお連れして退場しました。
その渦中にあってもお母様は、状況が騒然として止むを得ず途中で終えるので、
残りの部分は家で読んでくださるように、
とお願いすることをお忘れになりませんでした。
お母様は何としても終えてから行かなければと言われて拒まれましたが、
事態が次第に深刻になったので、どうすることもできなかったのです。
車でお父様と電話で話し、状況を説明されながらも、
かえってお父様を慰労なさいました。
このような場合に指導者たちがお父様に心配をかけることを考えて、
常にうまく説明なさるお母様であられます。
またそのような状況の中で、お父様ではなく
お母様であったことが幸いだと考えられるかたがお母様であられます。
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1992年にはアメリカ8ヵ都市、
ヨーロッパ8ヵ都市の巡回講演も始まりました。
93年春には、お父様がアメリカ12ヵ都市を巡回講演をなさった基盤の上に、
お母様の32ヵ都市巡回講演と
その年の9月7日に、アメリカ国会での講演も進行されました。
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講演文は通常、このように準備されます。
み言の原稿草案をお父様が決められると、お母様が仕上げられるのですが、
英語の原稿の場合にはご子女様が翻訳を助けてさしあげます。
その原稿を自信がつくまで読んで読んでまた読んで勉強するお母様であられます。
ボリビアの首都ラパスは海抜四千メートルの高山地帯なので
酸素呼吸器を舞台のそでに待機させておいたこともありました。
また、講演が終わった後、とても厳しい状況でも
遠くから来た食口たちのことを考えて、
祝勝会の場でみ言を続けられたこともありました。
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ヨーロッパ巡回の講演の途中で、風邪でのどを痛めて
咳をされていたことがありました。
そのとき、元国家元首が出てきてお母様にのど飴を渡してさしあげたのです。
「サンキュー」と言われて、微笑とともにその飴を
お口に入れて講演されたことがありました。
東洋人として英語で講演なさるお母様の姿を見れば誰でも助けたくなります。
お母様を前にして敵対感を抱く者は誰もいません。
お母様にお目にかかれば誰もが心が溶けるのです。
誰もが、お母様に会うと愛によって溶かされるのです。
(2003年4月発行の著書より)
☆
お母様のスピーチの時、
途中退場せざるを得ない、
そんなことがあったのか、と初めて知りました。
しかし、そういう時でも、動揺されず、
むしろお父様でなく、私で良かった、と、
そのように解釈される真のお母様。
どんな時にも神様を思い、
そして、真のお父様のことを
何よりも第一に考えられるお母様。
私たちも相続しないといけないですね。。。
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
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過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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