皆様もご存知のように、昨日は、米朝首脳会談がありました。
世界中がシンガポールに注目しました。
26年前、真の父母様が北を訪問し、金正恩の祖父である
金日成と会談したことを思い出します。
また、68年前、南北の境界線でのお父様の祈り。。。
真の父母様のこれまでの精誠が
すべて結実しつつあるのを感じるのです。
過去ログから、お父様のみ言を二つ紹介したいと思います。
☆
私は、38度線を越える時に
祈祷した言葉を忘れません。
「天の父よ! 私は韓国の地に行きます。
私は北韓に来てみ旨を成すことができずに
敗者のつらさをもったまま、
獄中の身を免れることができませんでした。
そして今、追われる群れの歩みに従って
南に行きます。
しかし、またこの地を
訪ねてこなければならないことを知っています。
たとえ私が、38度線の北側に行くことができなくても
私の思想を植えて後孫を行かせます。
彼らが行くことができなければ、
私に従う弟子を送って行かせます」
と、そのような決心をしてきたのです。
そして十年の歳月を一日のごとく、
今まで戦ってきたのです。
私が天の前に誓って出発した歩みは
皆さんとは違うのです。
両手で38度線の土をすくい、
「必ずこの手で共産党を消化し、
何年かのちには必ず戻ってくる」と決意しました。
「私のこの手で自由世界を収拾し、
糾合して、北韓を解放するぞ」
と祈祷したのが、昨日のことのようです。
38度線に両足でまたいで立ち、泣きながら
「南北を私の手で統一します」と誓いました。
目に涙をためて祈祷したことは、
一緒に来た人も知らないのです。
私が悲しみを残して、私のために精誠を尽くした
故郷にいる母と父と兄弟を後ろに残して来ながら、
「この親不孝者が再び帰ってくる日を
待っていてください、
死なずに待っていてください」
と念じ、北韓の地を離れてきたことを、
私は忘れないでいるのです。
☆
文総裁でなければ、世界、南北韓の統一は
成し遂げることはできません。
南韓の国民も90パーセントはそれを認めています。
文総裁でなければ、
統一の門を開くことはできない
ということを知っているのです。
分かりますか?
以前、先生が金日成に会いに行こうとしたとき、
父母の墓前に行って姉と妹が痛哭しながら、
「お父さん、お母さんが願っていた
お兄さんが来ました」
「弟が来ました」という、
哀切な声を聞きました。
人であるならば涙を流さざるを得ない場面です。
しかし、わたしがそこに行ったのは、
息子としてそこに行ったのではありませんでした。
南北を統一することのできる偉業を中心として見るとき、
どれほど悲惨に死んだのか分からない
北韓の墓場に埋められている多くの息子、娘がいるのに、
自分の父母の墓前でかわいそうであるといって
涙を流すことはできないのです。
姉や妹がそれを見るとき、
わたしはこのように祈りました。
「父母様、申し訳ありません。
わたしは公人として来たので、
これはしかたがありません。
わたしが南北統一を成して、
天下全体万国がやってきてから、
お母さんの眠っておられる場に訪ねていき、
息子の責任、孝子の責任を一度、果たします。
万国の分裂した嘆息の国家が統一され、
神様をお迎えして
万民の祝福を祈ってあげることのできる
統一の王国を建設してから
お母さんに侍ることによって……」
先生は、生涯で親孝行を一度もできませんでした。
父と母にポソン(韓国式足袋)一足も
買ってあげられませんでした。
しかし、今まで統一教会の数多くの人々には
服も買ってあげ、家も買ってあげ、
さまざまなことをしてきたのです。
しかし、先生の一族には何もしませんでした。
(「三・十節」の御言より 1999年9月10日
京畿道九里市水澤洞、中央修練院大講堂)
京畿道九里市水澤洞、中央修練院大講堂)
☆
昨日、そのような時を迎え、
ちょうど、路傍伝道の日でしたが、
出発式の代表祈祷で、
上のお父様のみ言を思い出し、
嗚咽するような祈りになってしまいました。
南北が分断された時、
38度線をまたいで、涙を流して、
南北統一のために祈られたのは、
真のお父様しかおられなかったでしょう。
そして、奇跡的に北朝鮮を訪問した時、
愛する父母の墓を前にして、
公人として、南北統一を果たす前に、
涙を流すことができないと決意される方は、
真のお父様以外にはおられないに違いありません。
真の父母様の熱い思いが、
様々な壁を乗り越えて、
このような時に至っているのだと、
思わされてなりません。
かつてお父様は、
「南北統一は、世界統一より難しい」
そのように語られました。
与えられたみ旨を果たすことが、
南北統一に繋がることを信じて、
歩んでいきたいと思うのです。
38度線での祈祷についてはこちらの記事を
三十八度線を両足でまたぎ、泣きながら
南北統一を誓った日〜北韓解放記念日62周年
※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
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曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
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