2018年06月16日

ダンベリーの面会室が天国に変わった?! 《お母様の証し:元補佐官》2



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金孝律(ヒョウユル:ピーターキム)先生の
真のお母様の証し、「刈り入れ人のお母様」続編です。


最初はお父様と神山会長だけだった「お迎えの摂理」が、
日がたつにつれて次第に華やかになっていきました。
ある時は十人余りの(囚人の)弟子たちが共に立ってお母様を迎えたりもしました。

お父様は囚われの道を自ら求めていかれ、
地獄の底までお救いになる摂理的な条件を積んでおられたのですが、
毎朝そのように外に出てこられてお母様をお待ちになるというその日課が、
本当に価値あることだったに違いありません。

限られた自由圏内ではありますが、それでも毎日誰かを待つことができ、
愛する妻に会うことができるというのは、囚われの身となっていたお父様にとっては、
最も価値があり貴い日課だったに違いありません。

面会室での姿が今でも私の目に鮮やかに浮かびます。

50坪足らずのセメントコンクリートのフロアに三流飲食店で見かけるような
テーブルと椅子が30個余りあちこちに置かれており、
片方には自販機が2台置かれていました。

ドアをあけて入ると看守が座っており、
持ってきた所持品などをいちいち調べたりしました。


ぎくしゃくしていた初めの数日間が過ぎると、
そこの看守たちも穏和で慈愛に満ちた姿に感化されて、
お母様に対してはそれなりの配慮を示し始めました。

とくに情進様のかわいらしい愛嬌には、
彼らも警戒の心をほどくしかありませんでした。

自販機でジュースを一つ買って、とことこ*歩いていって、
「Hi, Mr. Tinell! You want this?
(ティネルおじさん、このジュース召し上がりますか?)」
と言いながら、看守のおじさんの半ば硬直した顔に
ぱっと笑いを与えたりした3歳の情進様でした。

その当時、ダンベリー刑務所は、全国的に散在している
45ヵ所の連邦政府所属刑務所の中の一つであり、
服役囚の数は1000人余りでした。

その中で麻薬犯が35パーセントを越えていたので、
面会室を守って監督する看守の責任もたやすいものではありませんでした。

面会に来るすべての人々の所持品をいちいち検査して、
麻薬類や銃器の流入を防いで、できれば面会者たちと
服役囚たちとの対話までも耳を傾けなければならない
二重の責任を負っている彼らでした。

今はどうか分かりませんが、その当時、
ダンベリー刑務所の収監者たちの平均年齢は34歳で、
お父様がいらっしゃったキャンプには
とりわけスペイン系の人がたくさんいました。
ほとんどが麻薬犯でした。

このような雰囲気(見ようによっては凄じい)の中で、
お母様と情進様の出現はすべての人々の喜びであり羨望の的でした。
私たちは情進様を平和の天使と呼びました。


面会室には一切食べ物を持って入ることができませんでした。
朝8時30分には間違いなく面会室に入られるお父様! 

刑務所の中で床掃除をなさったり、台所の掃除をされて、
歩いて出てこられる憔悴したお父様を見るたびに、
私は我知らずどっとあふれる涙を隠すために、
席から立ってトイレに隠れたりしたことが思い出されます。

まして、そのようなお父様を拝見しても、
つねに一貫して笑顔で接しておられた
お母様の心はどれほどだったでしょうか。

もしかしてお父様が心を痛められるのではないかと、
込み上げてくる悔しさと怨めしさを抑え、毎朝、
自販機の紙コップのチキンスープに人参エキスをたっぷり入れて、
明るい笑顔とともにお父様に差し上げていたお母様のその姿! 

お父様が全部飲まれずにコップを置かれたならば、
再びコップを持ってお父様に最後まですべて飲むように勧められた、
そのお母様の細やかで愛らしい姿に、私は天国を見ました。

生きておられる聖霊が、現れたメシヤを
どのように侍られるかを数多く目撃して感激しました。


このようにダンベリーの時期のお母様は、
あらゆる悔しさと怨めしさを内にかみしめ、
ひたすらお父様の慰安と健康のために心血を注がれた
慈愛に満ちたお母様であり、完璧で絶対的な妻でした。

刑務所の規則のために、お母様が面会にいらっしゃらない日のお父様の姿は、
どこか寂しく見えて、面会室までがらんとしたような気分でした。

横でお供をして過ごす私も、ただただ身の置き所がなく、
たじろぐことが一度や二度ではありませんでした。
お母様の代わりにサンドイッチとチキンスープを買って差し上げる私の手は、
申し訳なさと恥ずかしさばかりで、全く自然なところがありませんでした。

お伺いしたことはありませんが、お父様は今でもダンベリーの時期を考えれば、
たぶん一番先にお母様のその細やかで愛らしいお姿が浮かぶのではないでしょうか。

3歳の情進様の手を握って明るく笑われ、お父様が慕わしくて
坂道を急いで登っていかれたその愛らしい妻の姿ではないでしょうか。

面会を終えて坂道を下りていかれながら、
涙を飲んで再び後ろを振り返られ、
愛情いっぱいに手を振られた
情の深い恋人のその姿、お母様ではないでしょうか。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『刈り入れ人のお母様』)

*元の翻訳は「よちよち」
文責:ten1ko2


ダンベリーで、お父様のお姿を見つめ、
笑顔で対されるお母様。。。
お父様の前では、決して涙を流さなかったけれど、
陰では、どれだけの涙を流したお母様だったでしょうか。
お二人のやり取りを想像するだけで、
胸が熱くなります。。。

どんな時にも完全投入され、
さらには、真の愛を貫いていかれた真の父母様。
どんな環境にあっても、
み言を実践していかれる
真の父母様に心から感謝いたします。






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金孝律(キム ヒョウユル):ピーターキム先生
1947年全羅南道長興に出生、1965年入教、
フィリス・キム(Phyllis Kim)さんと777家庭祝福を受ける。
1966年から牧会と協会本部文化部に勤め、
1970年から文鮮明先生の補佐官として仕事をする。
1990年以後には世界巡回講演など公的な席上で先生の英語の通訳を務め、
1994年からは米国ニューヨーカーホテルの社長として経営能力を発揮される。


※ このブログは、
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〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜

いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。

大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。

*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます



posted by ten1ko2 at 09:42 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする