史吉子(サ キルジャ)先生のみ言、
「原理に関するみ言の証」より、
『霊人体の成長と完成』の続編です。
☆
お父様がおっしゃるには、
そんな(霊人体が明るい)人が地上から霊界に行く時に、
子供が父(神)を訪ねていく前に、
父が先に訪ねて来て
その子供を連れて行くと言われました。
「愛する息子よ!娘よ!
地上ではお前と親しく過ごせなかったが、
お前は神様を愛し、
人間を愛し、万物を愛し、
多くの精誠を尽くして来たのだなあ。
もう永遠に私から離れないで、
私と一緒に暮らそう」
と言いながら連れて行かれるそうです。
ですから、神様は公平であられるのです。
たとえ地上ではお父様の近くで侍って
暮らすことはできなかったとしても、
霊界では一緒に暮らすことができるのです。
☆
このみ言は、地上で一度も父母様に
侍れなかった食口たちには、
大変な慰労となり、激励となるでしょう。
皆さんは若いので、お父様に
お目にかかることのできる機会は多いでしょうが、
年がいった人はそうではありません。
それで、年がいった人たちは、
父母様をどれほど恋しく思っているかわかりません。
☆
私たちが肉身を脱いで霊界に行くと、
いくら田舎の名も無い人であっても、
神様に精誠を尽くしたら、
霊人体の光が明るくなるのです。
それで私が霊界に行くとき、
明るい光を持つ霊人体を持っていくために、
どれくらい準備したかということが最も重要です。
霊人体の完成は、個性完成、人格完成、
つまり愛の完成だそうです。
ですから、これから原理をもって生きるようになるときは、
人間が罪を犯そうにも犯すことができないのです。
最近の世間は、罪を犯さず生きることのほうが大変ですが、
原理の世界が来れば、
罪を犯すことができないそうです。
☆
430家庭の中で、一度死んで生き返った人がいますが、
彼女が霊界に行って審判されているのを見ると、
二つのことが一番恥ずかしかったそうです。
一つは、借りを作ったことだそうです。
心情の借りや経済的な借金、
そして世話になったことが、とても恥ずかしかったそうです。
そして二つ目は、人を憎んだことが、
また恥ずかしかったそうです。
☆
今は、真のお父様は霊界におられます。
また、お母様は地上におられますけれど、
直接侍ることのできる人はごくわずかです。
そういうことを考えると、
お父様のみ言は福音です。
霊界は永遠の世界です。
地上で直接、真の父母様に侍れないことは、
とても残念なことかもしれませんが、
しかし、直接侍る心情で生活するならば、
神様がそのことを記憶してくださるので、
私たちは神様、真の父母様に
侍る心情を持つことが重要だと感じます。
さらには、内外の負債、人を憎む生活はご法度である、
そのことも肝に銘じていきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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〜このブログの文字が小さいというご指摘について〜
いつも当ブログを愛読して頂き、ありがとうございます。
ごもっともなご意見なので、
即変更していきたいところですが
このsesaaブログのサービスでは、
通常のサイズと、その拡大と、縮小の
3タイプのサイズしかありません。
大きくするとなると拡大ですが、
pc用の画面で、1行24文字までになり
一つ一つの記事がとても長くなってしまいます。
いずれ大きくすることも検討したいと思いますが、
今しばらくは、これまでのサイズのままにしていきたいと
思いますので、小さくて不自由をおかけしますが、
皆様の方で、表示を拡大するなど
工夫して頂けるとありがたいです。
*Windowsの場合
Windowsマークと;(+のキー)で簡単にズームになります
ダイヤグラムが出るので、そこで
2倍にしたり戻したりすることができます