先日行われた、第56回「真の万物の日」
本部で行われた記念礼拝において、
徳野会長がみ言を語られています。
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〈真のお母様のご来日で日本に天運を相続〉
〈真のお母様のご来日で日本に天運を相続〉
天運の中心は真の父母様です。
真のお父様はすでに霊界におられるので、地上の天運の中心は真のお母様です。
ですからお母様のご来日(7/1)によって天運が日本に連結されます。
そのときにどれだけ天運を相続できるかは、私たちの5パーセント(責任分担)にかかっています。
精誠と決意を天にお捧げし、具体的な実績をもってお母様をお迎えしましょう。
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〈「つまずきの石」は決して大きくない〉
〈「つまずきの石」は決して大きくない〉
きょうは、私の信仰生活において大きな転換点となった出会いについてお伝えします。
私が信仰初期に青年寮で生活していたとき、
干していた洗濯物(下着)がなくなったことがあります。
それは、母が黒い糸で名前を縫ってくれたものでした。
私はメンバー1人1人に間違って着ていないか聞いて回りましたが、見つかりません。
最後に班長が残りました。
私は勇気を振り絞って班長に尋ねました。
「何をばかなことを言っているんだ」とたしなめられながらも、
シャツを確認させてもらうと、私の名前があったのです。
そこで班長が間違いを認め、「ごめんね」と言ってくれたら、
何の問題もありませんでした。
しかし班長は、『原理講論』にある「原始共同社会」の話をもち出し、
「私たちに所有権はないんだよ」と自己正当化するのです。
私はいたくつまずきました。
「原理」や「真の父母様」につまずいて教会を離れる人はいません。
しかし、教会での人間関係につまずき、
永遠の道から離れてしまう人は多いのです。
聖書にある「つまずきの石」は決して大きいものではないということです。
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〈教会を「自分の家」と考えて責任をもつ〉
〈教会を「自分の家」と考えて責任をもつ〉
私は23歳の頃、全国の学生教会員をまとめる責任者として、
松濤本部の近くにある本部の寮に住むことになりました。
まだ若く、感受性が強かった私は、朝礼に起きてこない先輩に対して、
「これじゃだめだ!」と義憤にかられ、毎朝、部屋ごとにノックして回ったのです。
先輩方からは「そこまでする必要はない!」と非難ごうごうでした。
また、本部での会議に参加した際、幹部への批判や悪口を耳にして心が痛み、
「『統一教会』ではなく、『分裂教会』じゃないか」と批判の思いが湧いて、
それまで抱いていた理想の教会像が、がらがらと崩れたのです。
そのとき、当時、伝道局長だった櫻井設雄先生(43双、第5代会長)に、
心に溜まっていたことを打ち明けると、
櫻井先生は一切否定することなく、次のように話してくれました。
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「徳野君、あなたの言うことには一理ある。
しかし教会には、堕落人間、つまり
完成人間に向かう途上の人が集まっているのだから、
完璧な人はいないんだよ。
教会の足りなさを『自分の責任』だと思うんだ。
そういう考え方ができたら、あなたは統一教会の真の主人になれる。
台風が来て、自宅の屋根が吹き飛ばされたらすぐに修理するだろう。
でも、隣の家の屋根なら『なぜ修理しないのかなあ』
『お金がないのかなあ』と客観的に見て終わってしまう。
それと同じで、統一教会を『自分の家』と考えるか、
『他人の家』と考えるかで、信仰者として天地の差が出てくるんだよ」
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私はこの話に驚くほど心が整理されました。
天の摂理、み旨に対する真の主人意識をもつことができれば、
教会やリーダーに足りない部分があっても、批判ではなく、
「補っていこう」「助けていこう」という気持ちが自然に湧いてきます。
特に二世圏には、一世を批判したり、教会の現状を分析して憂えたりするのではなく、
「自分たちが責任をもって解決していこう」
という気概をもって未来の統一運動を担ってほしいのです。
各自が真の主人意識をもち、天が願われる
神日本家庭連合を築いていこうではありませんか。
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櫻井先生のおっしゃられる通りだと思わされます。
私たちは足りない者でありながら、
すぐに自分を棚に上げて、周りの人の足りなさに目を向けます。
特に目の上の人、アベルに対しては、
そのような思いが強いようです。。。
また逆に、アベルのあの姿勢もいいとはいえませんね。
原理やみ言を自分が受肉したわけでもないのに
それを振りかざして自己正当化してしまう。
これもありがちかもしれません。
以前、あるクリスチャンの友人に厳しく指摘されました。
「あなたたちは、ピラミッド思考が強い・・・」
すなわち家庭連合の会員だから、
祝福を受けているから、他の人たちとは違うんだ、
そのような意識を持っているだろう、と。
心の隙間にそういう思いが見え隠れしている
私たちなのだと思います。
櫻井先生の語られるように、
「自分の家である」
そのような思いを誰もが持ち、
真の父母様のように、み言の実体を目指して、
真の家庭連合、まさに神日本家庭連合の姿を
目指していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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