李ヨハネ先生のみ言、
質問五の回答の〆です。
☆
私たちが最初に伝道に行った時、
法科四年生、卒業クラスの人ですが、
その人が原理を聞いて学校をやめ、
聖書も讃美歌も知らないで、開拓に行ったのです。
江原道の春川という所で、学生たちを指導したところ、
既成教会の高校生たちが集まってきたので、原理講義をしたのです。
ある日、牧師が統一教会の伝道師は素晴らしい
といううわさを聞き、会いに来たのです。
彼は、マタイ福音書が新約にあるかどうかも知らないのです。
そこへ質問されたので、「文先生が巡回に来る時に来なさい」と言ったのです。
自分が知らないということは、絶対に言わない。
自分は文先生から派遣されていて、
文先生が全部知っているのですから、
文先生が巡回に来た時に来なさいというのです。
こう勇気を出して語り、牧師たちを帰したのです。
☆
あなたはどうですか。
困ったな、聖書も知らないしと、力が抜ける人がいるかもしれない。
そういう時に、この人は文先生を中心として答えて勇気を得た人です。
全然知らないのですが、知らないという立場に立たなかったのです。
そうすると牧師たちも、その人が何も知らないことを知らずに、帰ったのです。
統一教会式とはこんなものかなといって。
最初開拓に行った人はみな、そうです。
☆
おばあさんたちも伝道して、大学生たちを連れてきたのです。
「原理」をただ耳で聞いただけで出掛けていった。
印刷したものも何もない時です。
その時の伝道が最も力強かったのです。
☆
皆さんは、信仰者として、
自分一人だけで存在しているのではないのです。
自分の位置を守れというのです。
それを知らずに、自分を勝手に取り扱うと、
力が抜けてしまうのです。
☆
信仰者は、結婚したのと同じです。
結婚すると主体者の位置によって、その人の位置も決まるのです。
例えば、大統領の奥さんなら、その身分になる。
私たちもそうです。
世界の中で、何ものとも比べられないお父様の命令で、
お父様と共に摂理の参加者として現れたという心でないと、
勇気が出ないというのは当然なのです。
その位置から離れると、力が抜けます。
☆
だからお父様は、「日に三遍誇れ」と言われます。
日に三回御飯を食べておきながら、日に三回神の前に誇らないで、
君たちの魂は生きていかれると思うのか。
兄弟同士でも、勝利を誇れ。
私たちの位置を誇れ。
私たちの方向や使命を誇れ。
ところが希望がないから、誇るものがないのです。
☆
皆様もそうかも知れませんが、
何か、李ヨハネ先生のみ言を読むだけで、
力が湧いてきますね。
うまい表現ではないのですが、
『私って凄いんだな!』
そんな思いです。
信仰をもつことによって私は父母様と結婚したんだ。
だからもっとお父様、お母様を誇ろう!
もっと頑張らないといけないな。
そう思わされました。
ご父母様を証して行けば
私たちは『何も知らない』のではなく、
真の父母様の息子・娘であり、
『すべてを知っている』んですね。。。
李ヨハネ先生のみ言は、
これからも不定期で送りたいと思います。
ご期待ください!
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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