2018年07月21日

(公職者宣教の証し) 神と霊界と共に爆発的伝道、大勝利!! 国家的に復帰が進む <ベナン>



africa-benin.jpg
ナイジェリアの左、赤色がベナン☆


第1回公職者短期海外宣教プログラムの証し
アフリカのベナンで、3か月間に、
霊の子16名、霊の孫5名、霊の曾孫1名を復帰した
伝道部長さんの証しです。


2017年10月13日から2018年1月9日までの約3カ月間、
ベナン宣教の責任を与えていただきまして
無事に任務を終えて日本に帰って来ることができました。

ベナンという国はお母様が特別戦略国家に指定されており、
異常なスピードで伝道が進んでいるということが分かりました。

大統領を筆頭に行政府や各県や市の長、
または村の長まで多くのリーダークラスが
家庭連合の祝福や教育内容に同参しているということでした。

また、青年・大学生の伝道が爆発的に進んでおり、
霊の子の基準である7dayセミナー輩出が
もう少しで1000人目に到着するということでした。


私たちがベナンに着き、まず最初に行った活動は清平役事への参加でした。

なんと清平の苑長をはじめ講師陣、
スタッフ一行がアフリカベナンのコトヌー市内に来られて、
ベナン初の先祖祝福式の開催ということで3日間にわたって行われていきました。

アフリカの人たちは占いやスピリチュアル的な内容には非常に相対するらしく、
とても盛り上がりを見せていきました。
アフリカの大陸会長であるカマラ氏も迎えての盛大なイベントとなっていきました。

そのように天と真の父母様の計らいで、
大きくベナンの霊界が整理されていくとても重要な摂理が最初にありました。

霊的にも非常に整えられた状態からの出発でしたので、
大変ありがたい内容であったと感じています。
役事も行われていきましたので、とても霊的にも整理されての出発でした。


今回の宣教においては、内外目標を立てて歩んでいきました。

内的目標としては、「真のお母様の前に孝情の道理を立て、
天の父母様と真の父母様の勝利圏と栄光を証しします」というものです。
外的目標としては霊の子21名復帰、VIP渉外3名を目標としていきました。

御父母様が真の愛で勝利して復帰してくださったみ言の価値を、
何としてでも証したいという意気込みで歩んでいきました。
そのために、訓読会を土台とした精誠の基準を立てていきました。

取り組みとしては原理講論の訓読を1時間、中盤から90分、
後半は2時間と時間を長くしながら、精誠を立てていきました。
原理講義の回数が伝道実績に比例するという
お父様のみ言を証したかった思いもありました。

宣教中に実は2度のマラリアと腸チフスに罹りましたが、
訓読の精誠だけは死守し、病中寝ながらでも訓読していきました。

み言訓読と霊界動員によって、神と霊界の導きによって
勝利したという証しを立てていきたいと思っていました。


伝道においては、11月後半より年末にかけて、
4回の7日修練会を開催していきました。

11月最初の7日修練会の参加者は10数名でしたが、
その後はうなぎ登りに参加人数が増えていき、
20〜30名、最後は50名くらいまで増えていきました。

信じられないほどの伝道のペンテコステが起こっていったと言えるでしょう。
天運に乗ってどんどん学生がつながってくるようになりました。

本当に精誠の伝道の素晴らしさや、訓読による霊界動員、自己伝道から内部伝道、
外部伝道に至る伝道の繁殖を目の当たりにして、
その奇跡的な展開に感動せざるを得ませんでした。

まさに、愛と精誠のあるところに人も万物も寄ってくるのだ
ということを確信することができました。

個人においても霊の子の7日修練会に参加した数が、1、2、3、3、5、9名と
原理訓読精誠の量に比例して伸びていきました。

内的にも霊の子やカープメンバーを愛していく中で、
いろいろと葛藤することもありましたが、
それを超えて父母の心情で見つめることが増えて、
愛する慕わしさや一緒にいる喜びが増えて
本当に涙する感動的な場面が多くなっていったと思います。


2017年の目標である、7日修練会輩出1000名も達成して
勝利感をもって年を終えていくことができました。

年末は伝道は終了したため、霊の子のお宅訪問を企画して、
順番に訪問していきました。
私も帰国が近づいてきておりましたので、何とか霊の子たちとの
心情の因縁を深め、より天につなげていきたいと考えました。

今まで以上にプライベートな空間を共に過ごし、ともに食事をし、お祈りをし、
話したり、遊んだり、とても有意義な時間を過ごしていくことができました。
これこそまさに家族のような、神を中心とした
より良い時間を共有していけたと感じます。

訪問時は良くお祈りしていくことを心がけていきました。
食事のとき、最後帰るとき、時間を見つけてはお祈りを通して、
天の伝統を教育していきたいと取り組みました。

そうする中で、切実に霊の子やその家族、家系を救いたい
神の心情を感じることが本当に多く、
涙、涙の年末の歩みであったと感じます。
霊の子たちとも、神を中心とした家族のような心情文化世界を
築いていくことができ、
これぞまさに天国であるなと感じることが多かったように思います。

言語や文化や宗教、国境の壁を越えて皆が一つになっていく波動は
霊の血統圏だけに収まらず、
パラクーカープ全体まで波及していき、
本当に皆が一つの有機体としての一体感を感じていくことができました。

この喜びや感動をこのままずっと味わっていたいという何とも言えない、
伝道の醍醐味を感じることができたことが何よりの勝利感だったと感じます。


パラクーでの歩みは2カ月もなかったですが、基盤が弱いところから、
最後はカープの組織化と体制づくり、2018年の取り組みの決定、
とそこまでは進めていくことができました。

神と霊界が共にあり、本当にその協助によって
爆発的な伝道が進んでいったと思います。
どこまでも、精誠を土台とした自己伝道、内部伝道、
外部伝道の重要性を感じさせていただきました。

それと同時に本当にみ言訓読と霊界動員というものはセットであって、
切っても切れない重要な精誠であるということも強く感じさせていただきました。
3か月間本当にありがとうございました。



霊の孫、霊の曾孫まで伝道が広がった、ということは、
本当に導かれたことを感謝しているのだと思います。

日本とは霊的背景も違うし、環境も違うとは思いますが、
それでも強く熱い心情があったから、
ここまで発展し、導かれたのだと思います。

また、何よりも、日々の信仰条件、
み言訓読の条件というものが、
伝道勝利に繋がっていることを思うと、
そのような精誠条件も
伝道勝利の大きな秘訣だと思わされました。
相続していきたいと思います。






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2018年07月20日

女性の生涯一番の苦痛、最愛の息子を失って。。。 《お母様と興進様@:池生蓮先生》3



180720 last birthday.jpg


池生蓮(チ センニョン 지생련)先生の
お母様の証しの続き、
今日からは、興進様のエピソードになります。



興進様の昇華を前後して

1984年1月2日、ご父母様の家庭の次男である
興進様が昇華(聖和)なさった事件は、
お母様にとって一生で最も大きな苦痛だったと思います。

お母様は、女性が生まれて経験しうる最大の苦痛の時間を、
み旨に対する絶対的信仰とご自身の忍耐と沈黙で忍ばれました。

興進様の昇華(聖和)を通じて
霊的な勝利の基台を争奪していくお父様の道に、
少しも乱れることなく同参なさいました。


ご父母様の家庭のご子女様たちは皆、
ずば抜けた容貌と素晴らしい資質を備えておられます。
その中でも、お母様は興進様を格別に愛されていました。

ある時、お母様と興進様が、
数人の周囲の食口たちと外出されようと準備しておられました。

興進様は涼しげに白い半袖ワイシャツを着ていらっしゃいましたが、
幼かったそのかたが、16歳となり高等学校に通っていて
とてもすらりとしてずっしりしておられたので、広く張った肩の線が、
決して小さいとは言えないお母様の背丈を越えていらっしゃいました。

興進様がお母様と腕を組んで
子供らしく親しげに横にくっ付かれます。
今やとても大きくなった息子が少し気恥ずかしく感じるのか、
お母様は、そっと微笑みを浮かべながら
興進様をちらりと見上げられます。

私はそのときにお母様の顔に現れた満足と幸福の表情を
いまだに鮮やかに覚えております。
どれほど微笑ましく誇らしげに見つめられたことか…。

立派に成長する息子を見つめるお母様の微笑ましい表情が、
私の目にもとても幸福そうに見えました。


興進様は、ご自身の秀麗で輝く外貌だけでなく、
人並み外れた活気と愛情のこもった言行で
数多くの食口たちの記憶の中に永遠に生きておられます。

アメリカの食口と祝福された後、
アメリカに来てあまりたたない一人の韓国の女性食口がいました。
初めは英語も話せなくてアメリカの社会も充分に分からず、
家にばかり引きこもっていました。

そうこうするうちに、なんとかご父母様の家庭で
奉仕したいという意向が教会から承認され、
イーストガーデンで衣類の洗濯及び手繕いを担当する
奉仕生活を始めることになりました。

この女性は、すべてのことが不慣れで、
真のご父母様の邸宅の雰囲気が注意深いので、
毎日地下の洗濯室で仕事ばかりしていました。


これを興進様が少し痛ましく思われたようでした。

ある日、興進様がこの食口が働いている
地下の洗濯室の階段を急いで降りてこられて
何か大声で言われました。

英語がほとんど分からないこの女性は、
何のことか分からず急いで興進様の方に顔を向けると、
興進様が左腕を右手で白い布切れで覆うようにしておられましたが、
布切れには血の跡のようなものがじっとりとにじんでいました。

間違いなく左腕に大きな傷を負われたようでした。

この女性はそれまで興進様と一度も話すこともできないで
注意深い限りだったのですが、
突然の救急事態が起こったので、我知らず飛び出して
興進様の腕をつかみました。

「興進様、大変なけがをされたのですか?」と、
この女性は目を大きく開けてとても驚き、
興進様が覆っていた白い布切れを注意深く開いて傷口を見てみると、
血の色が少しおかしいのです。

当時12歳の中学生だった興進様は
ハハハと大きくお笑いになりました。
真っ赤な絵の具を白い布切れににじませて、
少し意地の悪いいたずらをなさったのでした。

ところが、女性はとても驚いてから安心したので、
妙にこれまで凝り固まっていた心が一度に溶けたそうです。
明るくハハハと笑われる興進様につられて一緒に笑いました。


そのように一緒にひとしきり笑ったら、
興進様が近しく感じられるのは当然です。

興進様のほうから
まず自分と親しくなりうるきっかけをつくってくださったのが、
イーストガーデンの生活を始めたばかりのこの女性にとっては、
とてもありがたい関心と心配りでした。

翌日、興進様が学校から帰ってこられる頃、
果物一皿を準備してお部屋に入れておきました。

これを知られたのか、興進様は時々、
彼女が仕事する地下の洗濯室に降りてこられました。

とくに多くの話はされませんでしたが、
地下の洗濯室がとても安らかな休息の場であるかのように、
そこにあるソファーでしばらく休まれたり、
時折、居眠りして行かれたりしました。

興進様にいかなる警戒や、感情の壁も
感じなかったといいます。


女性が最近、この話を聞かせてくれて、私は涙が出ました。

興進様が周りの食口たちと親しく過ごされるのは
大体このような具合であり、
そのかたを心よりお世話して侍った食口たちの純粋な心は
おおむねこのようなものでした。

(2003年4月発行の証し集「真の愛の勝利者」より
『真のお母様の愛の世界』)

日本語として自然になるように
一部編集しました。
文責:ten1ko2


この後、孝進様、そしてお父様の聖和を
見送られたお母様でありますが、
この興進様を亡くされたことは、
女性として生涯で最大の苦痛だったに違いありません。
何度そのような境地を越えていかれたのでしょうか。

お母様と興進様のお姿。。。
お母様から信頼されていた興進様、
お母様を愛しておられた興進様。

興進様が今、地上におられたなら、
どれだけお母様を支え、
お母様のために歩んでおられただろう、
そんな思いをもつのは私だけではないと思います。

しかし、霊界におられて、活躍しておられる興進様であり、
お父様の代身として、先駆けて霊界解放の道を
歩まれた興進様であることを思うと、
そのことを誇りに思われるお母様であるに違いないと思うのです。

お母様と興進様の証しはもう少し続きます。





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<池生蓮(チ センニョン)지생련先生プロフィール>
1931年9月25日(陰)慶尚南道金海出生、
2018年4月15日(天暦2月30日)、アメリカで聖和(ソンファ)。享年88歳。
真の父母様より「祝・祖国光復必勝奉身代表」の揮毫を受ける。

1955年1月10日、入教。同年11月、
梨花女子大学法学政治学科4年在学中、統一教会の信仰か学校かを選択せよ
との学校側の不当な措置に、信仰を選択し退学。
1961年、李起錫氏と36家庭として祝福を受け、
1977年、アメリカ・サンフランシスコに渡る。
全国特別巡回師として活動し、アメリカで進児韓国学校、
理事長兼校長としてアメリカの子供たちに韓国語と文化を教育。



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posted by ten1ko2 at 09:40 | Comment(0) | 父母様の路程 生活の証し | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月19日

(証し)理想の嫁姑! 姑が従弟に、その母が嫁の兄に祝福紹介!!  現在霊の子女3代圏46家庭



180719.jpg


6000双家庭の神氏族メシヤ活動の証しです。
霊の子女3代圏46家庭を祝福に導いておられます。



「実体の姿を見せて証していく時代」

祝福を受けている主人の従弟が東北に住んでいますが、
その相対者のお兄さんとご両親が昨年6月、
わざわざ我が家(山陰地方)まで訪ねてこられました。

用件は、是非、息子に良い人を探して欲しいとの事でした。
そして先日、本当に良い出会いがあり、上手くいけば
来月中に約婚までいくのではないかという状況です。

今回は、この証しをさせて頂きます。


還故郷して27年、夫の故郷は田園地域で
親戚だらけの中で暮らしてきました。

還故郷したばかりの頃は、
「とにかく早くみ言を伝えなければ」という意識だけでしたが、
そうしようとすればするほど
ご近所、親戚との関係が遠くなっていく事を感じました。

まずは、我が家を治めない事には外には向かえないという結論に至り、
家の中での⻑子権復帰を目指し、僕の僕としての歩みを3年したのちに
両親、祖⽗⺟にダブルで36万双の既成祝福を受けて頂く事ができました。

家の中での⻑子権復帰がなされて初めて、
外に向かうことを神様は許して下さったと言う感じです。
家庭が地獄のような状態では、とても心からの伝道の力は出てこないし、
家庭が幸せを感じなければ伝道は導かれないと実感しています。


今、向かっているのは従弟たちです。

主人が一番心情的に近い従弟を10年前に祝福に導いたのですが、
その時も従弟の⺟親(主人の叔⺟)が、
私達に是非良い人を探してほしいと言ってきました。

実は、その叔⺟に積極的に教会で良い人を探してもらいなさい
と言っていたのは主人の⺟でした。

氏族伝道のポイントは嫁姑の関係であると実感しております。
そこが上手くいけば、家の中は丸く収まってきます。

その従弟が祝福を受け、従弟の親も祝福を受けました。
従弟の若い夫婦は最初アパート⽣活をしていましたが、
同居して愛の復帰の⻑子権復帰の道を
⾏かないといけないことを話し、同居⽣活が始まりました。

同居の最初はトラブルの連続でしたが、
⻑子権復帰の道をいかなければいけないという事で
頑張ってくれたと思います。
結果として親の復帰までいけたわけですから。

従弟の家庭も、嫁姑が仲良くなってくれて、お互いに「良いお嫁さん」、
「良いお姑さん」と近所にも自慢し合っています。
ご近所さんからも「良いお嫁さんだね!」と言われてうれしいようです。


今回はこの叔⺟が、お嫁さんの実家のお⺟さんに、
「46歳で独身のお兄さんを是非、
○○さんたちにお願いしたらよいよ」と話してくれたのでした。

それで、去年の6月、
ご両親とお兄さんの三人で我が家にいらして是非、
良い方をよろしくお願いしますという事になったわけです。

その後、私達は、従兄の住む近くの教会と連絡を取りながら、
本人も週2回のペースで教会に通って真面目に勉強を続けました。

何度かのお見合いを経て、この度、やっとお互いに
感じの良い方だという印象を持った相手と出会い、交流が進んでいます。
何とか今年の祝福式に参加できればと思っています。


還故郷以来の氏族伝道は実体の姿を見て頂いて、
周りの者が証して声をかけてくれて導かれています。

家庭連合時代であれば尚更そうなってきていると思います。

「私達が氏族の親になっていくように努力しているか?」
「真の愛の実体になっていくように努力しているか?」
という事が常に問われる時代であると思います。

日々反省しながら、氏族の親になっていく愛の器を
大きく深くして前進していかなければと思っております。



証しをされている先輩のおっしゃられる通りですね。。。
私たちの家庭が証しの立つ家庭になること、
身近な親族、地域の方の前に長子権復帰を果たした土台で、
神氏族メシヤになる道を切り開いていきたいです。




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