2018年07月18日

世界で唯一の聖火式!! 「祈願書」改め「奉献書」、44万枚の願いが天に届く?! 



180718 20180708obihiro.jpg


七夕の翌日の7月8日、
世界で唯一、ご父母様より許されている
聖火式が、一年ぶりに行われました。

参加者3千人が、
西日本の豪雨災害に関しても祈りを捧げ、
また、全国から寄せられた44万枚の「奉献書」が
炎によって天に捧げられました。

清平副院長と、徳野会長のみ言を紹介します。



<悪運を取り除き、天運を相続する聖なる儀式>

李命官・天宙清平修錬苑副苑長が
「孝情奉献聖火式」の恩恵について以下のように説明しました。

「聖火式は悪運を取り除き、天運を相続する聖なる儀式です。
また、先祖の過ちを清算する真の先祖供養の場であり、
個人・家庭の健康と幸福を祈り、全ての願いが成就されるよう祈願する儀式です。

このような恩恵と祝福は、人間の力によって得られるものではありません。
創造主・天の父母様(神様)、人類の救世主・メシヤであられる
真の父母様の力によってのみ可能なのです」



<徳野英治会長のメッセージ(要旨)>

7月1日、真の父母様は日本宣教60周年記念
「神日本家庭連合 希望前進決意2万名大会」で大勝利を収められました。

本日の「聖火式」も、大会の勝利圏に連結された
特別な式典であると言えるでしょう。

清平では、孝情奉献書を水に溶かして天に捧げるのが主流となりました。
しかし真のお母様は、日本の伝統、習慣、文化を尊重なさり、
世界で唯一、ここ北海道帯広(近郊)の「聖火の郷」において、
「聖火式」という形で捧げることを許諾してくださったのです。

これは日本に対するお母様の愛以外の何ものでもありません。
お母様に大きな感謝の拍手をお捧げしましょう。(拍手)

またきょうは、真の父母様の代身、清平の代表として李命官副苑長を迎えました。
ですから聖火の郷は、真の父母様が直接主管される
清平の延長線上に位置づけられたということです。


このたびは44万枚の孝情奉献書が奉納されました。
「44万」は大変な数です。

昨年は、聖火式が4年間行われていなかったこともあり、
61万枚集められました。
当時は「所願成就書」と呼ばれていましたが、
お母様が「孝情奉献書」と新しく命名され、
たった1年で4年ぶんに匹敵するほどの枚数が納められたわけです。


本日、この奉献書に込められた皆さんの悲願は、
聖火式を通して天に届けられました。

(清平での)先祖解怨、先祖祝福によって既に絶対善霊になっている
私たちの先祖たちも、この場に来ています。

そして今回の讃美役事と聖火式を通して、
私たちの中に深く入り込んでいた悪霊も分立されました。

これらの大きな恩恵を土台に、私たち祝福家庭に最も願われる責任と使命、
神氏族メシヤ(430双の祝福)を勝利してまいりましょう!


↓ 中和新聞より
「奉献書」44万枚に込めた願いが天に届く

2018神日本天運相続 孝情奉献聖火式
天一国6年天暦5月25日(2018年陽暦7月8日)
北海道 帯広


松戸家庭教会からも婦人が参加しましたが、
「当日は、雨模様の天気予報で、朝から曇り空だったのに、
式典が始まる前から、だんだん雲が腫れてきて、
青空の中で行われたんです!」
と感動的に話していました。

お母様は、さまざまな式典に対して、
「孝情」という文字を入れられますが、
より、天運が増すようになったのかな。。。
そんな風にも思います。
祈願書も「孝情奉献書」と名前が変わったから、
霊的なパワーが違うのかも。。。

霊肉合同作戦で、
与えられたみ旨を果たしていきたいと思わされます。






にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)

*ポイント障害に関しましては、無事解消しました。
ありがとうございました!

ポイント回復!! 感謝とご報告




※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 07:20 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月17日

一人になると信仰が弱くなってしまう人に?! 《李ヨハネ先生のベスト・アンサーC》再び



10462876_1502161306683705_8168874743392416325_n.jpg


李ヨハネ先生の信仰講座。
日本食口の質疑応答、続編です。


(質問四)一人だけの歩みだと、
     とかく信仰が弱くなってしまうのですが


今回世界を見ての結論は、
「私たちは世界的だ、全世界が注目する私たちの立場だ」と、
その価値を悟ったのです。

やはり自分を通して
全体、世界、永遠の価値を知らなければならないのです。


私たちの立場は貴重です。

任された立場は神様が必要とされて置かれているのであって、
私たちは神様の立場から見るべきであって、
自分の任された立場で、どれほどその価値を悟れるか、
影響を与えるかという問題なのです。

伝道とは、「原理を聞け」と言うのが伝道ではなく、
私たち同士、どれだけ情的に授受するかということが伝道なのです。

心情の伝道があり、生命の接触、
これが本当の内容、永遠の伝道ではありませんか。


価値ある人は、たくさんの人と付き合っていないのです。
一人と交わってみて、長く忘れられないように付き合うのです。

イエス様は何十万、何百万名を集めて話したのではなく、
一人、二人を人類のごとく愛したのです。


大先生は「韓国で勝利した」と言われても、
韓国の民衆の前に現れたことはありません。

年取ったおばあさんを中心として、何年も暮らした期間があります。
神から「行け」と言われて尋ねて行った平壌で、
一人のおばあさんに尽くして暮らされたのです。

そして世界的に勝利されたのです。
これを勝利して、今どんどん世界的に伸びているのです。


大先生において、生涯誇るべきことは、平壌での出来事でしょう。

牢屋の中で同じ仕事を三年間やりながら、そこで天宙的な価値を立てた。
イエス様は十字架の上で価値を立てた。
勝利の決定をした。

信仰というものは、不信される立場で、認められない場所で立てられるのです。


今まで、私たちは大勢の前では信仰を守ってきたのです。
真剣な表情でやってきたのです。
しかし、一人の時になると信仰を捨ててしまっている。
イエス様とは反対なのです。

私たちは一人でいる時、不信される立場にいる時こそ、
今神がどのように私を眺めておられるか、尋ねてきておられるかを、
よくよく考えてみなければならないのです。



お父様もイエス様も、一人の時ほど、
信仰を発揮していかれた。。。

み言を読みながら、私自身は、
拉致監禁を受けた時のことを思い出しました。

たった一人の状況であったけれど、
切実に神様を求めざるを得なかった。
その時は、深刻に真剣に神様に祈り求めましたが、
神様からの答えはなかったように思います。

いや、神様は直接手をだせなかったのではないか、
そのようにも思います。

しかし、今振り返ると、
そういう時ほど、神様は見守っておられたし、
そのあとの道のりを準備してくださっていた、
そのようにも思います。

一人でいるとき、
信仰が弱くなったと感じる時ほど、
神様が近いのではないか、そのように思うのです。





にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のものです
どちらからでも応援して頂けます)

スマホなどからポイント付かない
障害がでていました
⇩こちらを参照ください
あれ、ポイントがつかない?! ご訪問の方に
お知らせ(iPhoneをお使いの方)

*この件に関しましては、無事解消しました。
ありがとうございました!

ポイント回復!! 感謝とご報告




※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 07:30 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月16日

他の為に生きれば、堕落性は脱げる?! 《金元弼先生:自己犠牲と堕落性》



180716 63moon_web.jpg


金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「自己犠牲の愛によって脱ぐ堕落性(なかなか脱げない堕落性)」を紹介します。


皆さんは今、夫婦間で何か問題が起これば
自分の責任だと感じるでしょうが、
もし夫たちの修練会をやったとすれば、
夫もやはり自分の責任だと思うのです。

しかし、ふだん一緒にいる時には、
お互いに自分が正しいと言いがちです。
別れていると、自分が悪かったと思うのに、
また会うと、お互いに自分が正しいと主張するようになるのです。

このような堕落性は、一日ででき上がったものではありませんので、
これを直していくには時間がかかります。

一つ例を挙げてみましょう。

日本が韓国を支配していたころ、国語として日本語を話していましたので、
学校で先生が出席を取る時、韓国語の「ネー」ではなく
「はい」と返事をしなくてはなりませんでした。

やがて戦争が終わって日本人は立ち去りましたが、
韓国人同士であっても「はい」と日本語で言ってしまうのです。

40年かかってできた習慣を直すには、
やはり40年くらいかかるのではないでしょうか。
ましてや6千年かかって堕落性ができたものだとするならば、
これを脱ぐためには、やはり6千年かからないといけないでしょう。

しかし、短い期間に堕落性を脱ぐためにはどうしたらいいでしょうか?

それは、「自分のために」という生き方から、
自分を愛するよりも他の人を愛する、
「他のために」という生き方をすることです。

そのように転換するためには、自分を否定して、
他のために尽くす生活をしなければなりません。
私たちは原理によって、それをよく知っていますが、
なかなか実践できないのです。

私たちはぶつかり合うと、お互いに自分が正しいと主張し、
その後一人になると反省して、自分が悪かったと悔い改めるのですが、
また一緒になると言い合うのです。

しかし、それでもあきらめなければ、堕落性を脱ぐことができます。
お互いにぶつかるのを嫌がり別れていたとすれば、
それは解決にはなりません。
あきらめないで、何度でも悔い改めていると、
いつの間にか直っていくのです。

先生が私たちに、自分自身や自分の家庭、氏族、国家を
犠牲にしながらやらせるのは、堕落性を脱いでサタンに勝利し、
神の子女としてサタンを審判する権威をもたせるためです。

人間的に見れば余りにも情けないと知りながらも、
子供を孤児院に入れ、あるいは置き去りにしてでも国のため、
世界のために出ていかなければならない理由が分かりましたか?

それは真の父母が歩まれた道であり、その前に神が歩まれた道であったのです。

自分のためではなく、他のためにたくさん涙を流したとするならば、
早く堕落性は脱げていくでしょう。
私たちは、しつこいサタン以上にしつこくなければなりません。

1989年5月24日 
ドイツ・カンベルグ修練会(祝福婦人集会)
 


自分にとってマイナス部分(堕落性)を見つめ、
なくす努力をするよりも、
プラス部分(創造本性)を引き出すために、
為に生きる生活を送ることを通して、
いつの間にか、マイナス部分が減っていく。。。

今は、天一国時代であるので、
さらにそのことを意識して取り組むことが、
何よりも重要なのだと思います。

天から与えられたみ旨に
まい進することなのだ。。。。
改めて思わされます。




にほんブログ村

良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!
(なお、記事の冒頭の家庭連合のバナーもブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 08:26 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする