金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「自己犠牲の愛によって脱ぐ堕落性(なかなか脱げない堕落性)」を紹介します。
☆
皆さんは今、夫婦間で何か問題が起これば
自分の責任だと感じるでしょうが、
もし夫たちの修練会をやったとすれば、
夫もやはり自分の責任だと思うのです。
しかし、ふだん一緒にいる時には、
お互いに自分が正しいと言いがちです。
別れていると、自分が悪かったと思うのに、
また会うと、お互いに自分が正しいと主張するようになるのです。
このような堕落性は、一日ででき上がったものではありませんので、
これを直していくには時間がかかります。
一つ例を挙げてみましょう。
日本が韓国を支配していたころ、国語として日本語を話していましたので、
学校で先生が出席を取る時、韓国語の「ネー」ではなく
「はい」と返事をしなくてはなりませんでした。
やがて戦争が終わって日本人は立ち去りましたが、
韓国人同士であっても「はい」と日本語で言ってしまうのです。
40年かかってできた習慣を直すには、
やはり40年くらいかかるのではないでしょうか。
ましてや6千年かかって堕落性ができたものだとするならば、
これを脱ぐためには、やはり6千年かからないといけないでしょう。
しかし、短い期間に堕落性を脱ぐためにはどうしたらいいでしょうか?
それは、「自分のために」という生き方から、
自分を愛するよりも他の人を愛する、
「他のために」という生き方をすることです。
そのように転換するためには、自分を否定して、
他のために尽くす生活をしなければなりません。
私たちは原理によって、それをよく知っていますが、
なかなか実践できないのです。
私たちはぶつかり合うと、お互いに自分が正しいと主張し、
その後一人になると反省して、自分が悪かったと悔い改めるのですが、
また一緒になると言い合うのです。
しかし、それでもあきらめなければ、堕落性を脱ぐことができます。
お互いにぶつかるのを嫌がり別れていたとすれば、
それは解決にはなりません。
あきらめないで、何度でも悔い改めていると、
いつの間にか直っていくのです。
先生が私たちに、自分自身や自分の家庭、氏族、国家を
犠牲にしながらやらせるのは、堕落性を脱いでサタンに勝利し、
神の子女としてサタンを審判する権威をもたせるためです。
人間的に見れば余りにも情けないと知りながらも、
子供を孤児院に入れ、あるいは置き去りにしてでも国のため、
世界のために出ていかなければならない理由が分かりましたか?
それは真の父母が歩まれた道であり、その前に神が歩まれた道であったのです。
自分のためではなく、他のためにたくさん涙を流したとするならば、
早く堕落性は脱げていくでしょう。
私たちは、しつこいサタン以上にしつこくなければなりません。
1989年5月24日
ドイツ・カンベルグ修練会(祝福婦人集会)
ドイツ・カンベルグ修練会(祝福婦人集会)
☆
自分にとってマイナス部分(堕落性)を見つめ、
なくす努力をするよりも、
プラス部分(創造本性)を引き出すために、
為に生きる生活を送ることを通して、
いつの間にか、マイナス部分が減っていく。。。
今は、天一国時代であるので、
さらにそのことを意識して取り組むことが、
何よりも重要なのだと思います。
天から与えられたみ旨に
まい進することなのだ。。。。
改めて思わされます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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