李ヨハネ先生の信仰講座。
日本食口の質疑応答、続編です。
☆
(質問四)一人だけの歩みだと、
とかく信仰が弱くなってしまうのですが
☆
今回世界を見ての結論は、
「私たちは世界的だ、全世界が注目する私たちの立場だ」と、
その価値を悟ったのです。
やはり自分を通して
全体、世界、永遠の価値を知らなければならないのです。
☆
私たちの立場は貴重です。
任された立場は神様が必要とされて置かれているのであって、
私たちは神様の立場から見るべきであって、
自分の任された立場で、どれほどその価値を悟れるか、
影響を与えるかという問題なのです。
伝道とは、「原理を聞け」と言うのが伝道ではなく、
私たち同士、どれだけ情的に授受するかということが伝道なのです。
心情の伝道があり、生命の接触、
これが本当の内容、永遠の伝道ではありませんか。
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価値ある人は、たくさんの人と付き合っていないのです。
一人と交わってみて、長く忘れられないように付き合うのです。
イエス様は何十万、何百万名を集めて話したのではなく、
一人、二人を人類のごとく愛したのです。
☆
大先生は「韓国で勝利した」と言われても、
韓国の民衆の前に現れたことはありません。
年取ったおばあさんを中心として、何年も暮らした期間があります。
神から「行け」と言われて尋ねて行った平壌で、
一人のおばあさんに尽くして暮らされたのです。
そして世界的に勝利されたのです。
これを勝利して、今どんどん世界的に伸びているのです。
☆
大先生において、生涯誇るべきことは、平壌での出来事でしょう。
牢屋の中で同じ仕事を三年間やりながら、そこで天宙的な価値を立てた。
イエス様は十字架の上で価値を立てた。
勝利の決定をした。
信仰というものは、不信される立場で、認められない場所で立てられるのです。
☆
今まで、私たちは大勢の前では信仰を守ってきたのです。
真剣な表情でやってきたのです。
しかし、一人の時になると信仰を捨ててしまっている。
イエス様とは反対なのです。
私たちは一人でいる時、不信される立場にいる時こそ、
今神がどのように私を眺めておられるか、尋ねてきておられるかを、
よくよく考えてみなければならないのです。
☆
お父様もイエス様も、一人の時ほど、
信仰を発揮していかれた。。。
み言を読みながら、私自身は、
拉致監禁を受けた時のことを思い出しました。
たった一人の状況であったけれど、
切実に神様を求めざるを得なかった。
その時は、深刻に真剣に神様に祈り求めましたが、
神様からの答えはなかったように思います。
いや、神様は直接手をだせなかったのではないか、
そのようにも思います。
しかし、今振り返ると、
そういう時ほど、神様は見守っておられたし、
そのあとの道のりを準備してくださっていた、
そのようにも思います。
一人でいるとき、
信仰が弱くなったと感じる時ほど、
神様が近いのではないか、そのように思うのです。
*この件に関しましては、無事解消しました。
ありがとうございました!
ポイント回復!! 感謝とご報告
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※ このブログは、
あくまでも個人において、書いているものであり、
教会本部とは一切関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、ブログの記事においては
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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