2018年09月30日

お母様と一緒に迎える秋夕! 後何度迎えられるか 《日本牧会者へ真のお母様のみ言》



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先日行われた日本責任者の三日修練会。
最終日に語られた、お母様のみ言を紹介します。


三日間、悔い改めをたくさんしましたか?
皆さんは、国家の復帰を、どのようにすれば
責任を完成することができるかについて、
多く努力し、考えたことでしょう。

皆さん、これからは、堂々と、
日本が行くべき道について、見せてあげ、
教えてあげ、教育しなければなりません。

本当に日本を愛し、歴史に残る人物になりたければ、
まず家庭から、夫婦が
一つとならなければなりません。

そして、日本の国民の前に、
見本を見せてあげなければなりません。

それゆえ、家庭連合の祝福を受けなければ
ならないと、教育しなければなりません。
時を逃してはいけません。

どれだけ切迫し、一方では、
希望に満ちた勝利を満喫することのできる、
このような祝福を下さった、この時において、
皆さんが奇跡を作り出さなければなりません。
奇跡を!
分かりましたか。

創造主、天の父母様、ありがとうございます。

このように、世の中で生きていこうとすれば、
とても辛いことでしょう。
多くの問題が起こり、それらを
解決しなければならず、苦しいです。

しかし、家庭があり、その家庭と、固く結ばれた情、
そのような愛を歌うことのできる環境が、
この秋夕節にお月見をする気分です。
分かりましたか?

それでは、皆さんと私が、このような月を、秋夕を、
あと何回、迎えることができるでしょうか?
たくさん、たくさん、迎えられたら良いでしょう。

そのためには、皆さんが、
責任をしっかりと果たしてくれなければなりません。
責任。
分かりましたか?
そうするでしょう?



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天地人真の父母様主管 神日本家庭連合 孝情特別集会
天一国6年 天暦8月14日(陽9.23)
天正宮博物館


後半のみ言、
「皆さんと私が、このような月を、秋夕を、
あと何回、迎えることができるでしょうか?
・・・そのためには、皆さんが、
責任をしっかりと果たしてくれなければなりません」

これは、本当に身に迫るような、
見方によっては、とても深刻なみ言だ。。。
そのように思われた方も多いのではないでしょうか。

真の御家庭、特に真の父母様の立場という者は、
私たち祝福家庭と連結しているのだ、
そのことを強く認識しなければ、と思わされます。

微力ではあるけれど、千里の道も一歩より、
そんな思いで、前進していくのみです。

何よりも、勝利された真のお母様が今この時に、
地上におられるということを
心から感謝して、一つになっていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 08:00 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月29日

善進様が修練生の質問に名回答! ペットボトル5本分の重さとは 《み言と質疑応答》



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聖和6周年記念として大役事が行われましたが、
文善進(ムン ソンジン)世界会長の講演と、質疑応答がありました。

その際に訓読されたみ言を、まず紹介します。


森の中にいれば心が澄んできます。

木の葉がしきりにカサカサする音、
風が葦を揺らす音、水場で鳴くカエルの鳴き声
といった自然の音だけが聞こえ、
何の雑念も生じません。

そこで、心をがらんと開け、
自然を全身で受け入れれば、
自然と私は別々のものではなくなります。

自然が私の中に入ってきて、
私と完全に一つになるのです。

自然と私の問の境界がなくなる瞬間、
奥妙な喜びに包まれます。

自然が私になり、私が自然になるのです。

私はそのような経験を
生涯大事にしまって生きてきました。

今も目を閉じれば、
いつでも自然と一つになる状態が訪れます。

ある人は無我の状態だとも言いますが、
私を完全に開放したところに
自然が入ってきてとどまるのですから、
事実は無我を超えた状態です。

その状態で、自然が話しかける音を聞くのです。

松の木が出す音、草むらの虫が発する音…。
そうやって私たちは友達になります。

私は、その村にどんな心性を持った人が住んでいるか、
会ってみなくても知ることができます。

村の野原に出て一晩過ごし、田畑で育つ穀物の言葉に
耳を傾ければ、おのずと分かるようになります。

穀物が嘆息するのか喜ぶのかを見れば、
村人の人となりを知ることができるのです。

韓国と米国、さらには北朝鮮で何度か監獄に入っても、
他の人のように寂しいとかつらいとか
思わなかったのも、すべてその場所で
風の音を聞くことができ、共に暮らす虫たちと
会話を交わすことができたからです。

「虫たちと一体どんな話をするんだ!」
と疑うこともできますが、
ちっぽけな砂粒一つにも世の中の道理が入っており、
空気中に浮かぶ埃一つにも
広大無辺な宇宙の調和が入っています。

私たちの周りに存在するすべてのものは、
想像もできないほどの複合的な力が
結びついて生まれているのです。

また、その力は密接に連関して
相互につながっています。
大宇宙のあらゆる存在物は、一つとして
神の心情の外で生まれたものはありません。

木の葉一枚揺れることにも
宇宙の息遣いが宿っています。

私は幼い頃から山や野原を飛び回って、
自然の音と交感する貴重な能力を与えられました。

自然はあらゆる要素が一つのハーモニーをなして、
偉大で美しい音を作り出します。

誰一人として排除したり無視したりせず、
どんな人でも受け入れて調和をもたらします。

自然は、私が困難にぶつかるたびに
私を慰めてくれたし、
絶望して倒れるたびに私を奮い立たせました。

大都市に生きる最近の子供たちは
自然と親しむ機会すらありませんが、
感性を教え育むことは知識を養うことより重要です。

自然を感じる心がなく、
感性が乾いた子供であるならば、
誰が教育したところで何が変わるでしょうか。

せいぜい世間に広まった知識を積み上げて
個人主義者になるだけです。

そんな教育では、物質を崇拝する唯物論者ばかりを
作り出すことになってしまいます。

春の雨はぽつぽつ降り、秋の雨はぱらぱら降る、
その違いを感じることができなければなりません。

自然との交感を楽しめる人であってこそ
正しい人格が身に付くと言えます。

道端に咲いたタンポポ一本が
天下の黄金よりも貴いのです。

自然を愛し、人を愛することのできる心を
備えておくべきです。

自然も、人も愛せない人は、
神を愛することはできません。

神が創造された万物は神ご自身を表す
象徴的な存在であり、
人は神に似た実体的な存在です。

万物を愛することのできる人だけが
神を愛することができます。


草むらの虫と交わす宇宙の話
『平和を愛する世界人として』(光言社版、54〜56頁)



これを訓読された後、語られた善進様のみ言と
質疑応答の内容を紹介します。



文善進世界会長のみ言(要約)


天の父母様(神様)と真の父母様と共に
私たちが世界の人々と世の中を正しく導くには、
どんな分野においても、
お互いに学び合うことを継続しなければなりません。

人は皆、変化の鍵≠もっていますが、
自身の態度を変えない限り、
そのような変化は絶対に起きません。

きょう、訓読したみ言を通して、
皆さんが天の父母様と真の父母様の愛と真理に連結し、
皆さんの心と体が
一つになることができるように願っています。


(質疑応答)

修練生の質問
「私に苦痛を与えた人々に愛する実践をしようとするとき、
意識すべきことは何ですか?」

善進様はその修錬生を壇上に呼んで
水が入ったペットボトルを5本持たせ、以下のように指導されました。

「そのペットボトルは受けてきた苦痛による心の重荷です。
それを下ろして天の愛と一つになり、
自らの怨讐を愛して多くの幸せと喜びを味わい、
その人と和合しなければなりません」

《文善進世界会長特別講演》
8月26日午後3時30分〜
天城旺臨宮殿大聖殿
(孝情清平リポートより抜粋編集
文責:ten1ko2)
*冒頭の写真はこの時の写真ではありません


善進様の回答、
とてもシンプルなものですが、
実際に壇上でペットボトルを持った修練生には、
手に残った具体的な重さとともに、実感として
忘れられないものとなったことでしょう。

心の重荷をおろすことは簡単なことではありませんが、
善進様は、それを実践され、
恩讐を愛する戦いをしてこられたのではないでしょうか。

人の心は移ろいやすいです。
しかし、自然と一つになり、
神様と一つになって、
あらゆる困難を克服し、
強い人になっていきたいと思います。




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posted by ten1ko2 at 09:50 | Comment(0) | ご子女様・真のご家庭 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月28日

霊界はどういうところか ──天国、地獄、3種類の霊界がある?! 《浅川先生》



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浅川先生の霊界のシリーズ、続編です。

さて、具体的に霊界とはどんなところなのでしょうか。
私たちの今生きるこの現実世界とは、
何が違うのでしょうか。

また、天国と地獄があるといいますが──


ここで、霊界とはどのようになっているのか、
大まかに述べてみようと思います。

霊というものは、明らかに体をもっています。
人体と同じ形をしていて、
目は二つ、耳も二つあり、鼻の穴も二つ、口もあります。
手も足も二つあります。

一見すると人体と変わらないので、
これを霊人体と呼ぶことにします。

感覚も、視覚、聴覚、嗅覚(きゅうかく)、味覚、触覚もあります。
これは、生きているときと、全く変わらないのです。


さて、人体には胃腸もあるように、霊人体にも胃腸があるのです。
ということは、物を食べなければ、おなかはすくということなのです。

もちろん、ここでいう物は目に見えるものではありません。
実は、このことが非常に重要なことなのです。

よく、人間は死ぬと、衣食住の苦労から解放されて、
とても楽になると言う人がいます。
しかし、そうではありません。
衣食住の苦労は、死んでからもあるのです。

また人は、死の床に就けば、永遠の眠りに就き、
二度と目覚めないともいいます。

しかし、これもそうではありません。
人間は、死ぬと再び目覚めて、
新しい霊界生活に出発し、衣食住の生活が始まるのです。

霊人体があるということ、胃腸があるということは、
食べなければおなかがすくということなのです。
ですから、霊界に行っても食べることは重要なことなのです。

また寒い霊界もあれば暑い霊界もあるので、
防寒着を着なければ寒く、暑い霊界では
冷房が効かなければ涼むことができません。
この世と変わらないのです。

ですから、着物を着ること、食べること、
住居に住むということは、死んでからも全く変わらないことです。


さてそうなると、この世では、お金がたくさんあって、
衣食住が豊かな生活をしている人と、
とても苦しい生活をしている人と、
その中間の生活をしている人との、三層に分かれています。

お金持ちは豊かな生活をし、
お金がなければ貧しい生活をするしかありません。
しかし、さしたるお金持ちでもなければ、
さしたる貧乏でもない人もいます。

このように、上流と中流と下層と分かれているように、
霊界も全く同じように三層に分かれているのです。


豊かな衣食住をする世界を天国と言います。

天国は思っただけで、食べること、着ること、
住居というのが思いどおりにできる所であり、
衣食住の苦労は全くすることはありません。

死んで楽になるというのは、天国に行った場合にのみ可能なのです。


さて、中流霊界、これを中間霊界と呼びますが、
ここはこの世と全く同じように、働かなくては
衣食住が手に入らない世界なので、中間霊界に行った人は、
この世と同じく働かなくてはなりません。

しかし、退職もなければ老後もありません。
永遠に働き続けるのです。
これが中間霊界です。


地獄という所は、食べなければおなかがすくのに、
食べる物がありません。
働きたくても職場がありません。

ですから、ごみ箱をあさりながらホームレスのようになって、
苦しくて切なくて死にたいほどおなかがすくのに、
その飢えと渇きの中で死ぬことができずに、
生き続けるところが地獄です。


この三層があるのです。

天国に行くのか、中間霊界に行くのか、
地獄で生活をするのかは、まさに四十日間で
その人の本性が決めることになるのです。


さて、「霊界には猫がいるのですか」、
「霊界では花が咲いているのですか」、
「霊界に行ったら、海があって釣りができるのですか」、
「霊界に行ったらゴルフができるのですか」、
このような疑問をもつ人もいるでしょう。

山があり、川があり、海があるのか。
猫や犬や動物はいるのだろうか。
花や食物はあるのだろうか。
これも一つの大きな疑問です。

霊界にはすべてがあります。
山もあれば、川もあり、海もあります。
そしてあらゆる動物がこの地上と同じようにいるのです。

犬もいれば猫、牛、豚もいます。
ライオン、虎(とら)、熊(くま)もいます。
桜の花もあるので、この世と変わりません。

そういう意味では、この世で動物から受けた喜び、
花を育てた楽しみなどは
来世においても続いていくことは可能なのです。


しかし、違う点があります。

天国と中間霊界と地獄という三つの層があると言いましたが、
大自然の動物や植物や山や川も、
天国の動物、天国の山と川、中間霊界の山と川、
地獄の植物、これらはすべて違うのです。

天国の植物は、いつも花を咲かせて満開ですが、
地獄では花は咲きません。
枯れています。

天国では動物たちが寄ってきますが、
地獄では動物はいるにはいるのですが、
決して寄ってはきません。
恐ろしい声で泣き叫んでいます。

このように行く階層によって、動植物の反応が違うのです。


第一章 霊界を知らなければならない理由
現実と霊界の違い


霊界が存在し、霊人体がある、
ということがはっきりわかれば、
地上の生活で、どのような生き方をすればいいのか、
はっきりとわかるのですが。。。

わかっている者としても、
感情に生きるのではなく、
信仰を中心に生活しなければ。。。
そのように思わされます。







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