2018年09月24日

愛は「与えたら忘れなさい」というのはどうしてか?! 《金元弼先生》



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久しぶりに金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
1991年の説教から紹介します。


今、安昌成(アン チャンソン)先生のお話を聞きましたが、
その内容はあまりにも私の実情からほど遠いので、ショックを受けました。
しかし私は、そのお話で語られたような人になっていくために
最善を尽くしたいと思います。

安先生がおっしゃったように、
私も地上ばかりでなく霊界にあっても神と真の父母に侍っていきたいですし、
また、真理を愛し真理と一体化していらっしゃる
安先生に侍っていきたいと思います。


私と安先生との関係について話しましょう。

彼が初めて文先生に出会った時から因縁をもち始めて今まで、
私と彼の責任分担は分かれていますが、
心情の世界においては常に、彼からこれとこれを
学ばなければならないと思い起こしてみ旨に邁進しています。

安先生は私たちの教会の最初の青年学生部の責任者で、
初期のころ何度も城跡に登ってみ旨を心配しながら話し合ったことなど、
たくさんの思い出があります。

また家に誘われて食事に招待されましたし、
安先生の親御さんは私の面倒をよく見てくれました。
特に彼のお母さんは私の好物を覚えていて、
その時期が来るとそれを料理して送ってくださいました。


また安先生は人に良く尽くしてこられて、
自分はとても質素な生活をしながらも、
人には貴重な物をあげていらっしゃいました。

私も讃美歌とか良い本を買っていただきました。
ところが、私が安先生に良い物をあげると、
自分でそれを持たないでみな人にあげてしまうので、
私の堕落性のゆえですが、あげる気持ちになれないことがありました。

文先生のお母様(忠母様)が、
ろう獄に入っていらっしゃる先生を訪ねられた時に、
先生のために食べ物を準備して持ってきたのに、
目の前で先生がそれを全部人々に分けてあげるのを見て
非常に心痛く感じられて、
「もう再びそれを持ってくまい」と考えられたそうです。

私は安先生との体験を通じて、
そうしたお母様(忠母様)のご心情をよく理解することができました。


文先生はそのような心が起きることに対して、
次のように原理的に説明されました。

「もしあなたが私に何かをくれたとするならば、
それは以前はあなたの物であったが、
今はあなたの物ではなく私の物です。

ですから私の物を私があげたい人にあげるのは
私の自由です。

にもかかわらずあなたが寂しいと感じるのは、
それを今もなお自分の物と考えているからです。

ですからいったんあげたからには、
だれにあげたとしても、
それに対して寂しい思いをもってはいけません」


と。

寂しく思うのは、他の人にあげてからも
それをずっと干渉しようとする堕落性があることを意味しています。

ですから文先生は、ために尽くしたら
それをいつまでも覚えているのではなく忘れなさいと言っておられます。


それで私は、安先生がもらった物を
たとえすぐに人にあげたとしてもかまわないから、
「あげたいと思った時にはもっとあげよう」と自分に言い聞かせています。

そして、安先生は今まではそうなさいましたが、
これからはそれを卒業して自由になられたので、
何かあげた時にはそれを大事にしていただきたいとお願いしたいです。

なぜならば私は既にそうしたことを学んだので、
もし私が何かあげたならばそれを自分で用いていただきたいと思います。

このように私は安先生と一緒にいなくても
安先生の良い点を考え、そこから学んでいます。

1991年9月12日 
ドイツ・シュミッテン修練所(四十日修練会)


安昌成先生は、原理講師として有名な方です。
お父様から、「1時間講義する前に3時間祈祷した」
と証しされるほど、精誠を尽くされた方でした。

金元弼先生と安昌成先生とのやり取りもとても勉強になりますが、
それにもまして、お父様の証しもとても重要だと思いました。

本当の「ために生きる」姿がどのようなものか、
お父様に見習い、また、金元弼先生に学んでいきたいと思います。

続きます。





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posted by ten1ko2 at 11:56 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月23日

お父様のみ言を厳選する理由?! 聖棺に入れたみ言とは 《真のお母様のみ言》



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先日、み言精選編纂委員午餐会での
真のお母様のみ言を紹介します。



私が、お父様の聖和後に、お父様が行かれる道に、
本を入れて差し上げたかったのですが、
未来を置いて考える時、これらはまだ、未完成です。
多く苦心しました。

ですから、(天一国経典)平和経の内容、
それは、世界巡回を行いながら、
公式的に語ったみ言なので、要約して、
そのみ言と、原理講論を入れて差し上げました。

今、お父様のみ言選集600巻があるといいますが、
この父母様の時代に、皆さんは、
お父様との近い因縁があるので、
そのみ言について理解することでしょう。

しかし、未来において、歴史において、この時代に、
真の父母に侍ったという家庭、人々、
知性人と呼ばれる人々は、考えるべき問題です。

私が言いましたね。
お父様のみ言は、原石だと。
磨き上げてこそ、その価値が現れるのです。

旧約時代も過去であり、新約時代も過去であり、
成約時代も過去です。
今の時代は、天一国です。

ですから、きょう、私が話した内容を、肝に銘じて、
一つとなり、一つの心、一つの志で、
責任を果たしてくれることを願いながら、
一言語りました。



天地人真の父母様招請 み言精選編纂委員 特別午餐会
天一国6年 天暦8月6日(陽9.15)天正宮博物館
(HJグローバルニュースより)


お母様は、622巻の真のお父様のみ言選集の中で、
40巻の精選作業を、2020年までに完了することを
奨励されているとのことです。

お父様のみ言は「原石だ」と語られるお母様。
いつの時代にどういう立場で、語られたみ言なのか
その背景が分からなければ、
お父様のみ言の価値は理解できないでしょう。

お父様はみ言の中で、
真の父母、そして真の母について、はっきりと
勝利を宣言し、お母様に感謝されています。

誰よりもそのみ言の価値をよく理解されるのが、
お父様と完全に一体一和となられている
お母様にほかなりません。

み言の実体である真のお母様は、
今、真のお父様のみ言を
ダイヤモンドのように磨き上げられておられます。

お母様を批判する人たちは、
お父様のみ言をなおざりにしていると言いますが、
何よりも貴く思っておられる
真のお母様であることを知らなければならないと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月22日

(証し)子供に「死ね」と言われたら?! 全否定されても、親であることを捨てない!



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お子さんとのやり取り、
そのことに関しての先輩からのアドバイス、
とても貴重な証しなので、紹介します。



〈先輩家庭を通して与えられた神様の言葉=r

ある日、長女(小5)が「友達の○○ちゃんの家には、
『スイッチ』(ゲーム機)が2台もあるんだよ。
すごいね。
うちには、なんでないの?」と言ってきました。

私はそれまで、「目が悪くなる」
「勉強が手につかなくなる」などの理由を並べて、
「我が家は、ゲーム機は買わない!」と、
ことごとく子供のお願い≠はねのけてきました。

しかし、なぜかそのときは、長女の言葉が胸にぐっと突き刺さったのです。

ほかの家庭と比べられて親としてのプライド
が刺激されたこともありますが、長女が
うちは宗教をやっているから、ゲームを禁止された
などと捉えてしまったらどうしようか
という不安が生じたことも原因かもしれません。

長男(中1)がよく、スマホで「ゲームの動画」を見ていたことも思いだし、
思い切って「スイッチ」を購入しました。
親の愛を感じて、部活や勉強に励んでくれたらいいなあ
という淡い期待を込めながら…。

「宿題が終わってからする」「1人、1日30分」
「ゲームのことで兄弟げんかをしない」などのルールを決め、
守れなかったら没収することを宣言して子供たちに渡しましたが、
現実は甘くありません。

ゲームに飢えていた£キ男は、
勉強や食事そっちのけでゲームをして、妻と衝突を繰り返しました。
そして私は、妻からすればゲームを買ってしまった罪人
のような存在になってしまったのです。

私はルールに従ってゲーム機を没収しました。
そして、しばらくようすを見ようと思っていた矢先、
長男からLINEで「死ね」の文字が送られてきました。

ようやく「気持ちを率直にぶつけてくれてありがとう」
と返信したものの、心はやはりへこみました。
その文字が目に浮かぶと、頭がぎゅっと締め付けられるような気がしました。


そのようなとき、ある先輩家庭とお話をする機会がありました。

その方の息子さんは、祝福が2度難しくなって心が傷つき、
言葉を荒げて親に手を上げることもあったようですが、
昨年、祝福を受けて家庭を出発し、今は二世帯で暮らしています。

その先輩は私に「息子から親であることを否定されても、
私たちは、親であることを捨てませんでした。
それが神様の親の愛≠セと思います」としみじみと語られました。

その言葉は、私への神様の言葉≠ナした。
「神は死んだ」と言われながらも、
人類を愛し続けてこられた親なる神様です。

私は、「子供に何と言われようが、向き合い続けていこう!」
と、子供の成長を信じ、奮起することができました。

これからも親子で衝突することはたくさんあると思います。
その中で神様の愛に触れながら、
まずは親として成長していきたいと思います。

光言社スタッフブログより


なんか、とても親近感のある証しでした。
我が家も御多聞にもれず、
似たような出来事がありました。。。

今は、ある意味諦めて、
一緒にやることはないものの、
関心を持つようにしています。

本人たちが一番好きなことなので、
頭から反対したら、
それこそ、親子の関係が崩れてしまうので。
約束をしても、その時だけ、というか。
なかなか難しいものですね。

でも、「死ね」とSNSが来たというのは、
この方は相当凹んだと思いますが、
乗り越えていかれたのは素晴らしいです。。
先輩からのアドバイスも大きかったことでしょう。

改めて、私自身も先輩から助言を受けたと思って、
親であることを捨てない、あきらめない、
このことを肝に銘じていきたいと思います。





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