「聖和祝祭・孝情天宙祝福式」に参加した報告は、
いったん今回が最後になります。
また、聖和祝祭翌日より行われた指導者3日修についても
少し紹介します。
まず、祝福に関するお父様のみ言をどうぞ。
☆
祝福結婚式は、ただ単に男女が出会い、
一つの家庭を成す婚礼式ではありません。
今までの結婚式は、自分を中心としたものでしたが、
私たちの結婚式は、神様に
喜びを返し得るだけの内容をもって、
歴史を蕩減する条件として、
神聖で盛大に挙行されなければなりません。
私たちの結婚式とは、アダムとエバの
堕落で始まった神様の恨を解怨し、
イエス様が成し遂げられなかった
新郎新婦の基準を通過することであると、
「原理」は明らかに説明します。
(『祝福家庭』より)
私たちは蕩減棒で打たれたでしょう?
それはなぜですか?
臀部を過って使ったから打たれたのでしょう?
それは遊びではありません。
三時代の血統を汚した
恨みの峠を越えるための条件物です。
その痛みが消えるときには
息子娘が解放兵の立場で天の前に
両手を挙げて万歳を叫ぶことができるのです。
その時には天地万物と天の国全体が
「万歳」と喜び歌わなければなりません。
(『マルスム選集215-86』より)
☆
今回は、松戸家庭教会の信仰二世の付き添いとして
行ったはずでしたが、
結果的に教区の一世・信仰二世を担当することになり、
また、男性スタッフが少ないこともあり、
本部からの要請で、当日、
会場の座席確保の係をしました。
昨年の祝福式の時には、
自分の子供たちの晴れ姿を見るべく
日本から韓国まで来たのに、
割り当てられた座席には他の人たちが座ってしまっていて、
立ち見だったり、モニターで見るしかなかったようで、
2階席で座席を守る警備担当になりました。
それでも、3階席のはじの方の人たちは、
直接アリーナ席を見れなかった人もいたと思いますが、
全員が、座席を確保できたと思います。
早朝、大役事に参加した方の中には、
「こんなに席が空いているのに、
なんで、モニター席なのか。。。」
そのように思った方もおられたと思いますが、
新郎新婦の父母たちはまだ到着していなかったので、
ご理解いただければと思います。
☆
そして、式典のあとは、
会場ではユンノリがあったそうですが、
私たちはチョンアキャンプに移動して、
蕩減棒行事を行いました。
私はそこでも、
『打ち方が弱かった人の代わりに強く打つ』
という係を担当させていただきました。
家庭部長さんが審判なのですが、
残念ながら、「ちょっと弱かったので、お願いします」
ということで、何人かの方に打たせていただきました。
痛くて、おしりを抱える人もいたり、
とても和やかな雰囲気で行われましたが、
こんなことも、過去の蕩減を清算する、
あまりにも貴い儀式だと思うと、
真の父母様の深い愛に感謝の念が沸きあがってきました。
☆
そして、今回のスケジュールを通じて、一番感じたことですが、
カップルで一緒に食事をしたり、
仲睦まじく話しながら、二人で歩く姿を見ながら、
一つ一つのカップルが、
このように成立するにまでに至った、
様々なドラマがあるのだろうな、と思いました。
ある家庭教育部長さんによると、
今回の祝福まで、出会ってから、
わずか一か月でカップルになったところもあるそうです。
また、反対に、何度か壊れて、紆余曲折を経て、
ようやく踏み切って祝福に参加した方もおられます。
本当に一人一人が奇跡のような出会いをしているのです。
先回もお伝えしたと思うのですが、
本当に幸せになってほしい、
そのように心から思わされました。
☆
さて、お母様は、祝勝会の時、
「すべての指導者は、
すべてのことを空にして、
これから三日修練会に入る」
そのようにおっしゃられて、教区長以上の牧会者が、
全員清平で修練を受けることになったそうです。
本当は式典の翌日から、
世界指導者会議をはじめとして、
様々なスケジュールを組んでいたのですが、
全てをキャンセルして、修練会に投入するように、
招集されました。
しかも、善進様ご夫妻をはじめとして、
妍娥様など、真の子女様家庭も、
その場に同参されたとのことでした。
祝福式が終わって、
韓国は大雨になったとのことですが、
過去の足らない部分を洗い流して、
新しい出発を成す、今この時であると感じます。
そして、参加された指導者の皆様のみならず、
私たち一人一人が、
真のお母様を中心に、
「ウリヌンハナダ」一つになることを
再度、肝に銘じる、再出発の時であると感じるのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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