金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「自己犠牲の愛によって脱ぐ堕落性」の続きを紹介します。
☆
先生の親心
先生の親心
私はある時、先生と三日間も一緒にいながら
全く話せなかったことがありました。
はっきりとした理由は今でも分かりませんが、
先生との関係ではなく、食口との関係において話したくなかったのです。
そういう私の堕落性を、どのようにして
先生が脱がせてくださったかを話してみたいと思います。
しばらく私が話さないでいると、先生は
「なぜ私と話さないの?」と聞かれました。
しかし、私はなぜか話したくないのです。
何度聞かれても黙っていると、
先生は涙ながらに語りかけてこられるのです。
先生が泣いていらしゃるので、私も苦しくて涙せずにはいられなくなり、
やっと話ができるようになりました。
☆
先生はその時、
「あなたが気を悪くすることがあっても、
それを三時間以上
心の中にとどめておかないようにしなさい」
とおっしゃいました。
それはサタンが入って主管するようになるからです。
ですから最も重要な問題などは、三日以上そのままにしてはいけません。
☆
私たちは教会の中で、家庭の中で、地域社会の中で、
いろいろ難しいことがありますが、それを頭で考えるばかりで、
涙で訴えることが少ないと感じます。
涙で訴えるということは、サタンから家庭を、
あるいは人を守ってあげようという愛の表れです。
先生はそのことについて説明はされませんでしたが、
私をそのままにしておいたらどうなるのだろうか、
何とか早くその苦しみから救ってあげたい、
という愛の心をもたれたのです。
苦しいということは、サタンが入る条件をつくっていることになるので、
サタンから解放して、神の愛によって守っていこうという先生の愛の心が、
涙をもって私を説得してくれたのです。
それを考える時に、堕落性は神を中心とした愛があれば、
早く脱ぐことができるのです。
そのためには、「ために生きる」愛の心が
成長していかなければならないと思います。
1989年5月24日
ドイツ・カンベルグ修練会(祝福婦人集会)
ドイツ・カンベルグ修練会(祝福婦人集会)
☆
涙を流されながら、元弼先生を心配されたお父様。。。
私の苦しみは、私だけではなく、
天の父母様、真の父母様も苦しんでおられる。
元弼先生の証しは、そのことを
私たちに教えてくださっています。
そして、どうしても私たちは、
受けることを考えてしまいがちですが、
真のお父様のようになることを
意識しなければと思わされます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)