浅川先生の『幸・不幸と霊界の仕組み』
今回は、「臨死体験の実例」前半です。
☆
それでは、人間は死んだ直後、どうなるのでしょうか。
実はこのことは、最近、本当によく理解できる時代になってきました。
人間が死んだ直後、あるいはしばらくの間、
人間はどのようになるのでしょうか。
医師が「この方はご臨終です」と、死亡の宣告をしたあとで、
再び息を吹き返す、よみがえる方々の実例があるのです。
医師の最も重要な判断の一つは、「ご臨終です」という言葉です。
これを親族や家族の人に言うのですから、まかり間違って
生きているのに「ご臨終」と言えば、大変なことになります。
医学的な正確な判断をもって、自信をもって
「ご臨終です、死亡しました」と言うはずです。
ところがこの医師の臨終宣告を受けたあとに、
息を吹き返す人がいるのです。
☆
これらの人が、死んでいるかに思われた時間、期間に、
何を見て、何を感じたのか、
この生き返るまでを臨死体験として集め、整理した人がいます。
今から三十数年前のことですが、アメリカの精神科医の
レイモンド・A・ムーディ・Jr.が、
このような臨死体験の実例をたくさん集めました。
医師がこのような収集をしたことが、とても貴重な資料になるのです。
医師の中には、自分が確信をもって死亡宣告をしたにもかかわらず、
よみがえってきた患者がいると言います。
その患者の話を聞くと、驚くべきことに、
みな共通の体験をしていることが分かってきました。
☆
まず、患者は死亡宣告を聞きます。
死亡宣告とは、「ご臨終です」という言葉です。
通常この言葉は、医師から家族や病室に集まってきた
親族に向けて語られる言葉です。
ところが、この言葉を「死亡した」はずの本人が聞いているのです。
さて、聞いたあとどうなるかというと、
大概の人の体験は共通しています。
ある人は下水道とも言いますし、ある人はトンネルとも言います。
ある人はジェットコースターのようだと言う人もいますが、
長いトンネルのような所をものすごいスピードで
通り抜けていくという体験をしているのです。
さて、このトンネルを通り抜けたあと、どのようになるのでしょうか。
亡くなった方々は不思議な体験と不思議な感覚をもつようになります。
☆
臨死体験の実例を紹介します。
ある人が心臓の機能が麻痺(まひ)して、心不全で亡くなりました。
さて亡くなったその人は、
「気が付くと、ベッドとマットレスの横についた
手すりのパイプの間を通り抜けて、まず床に降りた」
と証言しています。
パイプとパイプの間は非常に狭いのですが、
「自分の体がそれを通り抜けて床に降り、
それから次第に自分の体が上昇を始めた」と言っています。
「上昇して天井のすれすれまで漂うようになり、
そして蛍光灯、あるいは電灯を横からはっきり見た」と言っています。
さて、それから下を見てみると、
自分の体がベッドの上に横たわっています。
その体を一生懸命蘇生(そせい)させようと、
医師や看護師が必死に手を施しているのです。
それがはっきり見えるのです。
自分の体が医師によって何度も電気ショックを与えられているのを見ると、
あまりにも自分の体を傷めつけていると感じられたので、
「先生、それはやめてください、体が傷つきます」
と必死になって叫ぶのですが、医師は耳を傾けてくれません。
これほど大きな声で叫んでいるのに、
どうやら医師には全く聞こえていないようなのです。
「おかしいな、こんなに大声で叫んでいるのに、
どうして聞こえないのだろう。それに、自分の体は
こんなに元気なのに、お医者さんや看護師さんは、
なんであんなに一生懸命苦労しているのだろう」
そんな感じをもったといいます。
そして、医師の手を振り払おうとします。
一生懸命、手で振り払おうとするのですが、不思議なことに、
自分の手が医師の手をすり抜けていきます。
止まりません。
それどころか、病室に看護師が入ってきたので、
よけようとするのですが、
看護師は自分の体を通り抜けてしまうというのです。
ここで、非常に不思議な感覚をもつのです。
見ることができ、聞くことができ、感じることができるのに、
どうして私の声は人に聞こえず、
私の手は通り抜けていってしまうのかと、
不思議な感覚をもつのです。
それから、どうやら自分は死んだのかもしれない、
こういう感覚をもつのですが、
それは、いわゆる「お迎え」がそこに来ていることを見るからです。
☆
出産の最中に臨死体験をしたある女性は、
分娩(ぶんべん)室の中で天井に浮遊していきましたが、
横を見ると、
同じ天井にたくさんの人たちがいることが分かったといいます。
それは既に亡くなった懐かしいおばあちゃんであり、
若くして亡くなった高校時代の友達であり、
親戚縁者で早くこの世を去った人たちが
天井に集まっていたというのです。
この方は、それらの人を見ながら、
ああ自分は死んだのかもしれない、
そして私を新しい世界に導く道案内をするために
迎えに来たのかもしれない、こう思ったそうです。
☆
またある証言では、一人の方が近寄ってきて、
「私はあなたの人生をずっと見守り、助けてきましたが、
きょうからは違う人にゆだねます」と言ったそうです。
この方は、きっとこの人がずっと自分の人生を
見守ってくださった方なのだな、
としみじみ感じたと言っていました。
このような、亡くなった方々が集まりながら、
いわゆる、「お迎えに来る」ということが行われているのですが、
実はこれから不思議な体験を、死者たちはしているのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第一章 霊界を知らなければならない理由
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第一章 霊界を知らなければならない理由
☆
ちなみに、浅川先生が紹介しているレイモンド・ムーディは、
Wikipediaによると
「死後の世界の存在の証拠はないとする立場をとっていたが、
その後、精神を病み自殺を図った際に、
臨死体験をしたことがきっかけで
死後の世界の存在を信じる立場へと転換」したのだそうです。
日本でも、俳優の故・丹波哲郎さんが、
臨死体験を子供のころ経験し、
「大霊界」という映画を製作したのは、有名な話です。
余談ですが、み言も聞いたことがあり、
堕落論が理解できずに、
食口にならなかったとか。
ビートたけしさんも、バイク事故の時、
自分の手術を別の場所から見ていた、と言います。
臨死体験をした人たちの共通の意見ですが、
死後の世界を実感したために、
死の恐怖がなくなったといいます。
死後の世界、すなわち霊界は、
体験した人だけにあるのではなく、
普遍的に存在しているのだ。。。
そのことを誰もが知らなければならないと思います。
明日に続きます。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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