2018年09月18日

霊界への柵、三途の川を越えたら…… 「本性むき出し」の世界?! 《浅川先生》3



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浅川先生の霊界講座。
今回は、『霊界に入るとは』です。

死後、40日、49日を迎える頃までのお話です。


さて、柵を越え、向こう岸に渡ったらどうなるのでしょうか。

今までは、臨死体験者のお話ですので、柵の前までのお話です。
これからのお話は柵を越えた方々の話になります。

霊界に行き着いた人たちの話、霊界から来た様々な通信文、
これらを整理してまとめると、霊界に行くと
どのようになるのかということがよく分かるのです。


最初に、霊界に行ってからの四十日間を考えてみたいと思います。
四十九日とか、四十日の祭祀(さいし)とか
様々に言われるのには意味があります。

この期間は、どの霊界に行くかを定める期間です。
あるいは地上と霊界をさまよっていた人が、
完全な霊界人となり切ってしまう期間が四十日間なのです。

言い方を変えれば、私の正体を現す期間が、この四十日期間です。

本当の私、私の本性 (ほんしょう) を明るみに出す、少しきつい言い方をすれば、
「本性をむき出しにする期間」というのが、この四十日期間なのです。
むき出しにしなければ、その人の正体がはっきりしないので、
行く霊界がはっきりしません。

人間は必ず自分の本性を隠して生きています。
人は裸を隠すために服を着ます。
それだけでなく、化粧をし、様々な装飾品も付けて生きています。

しかし服を脱いでしまえば、裸の体に多くの傷がついているかもしれません。
でも服を着れば体についた傷は見えません。
女性でも、化粧をすれば、本当の顔は見えません。
でも化粧を落としてしまうと、そこに素顔が見えるわけです。

人間の素顔と本当の体は、化粧と服によって隠されています。
同じように私たち人間は、心も化粧し、心も服を着ているのです。

外見としての人間、外面としての人間、
生きていくためには様々な演技が必要になります。
自分の本性を隠して生きなければ、生きられない世界もあります。
また自分の心をあたかも非常に善良のように見せかける生き方もあります。

外見からは人間の本性は分かりません。
それをすべて洗い流して、本当の私の姿を現すのが四十日間だというのです。

ですから化粧してとても美しい顔をしているように見えても、
実はその心根(こころね)、心というのが
非常に意地汚い性格をもっている人であるならば、
四十日間に意地汚い性格の部分が表れてくるので、
その顔は極めて醜くなるのです。

しかし外見上は普通の顔でも、心が非常に美しく
善良な方であれば、清くて美しい姿と顔に変わるのです。

このような本性をむき出しにする期間、
心の底をあらわにする期間が四十日間なのです。

四十日たつと、その人の正体がはっきりするので、
霊界に行く場所が決まってきます。

その人がどこの霊界に行くかが決まるのですが、
それはだれが決めるのかというと、
「自分の本性」が決め、「自分の正体」が決めるのです。

磁石に引きつけられるように、本人自身の霊人の善し悪しによって、
良い霊界、悪い霊界に分かれていくのです。


浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第一章 霊界を知らなければならない理由



臨死体験ではなく、
実際に霊界を行き来できる人は
あまりいないでしょう。
霊界からの正しい情報を得るのも簡単なことではありません。

そういう意味では本当に貴重な証しであり、
私たちが地上でいかに生きるかを示唆する、
重要な証しであると思います。

私がどの霊界に行くのか、
「自分の本性」「自分の正体」が決める。。。
心から肝に銘じていきたいと思います。


参考にどうぞ:
49日の過ごし方?! 樹木希林さんは
どうしてる?! 《霊界ってあるんでしょうか6》

(「幽霊っているんでしょうか」ブログより)




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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする