2018年10月25日

霊界はどれくらい広い?! 想像を絶する広さ、時間の流れ方が??? 《浅川先生》



1810252020180924.png


浅川先生の霊界シリーズ、
続編です。



霊界の広さ

霊界はとてつもなく広いところです。

この霊界の広さは、地球上に住んでいる人間の感覚では、
到底理解することはできません。
その広さは想像を絶するものです。

それでは、どれほど霊界は広いのかを知るために、
私たちを取り巻いているこの宇宙というものが
どれほど広いのかを、考えてみたいと思います。


この世で一番、速いのは光です。
1秒間に進む距離は、地球7周半に相当します。

この光の速度で飛ぶロケットを造って月に飛ばすとすれば、
わずか約1.3秒で月に到達します。
さらに太陽に向かってこの光のロケットを飛ばすと、
およそ8分30秒で着くことができます。

そして、この光の速度で1年、365日、
飛び続けて到達する距離を、1光年といいます。


さて、動かない星ということで、航海などで
方角を知る目印となっている北極星があります。

北極星まで、どれくらいの距離があるのでしょうか。
この光の速度で走るロケットで431年かかるのです。
431年間飛び続けてやっと到着するのが北極星です。

例えて言えば、1600年に起きた関ヶ原の戦いの戦勝記念に、
徳川家康が光のロケットを打ち上げたとすれば、
2031年ごろに北極星に着くというほど遠いのです。

しかし、北極星は大宇宙の中から見れば、まだまだ近いほうです。
現代の科学者が測定したところによると、
宇宙の大きさは137億光年です。
これが今の科学の実証です。
137億光年、とてつもない広さです。
(※)


181025 やすっち.jpg


ところが霊界は、この大宇宙をすっぽりのみ込んでしまい、
それも、埃(ほこり)のようにのみ込んでしまうというのですから、
この霊界の広さたるや、想像を絶するものがあります。

霊界にも海がありますが、その海の広さは、見る限りすべて海です。
あるいは大草原、これもまた果てしなく広がっています。
このように膨大な広さがあるのが霊界というところです。


次に、霊界では、時間の観念がありません。

何年何月何日何時何分、こういう時間の単位の中で私たちは生きています。
ではなぜ時間というものは生まれるのでしょうか。

1日は24時間、朝、昼、晩と、このサイクルで
私たちは当たり前のように生きています。

地球が自転して、太陽の側になったところは昼となり、
裏側になったときには夜となります。
このことによって朝、昼、晩が生じているのです。


ところが霊界では、地球が24時間で1回転するということがないのです。

ですから、朝昼晩という順番があるのではありません。
朝のような世界に入れば、ずーっと朝が続いていきます。
(やみ)の世界に入れば、闇が永遠に続いていく世界です。

地上とのかかわり合いによって時間性が生じることがありますが、
霊界自体には、時間という概念がないのです。

四季の移り変わりも、春になればずーっと春が続いたり、
春の次に冬が、冬の次に秋が来る、
こういうことが起こり得るのが霊界なのです。

浅川 勇男・著(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは


私たちは、時間と空間のある世界、
すなわち3次元の世界に生きているので、
今の立場から、時間という概念がない世界、
さらには、大宇宙をすっぽり飲み込んでしまう空間。。。
そう言われても考えることができないのではないでしょうか。

時空を超越した世界が、霊界である。
そのことは、どれほど素晴らしいでしょうか。。。

神様が創造された霊界はこの天国のみです。
私たちもここに入ることができるよう、
精誠を尽くして歩むのみですね。

※知り合いの方から、
『137億光年、というのは
宇宙の年齢であり、
実際の大きさは半径470億光年
直径は940億光年です』
そのようにご指摘をいただきました。
いろいろ調べてみましたが、
実際に、137億光年よりも
かなり大きいことが分かっているようです。
お詫びして訂正いたします。




にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)



posted by ten1ko2 at 11:11 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月24日

私たちは何を心配しているのか?! 恨(ハン)に徹する父母様 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



181024 14moon_web.jpg


李ヨハネ先生のみ言。

先回は、十字架につかれたイエス様の
無念な思い、恨(ハン)についてのお話で、
私自身の抱える思いが、天の深い心情や事情に比べたら
いかに小さいかと感じました。

続編です。



心霊の成長と正しい信仰の基準

今日、私たちはどのような内容の心配をしていますか? 
何ゆえに忙しいですか? 
何ゆえに切なく思われますか?

主の恨に徹して生きます。
これが永生の要素になり、このような生活が、
天がいつも共にいてくださる生活なのです。

今日、私たちの師(お父様)は、恨に徹して生活されていることを、
私ははっきりと見てきました。

疲れた時やお休みになられる時に、
その恨を考えるだけでも瞬間的に眠けと疲れが
消え去るほどに徹しておられる方です。

それゆえに神の事情が分かる者であるならば、
恨に徹して生きるようになるのです。

恨に徹している者は、他人が行き来するのを見るときも、
他人のやるせないことを見ても天の口惜しさを体恤するようになるし、
他人を軽々しく評価できないようになるのです。
信じない者を見て、恨に徹してみなければなりません。

過越の祭を守ってきた弟子たちは、
パンとぶどう酒を一日の会食だけと思い、
主の悲壮なるみ言を聞いても理解できませんでした。

恨に徹した人であってこそ、
恨に徹したみ言を聞いて悟ることができたはずです。

その人の気掛かり、心配が何なのかに従って、
聞く耳が違ってくるし、目が違ってきます。
私たちは果たしてみ言の恨に徹しているでしょうか? 
恨の内容を知って生活しようということです。

李ヨハネ先生
〜聖書の中の心情圏〜
『恨の多い主』より


「恨(ハン)」というのは、
なかなか日本人には難しい言葉かもしれません。
同じ字を書きますが、恨みではありません。

「恨」は、天の心情に通じているゆえに感じるのであり、
恨むのではなく、あきらめるのでもなく
真の愛で許しつつも、天の願い、み旨を知るからこそ感じる
言うに言われぬ、無念な思いだと思います。

(ハン)に徹して生活をしておられる真の父母様。
私たちも神様の恨に通じれば、
真の父母様のごとくに歩むことができるのだと思います。

今までの人生の中で、大なり小なり
悲しいこと、恨みに思ってしまうような体験があるとしたら、
ただ個人の思いで悲しんだり、恨んだりするのではなく、
神様の事情、心情に照らし合わせていけば、
より神様に近くなり、
また、神様の恨、というものがわかるのはないでしょうか。

これは、み言に出会う前もそうですが、
出会ってからも、またこれからの歩みにおいても、
そういう神の痛みに通じるものがあることでしょう。

それを神様の歩み、
さらに言うならば、実体で通過していかれた、
真の父母様の歩みに照らし合わせていけば、
正しく乗り越えていけるに違いありません。

すべて、神様の愛であった、
そして、真の父母様の勝利が、本当に感謝であると
あらためて思うのです。






にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)


*李ヨハネ先生のお名前について
李耀翰と書いて、イ・ヨハンというのが正式なお名前ですが、
日本では、李(リ)ヨハネ先生としてもお馴染みです。
ご父母様が、文鮮明(ムン ソンミョン) 韓鶴子(ハン ハクジャ)であるように
元老の方々のお名前についても、日本語読みではなく
韓国語読みに変えるべきであるかとは思うのですが、
このブログでは、親しみを込めて李ヨハネ先生とお呼びしています。



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)


posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(3) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月23日

もうこれからは、蕩減を残してはいけない! 『責任』とは?! 《お母様のみ言10.20》



181023 20181020.jpg


先週末、清平で孝情奉献礼式が行われました。
その時に語られたお母様のみ言を紹介します。


今日このような日が来るまで、天の父母様(は)
ご苦労されながら、もどかしい摂理歴史
6000年という長い歳月を待たれてこられました。

必ずやご自身が立てられた創造目的を
成就しなければならない天の父母様は、
人間に責任を与えられたので、堕落した人類の中で
責任を果たすことのできる真の父母が誕生されるまで、
限りない苦労と蕩減の路程を経て来られたのです。

どれほどに心痛めながら失われた息子娘を探し求めて、
絶え間なく、終わりもなく、ご自身のみ旨を
成就してくれることの出来る息子娘を探し出す
4000年という苦労の路程の期間を経られました。

そして4000年ぶりに、ついにご自身が私の息子と
言うことの出来る独り子を送って下さいましたが、
再び不慮の事情により、責任を果たせなかった
中心人物と、その民族によって、天は再び
大きな悲しみと苦痛を経るようになったのです。



イエス様はまた来ると言われました。
独り子の位置は残っていました。

しかしその環境は、イエス様が責任を
果たすことの出来る位置にいることが
出来るものではなかったのです。

イエス様の十字架の後に、聖霊の復活による
使徒たちによって、キリスト教は出発し、
2000年の間流れてきました。

しかし彼は創造主である神様、天の父母様に対する
本質が分かりませんでした。
さらにはイエスキリストの本質も分りませんでした。

人間中心の考えでキリスト教は
2000年流れてきながら、
多くの失敗と過ちを犯してきました。

どうして神様を信じる立場から、神様が死んだという
共産主義が出てくることが出来るのでしょうか。

今日のカトリックも、カラーが明確ではありません。
このような状況の中で、
天は絶え間ない苦労と努力をしてきました。

責任を果たせなかった民族や中心人物を
再び用いて使われることはできません。
彼らには責任を果たせなかった
蕩減が残っているためです。



今日私が話そうとする内容は『責任』という言葉です。

天はそのみ旨を必ず成就されなければいけないので、
必ず誕生されなければならない
独り娘の基盤を準備する、
そのような民族を新しく立てられたのです。

そして天の祝福を受けることの出来る民族として
選ばれた民族が、韓民族です。(拍手)

天は6000年ぶりに摂理の完成に
責任を果たすことの出来る独り娘を誕生させました。
しかしその環境は非常に複雑で難しい状況でした。

独り娘の環境は、必ずキリスト教の環境圏で
誕生されなければいけません。
天はそのような目標をおいて
驚くべき準備の役事をされました。

天が探そうとされた真の父母の位置は、
国家的な基盤から成就されなければいけません。
しかし独り娘が誕生するその時は、
国のない状態でした。

天のみ旨を奉じるにあたり、人間中心の最高の指導者
一人によって左右されてはいけないのです。
ですからその期間は、
複雑な環境を経るようになったのです。



一旦独り娘が誕生したので、
その独り娘が成長することの出来る時間を
天は与えなければいけませんでした。

1943年に私が生まれ、
1945年にこの国が解放されました。
1950年に6.25動乱が起きました。この韓国
という国は存在することの出来ない状態でした。

しかし天は摂理の完成を見なければいけないので、
独り娘が成長することの出来る時間を下さり、
この国が残ることの出来るようにUN国16ヵ国が
同参して、この南韓の民主主義を守って下さいました。



そうすることによって1960年に
真の父母の位置に上がってきたのです。

しかしその環境はとても微弱であり、
一番下の底から出発せざるを得ない環境でした。
キリスト教の基盤が守ってくれることが
出来なかったためです。

しかし真の父母として
6000年の間待って来られた天の父母様と、
何がどうなってこのような混同する社会の中で
暮らすようになったのか分からない人類は、
一つの中心に向かう本心はありました。

それで彼らを教育し心の門を開きながら、
真の父母は祝福を通じて堕落した人類を、
真の父母の祝福結婚を通じて、天の子女として
いくことの出来る道を開きました。(拍手)

今まで天が準備した教団と義なる人物たちが、
草創期に一緒に同参していたならば、
今日よりはもっと早く、一つの世界になって行く
ことの出来る環境になっていたでしょう。

しかし真の父母はわずかな人数の祝福家庭から、
全世界の大陸に祝福の子女が誕生するようになるまで、
天の加護と祝福がなかったら不可能なことでした。



それで今日集まった皆さんは、天の父母様の
願いであり、人類の望みである
76億人類が、父母様が誰であるのかを知り、
父母様の前にすべてが集ってくるその一日、
天の父母様の下人類一家族のその一日、地上天国を
私たちが当代に真の父母様と一緒に生活している
この時間・瞬間が、どれほどに尊く
貴重なものであるかを知らなければいけません。(拍手)

ここに必ず皆さんの責任があります。
責任です。

皆さんは天の祝福を受けました。
皆さんによって先祖も解怨されました。
皆さんの氏族が生じたのです。
それをもって終わりではありません。

76億人類が真の父母を知らない人がいては
いけないということです。
そうするために、そのような人々のために
私たちはどのようにしなければいけないでしょうか。

必ず2020年までのうちに
責任を果たさなければいけません。
特に韓国と日本、アメリカは、摂理の中心国家として
責任を果たす国にならなければいけません。

私たちは、私たちの愛する子女、後孫の前に
蕩減という言葉、
蕩減という条件を残してはいけないのです。
そうですか。(はい、拍手)

これ以上の蕩減のない、これ以上の悲しみのない、
これ以上の戦争のない、
お互いに真の父母様の思想を伝授され、ために生きる
真の愛で、お互いに全ての国が一つの兄弟として、
父母様の前に孝行息子娘、忠と孝を果たす、
そのような世界になるまで、皆さんは
責任を果たすことに怠けてはいけないのです。(拍手)



昨日、日本の宣教師4000名の大会をしました。
彼女たちは天の摂理の前にその天のみ旨を知ったので、
恩讐関係であった国(と)、民族が一つになることの
出来る道を真の愛で開くために、
一つになることの出来る交体祝福結婚式を通じて、
この国に来たのです。

30年余り多くの事情がありましたが、しかし
彼女たちはみ旨を知ったので、また更には蕩減という
重い荷物を降ろさなければいけないことを知ったので、
困難な環境の中でも美しい結実を残した
日本の宣教師たちを見たのです。(拍手)

そうです。
この世界の76億の人類の中の、国と国との間、
氏族間、部族間、多くの理由で恩讐間(関係)に
なっている事情がたくさんあるでしょう。

それらが天の父母様、真の父母様の愛を知る時、
真の父母様に似ようと祝福の隊列に並び出てくる時、
いま世界のいたるところで起きている不和、問題が
一瞬間にすべて解決されるでしょう。(拍手)

その日のために、皆さん、
祝福家庭、氏族メシヤの責任を果たす皆さんが、
国家を越えて世界を目指す時なのです。
そのようにしますか。(はい、拍手)

必ずや私たちはその日までの期間を縮める
責任を果たす祝福家庭、
祝福子女にならなければいけません。(拍手)


2018天運相続孝情奉献式 真のお母様のみ言
天一国6年天暦9月12日(陽.2018.10.20)
於 清心平和ワールドセンター


今回、お母様は、「責任」
という言葉を強調しておられました。

「責任」と「恩恵」は表裏一体であると思います。
すでに余りある恩恵を受けている私たちですので、
氏族メシヤ活動にまい進していくことが、
「責任」を果たすべき私たちの立場です。

お母様は、このように語られています。
「世界のいたるところで起きている不和、
問題が一瞬間にすべて解決されるでしょう」と。

とても間接的に見えますが、
実は、最も直接的なのだと思います。
私に直接関係のあることなのです。

真の父母様を正しく証し、祝福に導くこと。
それがすべての問題の解決であることを認識し、
そのごとくに歩んでいきたいと思うのです。





にほんブログ村
良い記事だと思った方は、
応援のクリックをお願いします!

(なお、記事冒頭の家庭連合のバナーも
ブログ村のバナーとなっています
どちらからでも応援して頂けます)



※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)




posted by ten1ko2 at 07:55 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする