2018年10月22日

ひもじい時は、もっとひもじい! メシヤの感覚は、天宙的?! 《金元弼先生:平壌時代》3



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メシヤを少し喜ばせたら、
それは天宙的な喜びを
与えたことになるのです



金元弼先生のみ言、続編です。


避難の路程の時には、先生と距離をおいた心は全然なくなりました。
先生と一緒にいるような生活に変わったからです。
朝起きる時から、何事も一緒にするようになったのでした。

私は一緒に歩きながら、自分の信仰を次のように打ち明けたことがあります。

「もし、2000年前に生まれたならば、
私はイエス様を飢え死にさせたでしょう」と。
メシヤは、食べなくてもひもじさが分からないお方である、
と信じていたからです。

私のような者ばかりがいて、食べる物も飲む物も
何も差し上げないならば、どうなりますか。

先生も私たちと同じく、ひもじい時にはひもじさを感じ、
暑い時には暑さを、寒い時には寒さを感じるお方であるとはっきり分かったのです。
私は先生を通じて、2000年前のイエス様の事情、心情を理解できました。

同時に、私たちがもう一つ分からなければいけないことは、
メシヤの立場から見ると私たちよりもっともっと敏感だということです。
私たちより、何倍もひもじさを感じる方だということです。

なぜでしょうか。


それはちょうど親と子のことを考えてみれば、もっとはっきりします。
母と子が二人で住んでいたとしましょう。
とても貧しい家庭です。

子供は幼いので、母親が稼いで子供に食べさせなければいけません。
何とかしてやっと稼いで、牛乳を買いました。
ひもじいからといって、親が先に飲むことはできません。
まず子供に飲ませます。
残した物があれば、その次に母親が飲みます。

子供がひもじいと言うのと、親がひもじいと言うのとは、
同じ言葉ですが、内容は違うのです。

子供は自分のひもじさばかり考えて、ひもじいと言います。
しかし母親は、子供に食べ物があって、
自分にない時は、ひもじいとは言わないのです。
母親がひもじいという時は、子供のひもじさと
自分のひもじさが合わさって含まれているということを忘れてはいけません。


このことを通じて、はっきりしておきたいことは、
子供がひもじい、親がひもじい、その次に国を治める人がひもじい、
世界を治める人がひもじいという時、ひもじいという言葉は同じですが、
ひもじさを感じる度合いは、次元が全然違うということです。

個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙
というふうにレベルが変わってくると、
喜びも個人的喜び、家庭的、民族的、世界的、天宙的喜び
というふうに違ってくるということです。

ですから、国を心配する人を悩ませたならば、
それは国家を悩ませたことになります。


死にかかっている人を救ってあげたというのと、
国を治める責任をもっている人が死にかかっているところを助けたのとは、
同じように一人の人間ですけれども、その内容は違うのです。

一人の人を救ってあげますと、その家では、
「自分の子を救ってくれた」と言って、いろいろなご褒美を与えるでしょう。

ところが、ある人を救ってみたら、それが王子様だった場合、
王様は「私の子を助けた者は誰だろう」と探し回って、
その人を見付けたら、どういうご褒美を与えるでしょうか。
「お前は私の宮殿で一緒に暮らそう」ということになるのです。

反対に、王子様を殺したら、その人はどういう罰を受けるでしょうか。
個人を殺した場合は、個人の罰を受けるでしょう。
しかし、王子様を殺してしまったならば、国家的な罰を受けるのです。
王子様が死んだ時、王様はどれくらいの痛みを受けるかといえば、
国家的な寂しさを感じるのです。


メシヤはどういうお方ですか。

メシヤを少し喜ばせたら、それは天宙的な喜びを与えたことになるのです。
もし反対のことが起こったらどうでしょうか。
イスラエル民族は、たった一人のイエス様を殺害したのですけれども、
その罰がどんなに大きかったか考えてみてください。

ですから、メシヤに侍るということは、
どれほど注意深くしなければいけないかが理解できます。

ところが、神は愛なるがゆえに、罰は二、三代で終わるようにし、
いいことは何千代にも及ぶようになさいます。


リーダーとメンバーのことを考えてみてください。
私自身がほかのメンバーに心配かけたとしましょう。
またリーダーである皆様を悩ませたとしましょう。
心配をかけたのは同じですが、内容が違います。

十名のメンバーを担当した皆様は、十の悩みを担っています。
私がリーダー一人を心配させたことは、十の悩みを与えたのと同じです。
100名のリーダーならば、100名分の悩みを与えたことになるのです。

ですから、自分のアベルに当たるポジションの人に対しては、
訴えるな、批判するなと教えたのです。
それはたくさんのメンバーの悩みを抱えている人であるからです。
十人のリーダーであるならば、十人の悩みに責任をもっている人なのです。

全人類の悩みを率いているメシヤの心を少し痛めたら、大変なことになります。
その代わり、少しの慰めを与えるならば、
大変な喜びをもって私たちを迎えるでしょう。


ですから、メシヤは私たちの感情よりも、
はるかに敏感であるということを分かってほしいのです。

たまたまメンバーが少し良いことをしたら、
先生は大げさに話してあげることがあります。
褒められた人は、「私はそんなによくできなかったのに、
先生はとてもよく見てくださいますね」と感ずるのです。

一人でいる時には大きな悩みであっても、先生のところに行くと、
小さく見えるのはなぜでしょうか。
それは、私にはとても大きく見えることも、
先生があまりにも大きいがゆえに、小さく見えてしまうと考えるのです。

皆様にもそういう経験がありますか。
とても心配して、リーダーに何か聞こうとしたら、
小さく感じて聞く必要がなかったことが。
皆様がどんどん成長していくと、メンバーが皆様に対してそう感じるのです。



本当に元弼先生のおっしゃる通りだと思います。
人を喜ばせる、ということは貴いことですけれど、
真の父母様に喜んでいただく、ということは、
どれほどの価値のあることか知れません。

真の父母様は、私たちが幸せにならない限り、
ご自身も喜び、幸せを感じることができないお方である、
そのことを改めて感じました。

孝情の心情を持って、
神様・父母様に喜んでいただく歩みをすること、
今がその最頂点にいることを思いつつ、
さらに精誠を捧げていきたいと感じるのです。




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posted by ten1ko2 at 07:35 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月21日

日本から韓国に嫁いだ7000名の女性たち!! 終始笑顔で、お母様が日本宣教師を慰労



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先日、お母様が韓国在住の日本婦人たちを集めて
特別集会が開催されました。

その時に参加した韓日家庭の婦人が
お母様のみ言を含めて、感想を送ってくださいました。


真のお母様は日本の宣教師に会うために
「赤い服にしようか。
青い服にしようか・・・」
朝早くから準備されて、
とても楽しみにされていたようです。

10月7日に第4地区の前進大会があったのですが
その時に日本の婦人が証しをしました。

韓日家庭として、20年以上韓国で生活をして、
一度も夫に誕生日を祝ってもらったことがなく、
そのような環境の中で5人の子供を育て、
全て感謝であるという内容のものでした。

ご主人に持病があり、仕事ができなかったので、
生活費を稼がなければならなかったそうです。
本当に苦労の道を越えてこられた婦人でした。

真のお母様はその証しにすごく感動されました。
そして、韓国にお嫁に来て、そのような環境で生きている娘たちに
「会いたい」として呼んでくださった集会だったのです。

母親としてのお母様の愛を与えてくださったことに感謝です。


お母様は最初に

「家に帰ってきたら、子供たちは最初に誰を探しますか?
誰を呼びますか?」

そのように聞かれました。

「『お母さんただいま』というでしょう?
何も言葉にすることもできずに 、苦しい思いを抱えて、
ここに座っている娘がいることを知っていますよ。

それは皆さんが悪いのではなく、蕩減のためなのです。
考えることもできないくらい、
難しくて大変なことだと知っています」

そのようなみ言からはじまりました。


お母様は、
「今日 誕生日の人?」と尋ねられ、
8人の姉妹たちが壇上に泣きながら駆け寄りました。

お母様は にこにこ微笑みながら、
「お!どんどん出てくるね〜」と話されながら、
鞄に用意されていた封筒を一人ずつに手渡され、

「7人くらいいると思ったら8人だったね。
8数は良い数字でしょ。
再出発の数字ね」
そのように言われました。

「私も考えてみたら、58年間お父様に侍ってきたけれど、
誕生日が同じ日だったから、
お父様から一度も、
『誕生日おめでとう、サランヘヨ』
って言われたこともなかったわぁ〜」
と冗談半分に言われました。

母親と娘が普通の会話しているような、
そのような思いを持ちながら、
私自身も愛されている気持になりました。


お母様がみ言を語られる前に、
鄭元周秘書室長、李基誠会長、
そして、ユン・ヨンホ事務総長から、
歓迎と慰労のお言葉をいただきました。

世界のあちらこちらで、
懸命に先頭に立ち、
歩んでいる兄弟姉妹のことを感謝されていました。

その言葉を聞きながら、
私たちは、生きてみ旨の中ににいることだけでも、
本当に凄いことだと思いました。

そして、中断なき前進生活をされておられる、
真のお母様の凄さを感じざるえませんでした。

このような恩恵を与えてくださった、
天の父母様、真のお母様に心から
感謝をお捧げしたいと思います。

「神韓国家庭連合日本宣教師会特別集会」(10.19)
に参加して

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お母様は、見事な赤のお召し物でしたね。。。
ここぞ、というときには着られる「勝負服」が「赤」だといいますが、
どれだけ気合が入っていたことでしょうか。
写真にもあるように、終始笑顔のお母様だったそうです。

この集会には、4000名近くの婦人たちが集まったとのこと。
韓国在住の婦人というのは、韓日家庭の女性たちです。
「日本宣教師」と呼ばれるのですね。

実際には、日本からお嫁に行った婦人が7000人ですが、
急遽、お母様が招請されて、それでも4000人も来られて
会場に入りきれなかったといいます。

大会で証しした婦人に代表されるように、
彼女たちの苦労は、
本当に筆舌に尽くしがたいものがあると思います。

私が、かつて東京の青年支部に
スタッフとしていた頃、
多くの優秀で信仰のある姉妹たちが韓国にお嫁に行きました。

彼女たちがそこで苦労しながらも、
み旨を頑張っている証しを良く聞いています。

ひいき目ではありますが、
神韓国家庭連合の発展は、
日本から嫁いだ女性たちの存在が実に大きいと
かねてから思っていました。

お母様が、その苦労を理解してくださり、
ねぎらってくださったことは、
自分のことのように嬉しく感じます。

今回の集会で、母親の愛によって癒され、
さらにみ旨にまい進することを祈らずにはいられません。

お母様のみ言は、
公式に送られてきた時に、
また紹介したいと思います。




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posted by ten1ko2 at 08:00 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月20日

(証し)私がなぜ国会議員になれたのか?! 家庭連合が世界で最高!! <文総裁との縁>忠清圏大会で



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先日、清心ワールドセンターで行われた
2018 神韓国 和合統一 第3地区 希望前進決意大会で
韓国の国会議員が祝辞を述べました。
素晴らしい証しで、参加した食口たちがとても感動したそうです。

韓日家庭の姉妹が送ってくれた訳をもとに
編集したものをご紹介します。


私は、国会議員になる前には、
大宇(デウ)重工業 昌原(チャンウォン)工場で
30年間、超精密分野の仕事をしました。

私は小学校しか出ていません。
中学校と高等学校は通うことが出来なかったし、
大学は考えも及びませんでした。

ところでどうして国会議員になったのでしょうか?
実は、私は文鮮明総裁とはとても若い時からの縁があるのです。


私は1976年に大宇重工業に掃除夫として入りました。
母が早く亡くなりまして、(それまでは)
幼い妹を背負って乞食のような生活をするしかありませんでした。

食べて暮らすのが大変で、正門前で
乞食が来たと警備に怒られている時、
ちょうど会社に来た車に乗っていた社長が、
「かわいそうだから面倒をみてやれ」と言いました。

私は掃除夫として入り、一生懸命、庭を掃き、雑草を取りました。

会社は防衛産業なのですが、品物を作ると、
その材料を会社の近所にあった統一重工業に運びます。
私達の会社とは何百メーター程しか離れていません。
私は材料を積んで運ぶ仕事をしました。


ある時、統一重工業に行った時、ちょうど黒い乗用車何台かが入って来ました。
警備がどけと声を上げました。
私は荷車を止めて、端に立っていました。

ところである方が一番最後に降りて、行かれながら振り返って見られ、
「こちらに来なさい」と言われました。
私はその方が誰かも知りませんでした。

そして、その方が私に
「何の仕事をしに来たのだ」と尋ねられました。

「材料を積んで 統一重工業に納めに来ました」

「お前を見ると瞳がとてもキラキラして立派な仕事をしそうだ。
会社でどんな仕事をしているのだ?」

「超精密分野で仕事をしています」

「その分野でお前は必ず一人者になるだろう。
最善を尽くして、目標を第一において頑張りなさい。
お前の夢は叶うだろう」

とお話してくださいました。


その方が後に知る事になりましたが、文鮮明総裁でした。

私は本当に最善をつくしましたし、生命を賭けました。

そして我が国で最初に超精密分野の国家品質名匠として選抜され、
そうして私は大統領が守護する名匠の1号証を受けたのです。


その後、歳月が流れました。

文鮮明総裁が『平和を愛する世界人として』という本を出版されました。
私は名匠になり、その方のみ言を守りました。

もしかしてお会いすることが出来るかと思い、
私はカンナムに有る大きな建物で開かれる出版記念会行事へ訪ねて行きました。

招待状がなかったために、そのままこっそり入りました。
そして入り口にある席にそのまま座りました。
ところがその席の主が来て、どけと言いました。
仕方なく、立ちました。

その日は席に座った人だけご飯をくれるということで、
もしかして自分もご飯を食べれるかと空席を探してみましたが
盛況でどこにも空席が有りませんでした。

ところでその行事で文総裁はご高齢にも関わらず、
2時間、み言を語られました。


終わって手を振られ出られ、文総裁様が私の横を通りすぎる時、
お姿を拝見しました。

総裁は、振り返えられて私を見て手招きされました。
「おい!来たのか!」
「はい、名匠になりました」

「そうなるとわかっていた。
あんたの夢は何だ?
その夢は必ずかなう。
その大きい夢は絶対にかなうから
その時まで最善をつくせ。

私の本の中に、どんな状況ででも打ち勝つ方法が有る。
その本を見て、頂上に立つ時まで最善を尽くせ」

とみ言を語られました。

そして自叙伝をくださったのですが、
その本は皆さんが持っていない、
とても大きなサイズでした。


私はその「夢」というのが、何であるかが良くわかりませんでした。
しかし、ここに来てみると、
その夢が何であるかを知る事が出来ます。

この場におられる内外貴賓の皆様!
そして大韓民国国民の皆様!

(文総裁は)本当に辛く難しい仕事をしてこられました。
疎外を受ける人達を結婚させてあげ、
勉強もさせてあげ、その途方もない仕事をなされながら、
「平和を愛する世界人」'として一緒に行こうと語られ、
ゴルバチョフに共産党を捨てるようにされた文鮮明総裁。

世界平和統一家庭連合、ここがすなわち世界で最高である、
まさに正しい宗教がここだという事実を
私は、良くわかっています。

この場に参加された方達は、
イスラム教、モルモン教、韓国仏教、太古宗、 大倧ヘ、 儒教等
10を越える宗教が全て集いました。

彼らが愚か者ですか?
違います。


愛と家庭を中心として語られた文鮮明総裁様が
私達にその希望を残して、霊界に行かれました。

総裁様が逝かれて、この場(ワールドセンター)で行事をされる時、
私はもう一度参加しました(天宙聖和式)。

真のお母様が、この場で涙を流されながら
み言を語られるのを見ました。

実に独生女(独り娘)であるその方が、
仕事を本当に良くされておられます。
皆様、祝福の大きな拍手を、一緒に
(韓総裁に)お贈り致しましょう。

その方をどうして独生女と言われるのか、
私は今になってようやくわかりました。

皆様、手に手を取らねばなりません。
そして大韓民国の為に祈祷をしなければなりません。
世界平和の為に祈祷をしなければなりません。
私も祈祷を致します。

本当に良くこの場にお越しになりました。
これで本日の祝辞に代えさせて頂きます。
皆様本当にありがとうございました。

編集・文責 ten1ko2


この方は、小学校しか出ていないし、
仕事も最初は掃除夫という、
決して将来を嘱望する立場ではありませんでした。
(お父様に会った時にはすでに超精密分野の仕事をしていたということですが。)

しかしお父様との出会いにより、
人生は大きく変わりました。

お父様はこの方に、夢を与えました。
それが大きな目標となり、希望になり、力になったことでしょう。
そのみ言を信じて、一心に守っていかれました。

証しでは具体的に書かれてはいないのですが、
2回目にお父様から自叙伝をもらって
「頂上に立つ時まで最善を尽くせ」と
激励されたことで、国会議員になられたのかもしれません。

また、私が思うには、
この方の精神というか、
熱心に働く気持ちとともに、
与えられた環境に不平不満を持たず、
感謝する気持ちがあったからこそ、
今の立場があられるのではないかと思います。

真の父母様と正しい出会いをすることで、
正しい人生を送ることができるのだ、
そのことを教えていただきました。

奇しくも「教育部長の講義日記」で
同じ題材を取り上げています
君の目を見ると、輝いている




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