2018年10月04日

愛される前に、先に愛する?! 幸せになる「愛の優先順位」とは 《浅川先生》



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浅川先生の自叙伝講話。
真の愛の特色、一つ目です。


愛の本質とは何でしょうか。

愛の本質とは、人に何かをしてもらおうとする
思いを捨てて、人のために、全体のために
先に与えて、為(ため)に生きることです。

与えても、与えたという事実そのものを忘れてしまい、
絶えず与えるのが愛です。

それは、喜んで与える愛です。
母親が子供を胸に抱いてお乳を与えるときに感じる
喜びの心情がまさにそれです

(自叙伝:220ページ)



愛することを先立てる

一つ目の特色は、「人に何かをしてもらおうとする思いを捨てて、
人のために、全体のために先に与えて、為(ため) に生きること」
(自叙伝、220ページ)なのです。

真の愛は、愛されることより、愛することを優先するのです。
幸福を求めて、人に愛を乞うのは当然のようですが、
愛することを先立てなくては真の愛ではないのです。

愛することよりも、愛されることを優先すれば、
不満がたまり、ついには憎しみになりかねません。

夫や妻が互いに愛を要求し合えば、不満な思いが積み重なって、
激しいけんかになることでしょう。

(しゅうとめ)が嫁に愛を強い、嫁が姑に愛を乞えば、
憎しみのバトルが始まってしまいます。


真の愛は、相手を幸せにするために
自分が存在していることを悟る心なのです。

文鮮明先生は「結婚は、私のためではなく
相手のためにするものです」(同、228ページ)と言われています。

夫は妻を幸せにするために、妻は夫を幸福にするために、結婚するのです。

この観点で言えば、あなたが不幸を感じているなら、
それは、愛することよりも愛を乞うている自分の心が原因なのです。
不幸を相手のせいにする心、それが自分を不幸にしているのです。


愛には優先順序があるのです。
道路にも歩行者優先などの秩序があるように、愛にも秩序があるのです。

愛の優先順序を誤れば、幸福にはなれないのです。
服の最初のボタンを掛け違うと、最後まで奇妙な姿になってしまいます。

同じように、愛の最初のボタンを掛け違うと、幸福な姿にはなれないのです。
愛のあり方が間違っているなら、
どんなに頑張っても本当の幸福はつかめないのです。


真の愛とは、愛されることよりも愛することを優先し、
尽くされることよりも尽くすことを先立てることなのです。

赤ちゃんを見てください。
母親から一方的に愛を受けているように見えますが、
実は、赤ちゃんは、母親から愛される前に、母親を一生懸命愛したのです。

まず、この世に生まれたことが、親への愛なのです。
さらに、屈託のない笑顔や、しぐさで、お母さんを愛したのです。
それで、母親も、赤ちゃんにお乳を与えて愛しているのです。


人間は神様によって創造されましたが、
神様は、人は愛することを先立てることによって
幸福になれるように創造されたのです。

それが、真の愛の創造原理となり、その原理的秩序に沿って
愛したときにのみ人間は幸福になれるのです。


(浅川 勇男・著
光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第一章】真なる愛は、与え、また与えても、なお与えたい心です

(※自叙伝のページ数は光言社ではなく
創芸社出版のもの)



真の愛は、先に与えることが原則である。。。
分かっていても、受けることを願ってしまう。。。
実践できないのが、私たち堕落人間です。

自然の法則の中で、
唯一、自然に反する生き方をしているのが、
『人間』だけ、と言わざるを得ません。

自然の法則に従えば、
発展し、繁殖していくのですから、
そのような生き方をしていかなければ。。。
切実に思います。

もう一つの特色は明日に!



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posted by ten1ko2 at 07:40 | Comment(0) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする