霊界では、かわいがっていたペットたち、
愛犬、愛猫が
待ってくれているのでしょうか。
天国の動物や植物は、地上とはちょっと
違うようですが。。。
☆
では、霊界の動物や植物や山や川、海はどのようになっているのでしょうか。
最初に天国の動物たちについてです。
地上にいる動物はすべて、天国にもいます。
犬、猫はもちろん、ハムスター、牛、豚、鶏、ライオン、
鳥、キリン、ペンギン、アザラシなど、これらの動物も、みな天国にはいます。
しかし、天国の動物たちと地上にいる動物たちには大きな違いがあります。
地上では牛、豚、鶏も含めて食用になっています。
牛肉、豚肉、卵、これはすべて食用を目的として牧畜が行われているのです。
牛と牛が一つになれば子供が生まれ、豚と豚が一つになれば子供が生まれる、
どんどん生まれる牛や豚を販売して牧畜業が成り立つわけです。
しかし、霊界の動物は繁殖しないのです。
大きな猫もいれば、小さな猫もいますが、
霊界の動物の特色は繁殖をしないということです。
☆
そうなると、霊界の動物は何のためにいるのでしょうか。
食用の対象となるためではなく、
愛と喜びの対象としているということなのです。
つまり、すべての動物は人間のペットになるのです。
人間を喜ばせるための飼い犬や飼い猫のような立場にあるのが、
すべての動物なのです。
そういう意味では、この地上では猛獣と言われて
動物園の檻(おり)の中に囲まれている虎(とら)、
ライオン、熊(くま)というものも、霊界の天国においては
かわいい飼い虎や飼いライオン、飼い熊になるのです。
そしてこれら霊界の天国の動物たちが考えることは、ただ一つしかありません。
それは、どうすれば、主人である人間を喜ばせてあげることができるか、
これだけしか考えていないのです。
先を競って人間のところに寄ってきては、
人間を笑わせたり喜ばせたり、かわいいしぐさや、
じゃれたりしながら人間を喜ばせることだけしか考えていないのです。
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際立って違うのは、鳥だと言われます。
地上の鳥は人間が歩いていたら、みんな飛び立っていき、
近寄ってくることはあり得ない話です。
もちろん、からすのような鳥が来ることがありますが、
それはごみをねらって来るのであって、
人間を慕って来るのではありません。
大概の鳥は逃げていきます。
でも霊界の鳥は人間の愛が引き寄せる餌(えさ)となっています。
人間の愛が一番温かい巣になっているのです。
人間の愛に触れたくて、人間の真(まこと)の愛で安らぎを得たくて、
多くの鳥が、最もかわいい仕草をし、
歌を歌いながら寄ってくるというのです。
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また、霊界の猫と地上の猫の違いは、
地上の猫は人間を見ると大概、敬遠し、恐れて逃げていきます。
ところが霊界の猫たちは、これもまた人間を慕って寄ってくるというのです。
言うならば、檻のない動物園です。
人間と家族のように一緒に過ごしている世界、
これが霊界の天国に棲(す)む動物たちなのです。
とても猫が好きな人がいて、「私が亡くなったのち、霊界でかわいがっていた
三毛猫のミーちゃんに会えるだろうか」と考えていました。
「三毛猫のミーちゃんには間違いなく会えます」
と言えるのですが、同じ猫ではありません。
この世の生きている猫は死んでいきます。
しかし、霊界の猫は霊的要素でできているので、永遠に死なない猫です。
おばあさんは、地上で飼っていた猫が
そっくりそのまま走り寄ってくる姿を見ることができるでしょう。
そうすればもはや、永遠に別れはありません。
永遠にこのおばあさんと三毛猫のミーちゃんとは、一つになって暮らせるのです。
☆
そうなると、猫をかわいがっていれば、
霊界に行っても猫に会えるのかと思うかもしれません。
しかし、必ずしもそうではないのです。
霊界の猫と地上の猫、霊界の犬と地上の犬は大きな違いがあるのです。
地上の犬や猫は、基本的に餌を目的として人間になついています。
もちろん忠犬ハチ公のような健気(けなげ)な犬もいますが、
大概は本能で生きています。
餌をくれれば、本能でその主人になつきます。
霊界の犬や猫はどうでしょうか。
餌をやってもなつかないのです。
霊界の犬や猫が一番大切にし、一番慕わしく思うのが、真の愛なのです。
真の愛をもった人間が慕わしくて来るのです。
言い方を変えれば、地上の犬や猫は餌を目的にしますが、
霊界の犬や猫にとっての最高の餌は、「真の愛の人格」なのです。
この真の愛の人格に触れたくて、犬や猫はしっぽを振り、
ゴロゴロと鳴きながら寄ってくるのです。
地上の犬や猫は人格になつくわけではありませんから、
餌をやれば寄ってはきますが、霊界の猫や犬たちは、
真の愛の人格だけに寄ってくるので、
人格のない人が霊界に行った場合には、犬や猫はなつきません。
これが霊界と地上界の大きな違いです。
天国においては、真の愛の人格をもった人々が行くところなので、
真の愛の香りに触れたくて、多くの動物たちがなつき、寄ってくるというのです。
☆
では、花や植物はどうなのでしょうか。
天国で際立っているのは花です。
花も、どうすれば人間の心を引きつけることができるか、考えています。
そのために最高の香りと最高の色合いを出すのです。
花が人間の心を奪うために競い合っているのです。
その美しさに惹(ひ)かれて、気がついてみれば百年たっているというのです。
百年の時を忘れる美しさ、それが天国の花です。
☆
このような美しい花は、人間の願いどおりに白い色に変わったり、
黄色い色に変わったりできます。
ですから温かい愛の心をもった、
春のような心をもった人が近づいてくると、桜の花は満開になるのです。
地上の桜は、春の季節が来ると満開になりますが、霊界の花は、
春のような温かい愛の心をもった人が来ると満開になるのです。
そしてその人が、秋の紅葉が見たいと思えば、
たちまち自然の木々は紅葉に様変わりするのです。
そして白い雪の積もった木々を見たいと思えば、
木は自分の木々に白い雪を乗せて、
白い雪が降っているかのような光景をつくり出すのです。
といっても、この白い雪に触れてみると、冷たくはありません。
温かい雪が積もっているのです。
そういう中で読書をしたり、遊んだりする(ことができます。)
これが霊界の植物たちなのです。
春の次に冬が来て、冬の次に夏が来ます。
春と夏が同居することもあります。
人間のもつ心次第で自然が千変万化しながら、
人間を喜ばせ合う世界、これが天国の植物の世界です。
浅川 勇男・著(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは
第二章 天国とは
☆
天国は本当に素晴らしい世界です。
神様は私たちが幸福に生きるように、
全てを準備しておられたのだ、と思います。
神様が霊界で天国生活を味わうように、
全てを準備しておられたのに、
今まで、天国には誰もいなかった。。。
あのイエス様でさえ、楽園に留まっておられたのです。
そういう意味において、
私たちは、真の父母様を通じて、
真の愛を体恤することによって、
神様の準備した天国生活を味わうことができる・・・
どれほど感謝であるか知れません。
そのためにも地上でのみ旨成就のために
精誠を尽くさなければならないですね。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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