金元弼(ウォンピル)先生の「伝統の源流」より
貴重な平壌時代の礼拝の証しです。
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礼拝とその準備
礼拝とその準備
先生が礼拝をどのようになさったか、その時の様子をお話ししたら、
もっとよく分かるだろうと思いますので、そのことをお話ししましょう。
まず、先生は牧会を通じて新しい生命を求めてきた人たちを、
どのように復活、修正、よみがえらせるかということです。
今死にかかっている患者をこれからどのように生かすかという
深刻な立場に立って、取り組んでおられるということが分かりました。
それはちょうど死にかかっている人をいかに生かすかという立場の
お医者さんのような深刻な立場だと思えば、皆様は理解しやすいと思います。
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そういうことですので、先生は礼拝の前日は、
一晩中休むことができないで、
礼拝に参加する人々のためにお祈りをされました。
み言を受ける人も自己を分別して、
先生のみ言がすぐ受け入れられるように準備をしました。
先生が私たちにお話ししてくださったように、
1時間のみ言を語るためにはその3倍のお祈りをしなければいけません。
先生は日曜日のみ言を語るのに、神様のために
ずーっとその夜をお祈りで過ごされたのです。
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亡くなった劉孝元協会長は、先生とは違って
常に準備して全部原稿に書いてお話をする方でした。
しかし先生はいつも劉協会長に、
「語る言葉の準備に3倍のお祈りをしなさい」と語って、
先生御自身のことをお話ししてくださいました。
「食口のためにお祈りしなさい」と。
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その当時、先生は一つの小さな部屋を持っていました。
冬は非常に寒い部屋でした。
そういう所で先生はお祈りをされるのですけれども、
そのころは朝の10時に礼拝を始めました。
先生は10時になると、先生の部屋、そこはお祈りの部屋を兼ねていますけれども、
そこからおいでになられて直接礼拝の司会をなさいました。
先生の部屋といっても、礼拝をする部屋のただ一つのふすまを開ければ
そこが先生の部屋になっていました。
先ほどお話ししたごとく、先生は死んだ人を生かすという
手術をするドクターのような立場ですので、
礼拝は非常に熱烈極まるものでした。
先生は自ら賛美歌を歌いましたけれど、
賛美歌を歌いながら多くの涙を流されました。
賛美歌を歌う時から、祈る時、
そして説教する時にも相当の涙を流されました。
先生は最初から最後まで礼拝を主管され、
そこに集まっていた食口たちも全員涙でいっぱいでした。
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そういう礼拝の雰囲気に入ってくると、賛美歌を歌ううちに、
あるいはお祈りしているうちに、たくさんの霊的現象が起こりました。
もちろん霊能者が多いということもありますけれども、そうでない人も
そういう雰囲気に入ると、新しい霊的体験をしました。
ある人が準備しないで参加したり、あるいは疑う心を持っていると
霊能者が様々なかたちで働きかけました。
それゆえにその当時礼拝に参加する人たちは、
お祈りの準備をして来たのです。
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先生は霊的な現象があっても全然止めませんでした。
けれども今はそれを全部止めておられます。
ですから、私たちがベルベディアの礼拝に参加する時には、
そういう準備をしなくても済むかもしれませんが、
もし最初の時にそうであったならば
大変うるさいことがたくさん起こったと思います。
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礼拝に参加する時に、神が喜ばない心をもっていると、
非常に怖いといった感じも受けました。
教会のことを好奇心から調べたい、知りたい、尋ねたいということで、
いろいろな人が礼拝の時に訪ねてきました。
そういう時には、心霊がいい状態ではないのです。
そういう人はほとんど礼拝のために準備をしていない人たちです。
そうすると、今まで祈っていた霊能者の一人が、目も開けずに立ち上がって、
その人の肩を強く打ちました。
そういうことが起こってきます。
そうすると反対するよりもかえって、すぐに涙を流しながら
自分の誤った心を悔い改めるという現象が起こりました。
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そして、ある日曜日の朝のことです。
いつも聖日礼拝の前日には、いく人かが来てお祈りをして泊まりました。
ちょうど朝4時ごろに、その時は眠っていたのですけれども、
ある霊能者が霊に導かれて教会へ入ってきました。
寝ている所、真っ暗な所へ入ってきて、
「今このような時なのに、こんなに遅くまで眠っているのか」
ということで全員が起こされて、お祈りをしたこともありました。
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礼拝が10時からだとしますと、礼拝に参加するために前日から、
あるいはいくら遅くとも2時間前には教会に来て
お祈りして準備をするのが常識のようになっていました。
幾人かではなく、全部の食口たちが前日に来るか、
あるいは朝2時間前には来て、礼拝に臨みました。
なぜならば、み言、天の恵みを受け入れる心の準備をしていないと、
霊能者に言われるし打たれるので、誰が何と言おうとも早く来るようになりました。
食口たちがお祈りをして10時になると、
先生がその部屋から礼拝室に入って礼拝をされます。
ですから礼拝の時には、心の状態は非常に授受しやすい、
そういう立場に立ちますので、
その礼拝はスムーズに進み、大変熱気にあふれました。
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「説教の3倍は祈りなさい」
お父様はそのように語られました。
何よりもお父様ご自身が、
実践していかれたのですね。
そして、食口たちも
全く同じように精誠を捧げていきました。
外的なこと以上に内的精誠が重要であり、
天が導くということ。
今回は礼拝に関してですが、
天の摂理、すべてに当てはまるように思います。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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