2018年11月26日

帰れと言っても帰らない?! み言に飢え乾いた者たち 《金元弼先生・平壌時代の礼拝2》



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平壌時代の熱い礼拝。
お父様が「3倍準備しなさい」と言われた
原点はここにありました。

金元弼先生のみ言です。



〈礼拝参加者の心得〉

食口がほとんど準備していない、
そういう中で先生がみ言を語ろうとするとなかなか大変なのです。

そういう時には、たくさんの中で誰か一人でも、
よく準備していて基準のある人を見付けますと、
その人を中心としてみ言を語り始められます。

その人と授受作用がなされると
必ずその授受作用は繁殖の現象を起こしますので、
それによってもう一人が繁殖されます。
そして一人また一人と繁殖されて全体が燃え上がるというものでした。

礼拝をされる時、全然心が通じない、
そういう環境の中ではのどが渇いて
なかなか言葉がうまく出てこないというのです。

これは非常に原理的で、対象を求めて授受作用すると
それによって繁殖していくという原理が適用されるのです。

皆さんが競技を見ている時、自分は感動しているけれども
声を出せなかったとします。

しかし、一人が非常に感動して声を出すと、
その声に合わせて授受して、その人が拍手すればこっちも拍手します。
こうなりますと全体が拍手するようになるのと同じことがいえます。

私たちも心情が通じないのにみ言を語ろうとする時、
全体を見ていては授受できる相対者をなかなか見付けることができません。
その先生の様子から、授受できる人を見つけて
語り始めることが大事であるということを学びました。

皆さんも、水を飲みたい人がいるとすると、
その中でも水を本当に飲みたい人に先にあげるのと同じように、
恵みを求める心がほかの人よりももっと強いとするならば、
神はそういう人を通じて行われるのだということを覚えてほしいのです。

朝早くから誰よりも先に来て、
先生のみ言の恵みを求めて受け入れる準備をしている者がいるとすれば、
その人はみ言の恵みを先に受けるようになるでしょう。


私がニューヨークにいた時に、
先生は朝早く聖日礼拝のみ言を語ってくださいました。

そのみ言の中で、一番前の座席を取ろうと思って
前日から来て待っていた十代の若者たちがいるということをおっしゃいました。

先に来ないとほかの人に前の席を譲らざるを得ないわけです。
ですからその席を譲るまいと思って、いつも誰よりも先に来るのです。
寒い時でも、とにかく朝早くから
祈る人がいるということを非常に喜んで話してくださいました。


探し求めていた真理を聞くことによって、
生涯にない感激を受けたメンバーたちは、
自分の家に帰ることを忘れていつもいつも
教会から離れようとしませんでした。

最初のメンバーたちは、真理を大変求めていた人たちであり、
また神の啓示を受けて、約束されたメシヤを待っていた人たちでした。
それだけに先生のみ言を受けるとすぐ変わりました。

ちょうどのどが渇いていた羊のような立場であったからです。
前にもお話ししたように、非常に感動した人は教会を離れ難くなりました。
そうしますと、家庭からも教会からもたくさんの迫害を受けるようになりました。

心の喜びを知った人は、自分の家や今まで通っていた
教会にいることがなかなかできませんでした。
そういう心情は皆さんもよく体験していると思います。

心から真理を求めていた人が真理を知るようになり、
神のお告げを受けていても分からなかったのに、
そこに神の啓示を知ったメシヤを迎えることができたのです。

その喜びは、何ものにも替えることのできない、
そういう貴いものであったがゆえに、一方でたくさんの迫害を受けたのです。

先生はある期間を経過して、そういう食口たちにこれからは家に帰り、
そして教会に帰って、その中でこのみ言を伝えるようにと指導されました。
ところが食口の心はそうではありませんでした。
それはちょうど墓地に行くようにつらいことでした。

昔の教会に行ったら、前は非常に良かったのですけれど、
今はそこにいることができないのです。
それで先生の言うことを聞かずに、
再び先生のところへどんどん来てみ言を聞こうとしました。

そのように真理を慕って恵みを慕ってきた人に
「お前帰れ」ということができませんから、
先生はまたみ言をたくさん語ってあげました。

ある人は、「帰れ」と言われても帰らないのです。
そういう体験をしたことがある人は、
そういう心情によく共鳴するものがあると思います。



今は、み言もふんだんにあるし、
さらには、お母様がアフリカに行かれても、
インターネット中継を通して、
最新の情報を知ることができる、
まさに「一秒生活圏時代」に入りました。

しかし、元弼先生が証しをされている当時は、
お父様がみ言を語られる空間以外では、
み言を得ることができなかった時代です。

そのような状況で『帰れ』と言われるのは、
言われた食口たちも辛かっただろうし、
何よりも言わざるを得ないお父様ご自身も、
何より辛かっただろうと思います。

貴いみ言を学ぶことができることに、
心から感謝しつつ、
また多くの人たちに広めていきたいと思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:00 | Comment(0) | 草創期の証し(韓国・日本) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする