浅川先生の自叙伝書写講話。
今回は、「神様の三つの教え」です。
☆
神様の三つの教えに従いましょう。
それだけが、悪魔の働きを分別して、幸福への道を開きます。
第一の教えは、「人間は信じるに値するものである」です。
人間の根底には、輝く神性が潜んでいて、必ず蘇(よみがえ)る。
何度だまされても信じ続ければ、必ず美しい本性が現れてくる。
決して諦めてはいけない。
「栄光の王冠」の一節にあるように、
「だまされても、信じ」続ければ、必ず信じた者も懐に帰ってくる。
そして、あなたと同じように人を信じる者となるだろう。
あなたは今、裏切る相手に左右され、
自分の疑う心を治めて、信じる心を強固にしなさい。
すべては自分の心にある。
人間は最後まで信じてくれた者に、
心をゆだねるようになっているのだ。
☆
第二の教えは、「人間は愛するに値するものである」です。
人間はどんなに醜い性格をして、傲慢不遜で、
どうしようもない心の持ち主でも、愛する価値を持っている。
素晴らしく、美しい存在なのだ。
愛すれば必ず、愛に応えるようになる。
愛して裏切られても、それでも愛し続けよう。
そうすれば、本性が蘇るのだ。
あなたが正しい道を歩んでいるのに、
その人があなたを憎むとしても、「ひたむきに愛そう」。
☆
第三の教えは、「人間はどんな悪根性でも、必ず善(よ)くなる」です。
つまり、人間は誰でも善く変わる、ということなのです。
罪悪を犯した極悪人やヤクザでも必ず、善人に変わるのです。
なぜなら、罪悪に生きる人の心は、本来の心ではなく、
家族関係や社会のひずみの中で培われた、
心の皮相にすぎないからです。
愛で磨き上げれば、目を見張るような美しい心が現れるのです。
そのように、人を信じて愛していったとき、
あなたも真の愛の「栄光の王冠」を授けられるのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第二章】私を憎む者までも、ひたむきに愛そう
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第二章】私を憎む者までも、ひたむきに愛そう
☆
信じる(信仰基台)+愛する(実体基台)
そうすればメシヤによって祝福を受ける道が開かれる。
そして、真の父母様と一つとなっていけば
神様の願う創造本然の人間に成長し
共に天国で生きることができる。。。
とはいえ、この「神様の三つの教え」、
とても基準が高いですね。。。
この教えは人間的な発想からは決して出てきません。
究極の究極、真の根源である神様に出会った方からしか、
現れない発想なのだと思います。
そういう意味では、真のお父様は、『生きた神様』
まさに、救世主・メシヤ・真の父母様なのです。
「頭ではわかっていても・・・」
自分の感情のままに発言し、行動してしまうことが
あまりに多いと反省します。
どんな悪人も善人になることができる。
こんな私たちでも、必ず変わることができるし、
勝利することができるのです。
ただし、神様、真の父母様を中心とするならば。
祈りとみ言を通して、心を生みかえて、
真のお母様が最前線で投入しておられるように、
神様の三つの教えを実践していきたいと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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