2018年12月28日

義人が立つまで どのような困難を越えて従ったか?! 《金元弼先生・平壌時代》



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1940年代の平壌市内☆


金元弼(ウォンピル)先生のみ言、
「伝統の源流」続編です。



霊能者の入信と悩み

先生は直接街頭に出て伝道されたのではなく、
先生に出会った人が伝道をして連れて来ていました。

その伝道も、その人たちはお祈りをして、
神のただ一つの言葉を聞いただけで、
神のお告げで入信するという状態でした。

その人たちは既にそういうお祈りの準備をしていたからです。
ですから心を決めるのが非常に早いのです。

しかし、神の啓示によって入信しても、難しい問題がありました。


その人たちは家族を持ち、また既成教会の中心者でした。

それゆえに、神の啓示によって
真理が分かって統一教会へ入ったけれども、家庭の反対、
その次に教会からの反対を免れることができませんでした。

家の中で、いてもいなくてもいい
という存在であればまだいいのですが、
家の中心者になっていて、また尊敬されている人たちでした。

また教会のすべての人たちがその人によって伝道され、
育てられたのであり、彼らによって教会が建てられたという人たちです。

ですからこそ迫害が最も大きかったのです。

教会に入ると決めたのですけれども、迫害が大きかったので、
どのようにこれを調和していくのか、
縁を切るのか妥協するのかという点で悩んだのです。


それは私たちが最初にみ言に触れて決心したその当時を考えてみれば、
少しくらいは理解できると思います。

皆さんは、今お話ししたような人たちとは事情が違い、
家族の(中心というわけではなく)一員でありますし、
また教会の中心者でもないのですから、
その人たちとはやや事情を異にすると思います。

しかし、自分がいままで情を結んでいた
その友達と離れなければならないことや、
深く関係している学校を辞めることや、
職業を辞めなければならないということもあったりして、
その人たちとは事情を異にしているものの、
今まで情を結んでいたのにその縁を切るという点においては、
全く同じ内容をもっていると思います。

皆様がかつて学校をどうするかと悩んだことを考えれば、
その人の事情が理解できると思います。

親から離れるのか、友達から離れるのか、
それとも学校を選ぶのか、職業を選ぶのか
職を離れるのか悩んだ過去があったと思います。


その人たちは霊能者たちです。
そういう人たちは、そのような悩みを
どのように解決したらいいのか分からないときに、
先生を訪ねるのです。

先生はいちいち牧会しなければなりませんでした。
その悩みは、その人にとっては非常に深刻なものです。

天の啓示は、いつもいつも自分が困難な局面にいるときに
教えられるというものではありません。
天の啓示は、そんなにいつもいつも与えられるものではありません。

もしそのように啓示をすることができるならば、
そもそも人間の堕落はありえないのです。

ですからそういう人が訪ねてきたときに、
先生がもしそれをテイク・ケア(*世話、この場合は牧会)しないならば、
彼らは悩みのために教会活動を
長く続けることができなくなってしまいます。



私たちは、それぞれ、導かれ方も違いますし、
使命もその大きさも違うところがあります。

私たちなりに、み旨を最優先するために、
過去の事情を振り切って、
み旨にやってきた一人一人ではないでしょうか。
私にも、いわゆるイサク献祭というものがありました。

昔の大先輩たちは、様々な事情を乗り越えて、
み旨に献身していかれました。
その困難は壮絶なものだったと思います。

また、特に霊能者の方は、
困難な時ほど、霊界からの協助がなく、
自ら決めなければならなかった、
いわゆる責任分担というものが、
一人一人に課せられているのだと思います。

数日前、お母様のみ言を紹介しましたが、
今の時代、お母様が独生女宣言をしてから、
新たなる義人、天が準備している人たちが、
立ち上がってきています。

その中には、霊界からの啓示で来た人たちもいます。
そういう人たちも、簡単に来たのではなく、
多くの困難があったと思います。

それでも、責任分担5%において、
この道を優先し、お母様を優先したがゆえに、
義人として立っておられるのです。

この道との出会いが短かったとしても、
過去の信仰を土台としているし、
迫害を超えてきているので、
お母様との結びつきが、とても強いのでしょう。

私たちは、それぞれ天と真の父母さまから、
願いをかけられています。
5%の責任分担をかけて
その願いに生きていくことを通して、私たちも
小さな義人になっていくことができると思うのです。




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posted by ten1ko2 at 10:50 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月27日

(証し)祝福を嫌がる夫はいない?! 暴力夫や教会大反対の夫も!



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神氏族メシヤ勝利に向けて、
全国的に既成祝福式の取り組みが進んでいます。

毎月のように祝福式を行い、
多くの実績を立てているある教区で
たくさん証しが出ているそうです。


  〈絶対善霊が夢に出てきて夫を変えた〉

教会に大反対していたご主人は、
奥さんが祝福のお願いをしても、
殴る蹴るの状態でした。

婦人は、精誠条件を立てながら、絶対善霊に、
夫の夢に出てきてくれることを切に祈りました。
そうしたら、本当にご主人の夢に先祖が出て来て、
祝福を受けるように話したのです。

それをきっかけにご主人はガラッと変わり、
祝福説明会を受けたのち、既成祝福式に参加しました。
そして、三日行事も喜んで終了しました。


  〈教育部のゲストが夫を既成祝福に導く〉

婦人は受講決定した当時は、離婚を真剣に考えていました。
乳がんにもかかり乳房全摘出、最悪の状態でした。

み言を学び、「夫と祝福を受けたい」
そのように本心から願うようになりました。

ある日、ご主人の前に自分の体を全てさらけ出し、
「こんな私でも愛してくれますか?」
と勇気をもって切り出しました。
ご主人はその行動に心打たれ、
何年振りかの夫婦の契りを結びました。

祝福説明会でその価値を納得し、
妻のために式に参加しました。

「もう子供たちも大きいので、これからは二人の時間を大切にしたい」
ご主人はそのように言われました。

三日行事は9月の旅行の時に行いました。
そして、祝福後の晩餐会の時、
ご主人は「息子にも祝福結婚させたい」
と婦人代表にお願いされました。


  〈4人の夫が壮年合唱団に参加〉

既成祝福を受けたご主人たちの中で、
4人が壮年合唱団の一員として、
7月1日の真のお母様の大会に参加しました。

独身の弟(書写大会参加)を一緒に参加させた人があり、
その弟さんは、わけがわからないながらも涙を流して感動し、
12 月に受講決定しました。



担当の方は、取り組みを通して、
絶対善霊の協助を実感する、といいます。
先祖が一番協助したいのは氏族伝道である、
そのことを痛切に感じるそうです。

先祖解怨・先祖祝福をなした分、
恩恵を感じる時代になった、とも言っておられました。

さらには、本然の愛の時代に入り、
蕩減時代に比べて祝福の壁が低くなった、と感じておられます。

また、実体を見て納得してくれる時代になった、と。
祝福の説明を受けて否定するご主人はいないそうです。
初めて教会に来られるご主人も、
永遠の世界があること、四大心情圏の話しをすると、
祝福の意義を理解してくれる、と言います。

教会に対して反対しており、
教会のことが嫌いでも、
奥さんの本気度が優った瞬間、
「一度だけだぞ」と言って教会にきてくれ、
祝福式を受けた後、ご主人の機嫌は良いそうです。

時代が変わった恩恵圏とともに、
真剣に取り組むことを通して、
霊肉合同作戦で導かれていく、
そのようなことを感じます。





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2018年12月26日

金の亡者が天国に行ってみたら……?! どんな人がいる所か 《浅川先生霊界シリーズ》



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天国には、どんな人たちがいて、
どんな人間関係を築いているのでしょうか。

浅川先生の霊界講座の続きです。



天国での人間関係

では、天国での人間関係は、どのようになっているのでしょうか。

真の愛を実践する人だけが集まるところが天国ですから、
お互いが相手の幸せだけを考えています。
相手が幸せになることが生きる力となる、
そういう人たちが互いに尽くしては忘れ合う世界です。

天国にも、位の高い人と位の低い人がいます。
天国にも、いわば出世があるのです。
階級の上もあれば下もあります。

この世では階級の上の人は、大いに自分の位置が高いといって
目下の人をばかにする場合もあり、無視する場合もあります。

しかし天国の場合、位の高い人というのは愛の深い人なのです。
愛の深い人が高い位置に立ち、愛が劣る人が下になるのです。
愛の深さ高さが、位が高い低いの基準になるのです。

しかし位の高い人は愛が深いがゆえに、
低い人のために生きることになるので、
結局、上下はないことになります。
これが天国の人間関係なのです。


さて、天国に行こうとして、天国に行けなくなった
男性について物語風に述べてみましょう。

ある男性がいました。
この男性はお金の亡者で、金だけが人生のすべてであると考えていました。
そのように何十年も生きるうちに、一つの人生観が身についてしまったのです。

「人はお金をやらなければ動いてくれない」、このような確信です。
また、「自分が苦労したからには、必ずお金をもらわなければならない。
たくさん苦労したらたくさんお金をもらうべきである。
またお金をもらえないなら働かない」。

このような人生観と考え方が体の隅々にまでしみついていました。
そのくせ、この人は天国に行きたかったのです。


さて、この人が死んで天国に行きました。
天国に行くと、川が流れています。
広い川で、その川を渡ることができません。

川べりに一人の船頭が船の上に乗っていました。
どうやらこの船頭に頼めば、
川の向こう岸まで連れていってくれるようです。

この男性はその船頭に寄っていって、
「船頭さん、船頭さん、ぜひ向かい側の岸まで
乗せていってもらえませんか」と頼んだのです。

ここまではよかったのですが、最後の一言が引っかかりました。
「向こう岸まで連れていってくれたら、
たくさんのお金を払うよ」と言ったのです。

この人は、お金を払わなければ
人は人のために働かないと思っているのですから、
「向こう岸まで連れていったらお金をはずむよ」と言ったのです。
この言葉がこの船頭さんに不思議な印象を与えてしまいました。

随分不思議な人であると思って、異星人を見るように、
しみじみとこの人を見たそうです。

この天国の住民である船頭さんは、
朝から人のために尽くすことしか考えていないし、
そのことしか考えられない人だったのです。
報酬も一切、頭の隅にさえ考えたこともありません。
ただただ人のために尽くしてあげたい、
そう思って生きてきたのが、この天国の船頭だったのです。

ですから、何かをしてくれたらお金をはずむ、
この考え方にはびっくりしてしまいました。

「あなたはここの住民ではありませんね。
今までたくさんの人を向こう岸に連れていってきましたが、
お金をはずむよと言った人はあなただけです。
いったいあなたはどこから来たのですか」
としみじみと聞いたそうです。


この男は向こう岸に渡ってから、会社に勤めて働こうとするのですが、
残業すればいくらもらえる、あるいは休暇なのに働けばいくらもらえる、
これだけ働けばいったいいくらもらえる、時間給はいくらなのか、
そういうことばかりしか考えられませんので、働くたびにそれを要求します。

ところが、天国の会社はそうではありません。
先を競って人のために尽くすことだけが喜びの世界なのです。
ですから、働いたことに報酬を要求するこの人は、
あまりにも不思議な人、おかしな人だと思われるようになります。

そういう日々が続く中で、結局、彼は恥ずかしくなり、
到底天国には住めないと思って、切ない気持ちで天国から去っていくのです。

地上生活、七十年、八十年の生涯で、
心にしみついたものを霊界にもっていきます。
天国へは、人のために生きて忘れていく
という性格がしみついた人が行くというのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは
天国での人間関係



人は死ぬと、明るくて暖かでほのかな良い香りのする
天国に引き寄せられるのだそうです。

ただし霊界は、自分の思いが隠せない所であり、
だから、たとえ天国に一旦は行ってみられたとしても、
自分の霊人体にふさわしい場所に、行かざるを得なくなるようです。

浅川先生の、金の亡者を例は
わかりやすかったですね。

地上での人生観、物事の価値観は
霊人体に染み付いてしまうのだと思います。
方便が通用しないのが霊界です。

口先でいいことを言って、
地上では人をだますことはできますし、
素晴らしい理屈をこねている人もたくさんいます。
しかし霊界ではそうはいきません。

どこまでもどこまでも、
本心に忠実に生きる人生、
真の愛を探し求める人生を送ることが、
人生の勝利者なのだと確信します。





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posted by ten1ko2 at 10:08 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする