2018年12月25日

2年前のクリスマスに明かされた、イエス様と独生女の真実のみ言! 《真のお母様》



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今日はクリスマス。
真のお母様が、2年前のクリスマスイブに
クリスマス晩餐会をされた時に語られた
み言(要約)を紹介します。



どのような責任を成したか真剣に考える

このような日々をもって、今後私たちの未来世代に、
現在、私たちが真の父母様に侍って、どのような
人生を生きたのかという姿を、真に見せてあげる
発展的な生活となることを祝願いたします。

クリスマスと言えば、この日を定めてきましたが、
時間が過ぎるほどに、
天の摂理やイエス様の誕生を祝賀するよりも、
本質を離れて、世俗的に1年を締めくくる、
ただの出会いの場になっているのが現実です。

イエス様の立場はどうでしょうか。

天がご苦労されて、4000年ぶりに誕生させた
独り子・イエス、「私の息子だ」というその息子が、
その夢を成すこともできず、十字架で
亡くなるしかなかった、この悲惨な歴史を中心に、
今日のキリスト教2000年の文化圏には、
真実がありません。

神様がいるかいないか、イエス様が独り子だと
言うのですが、それはどのような意味ですか。

一言で、イエス様の弟子たちが
無知であったということは事実でしょう。
今日の人類の前に、良い点だけを見せてあげることが
できなかったキリスト教文化圏です。

しかし、神様がいらっしゃるので、
摂理は発展してきました。
神様がいらっしゃるので、始めと終わりが
同じでなければならないために、困難の中でも、
独り子、独り娘を探し出されたのです。

そして、ご自身の夢を成すことができる、
救世主、メシヤ、真の父母の名のもとに、
祝福家庭たちが生まれました。
それで、その家庭たちを通して、神様の夢、
人類の願いを成すことができる、
新しい時代、天一国の門を開いてくださいました!

ところで、6000年ぶりに、とほうもない祝福を
真の父母様によって受けた皆さんが、どのような
責任を成したのか、深刻に考えなければなりません。
分かりましたか。

この日を迎えるたびに、
「私は絶対に勝利しなければならない、真の父母様の
夢、神様の夢、人類の願いを成してさしあげる、
責任を果たす祝福家庭にならなければならない」と
決心する1日となし、1年とならなければなりません。
新しい出発をなし得る今日とならなければなりません。



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真の父母様招請クリスマス晩餐会
天一国4年天暦11月26日(2016年陽暦12/24)
韓国・天正宮博物館



先日、徳野会長が、
「begotten daughter(ビゴットゥン ドーター)
という言葉を使っていました。

お母様が独り娘(独生女)であると言うときの
英語の言葉です。
「神に生み出された娘」という意味だそうです。

イエス様が「begotton son(ビゴットゥン サン)
「神に生み出された息子」
要するに、「独り息子」という意味であり、
韓国語では、「独生子」
日本語では、神の「独り子」と訳されてきました。

いまや海外の牧師、司教たちが、お母様を
「begotten daughter」であると証しています。

ですが、この言葉は、これまでの英語にはなかったわけです。
イエス様の時に、本来は予定されていましたが、
実際には、「begotten daughter」として
現れることができませんでした。
イエス様は、結婚することができませんでした。

ですから、真のお母様が現れることによって、
「begotten daughter」という言葉が現れた、
このように表現をしてもいいのかも知れません。

クリスマスのこの日、
イエス様の歩みに感謝し、
また、真の父母様の勝利に感謝し、
私たちもみ旨に同参できることに
感謝と責任を果たしていく、
そのような者になっていきたいと思うのです。

※今は独り娘という言葉を聞き慣れてきましたが、
この2年前の頃は、その言葉に戸惑いや
衝撃があったようです。

↓み言を聞いた先輩家庭、お二人の証しです
参考にどうぞ
(証し)ラスト・クリスマス、私が心から「独生女」を実感した瞬間!! 《お母様は独生女》1
真のお母さまから直接「独生女」とお聞きして 《証しと考察》





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posted by ten1ko2 at 07:41 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月24日

☆元祖クリぼっち?! イエス様は誕生日も孤独だった…? 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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今日はクリスマスイブなので、
イエス様のことを書こうと思います。

孤独な生涯を過ごされたというイエス様、
心情を分かち合えるのは神しかいませんでした。
李ヨハネ先生のみ言を紹介します。


イエス様は、母親とも和睦できなかったと知ることができます。

ルカによる福音書第二章を見るならば、
全家族がエルサレムへ行って帰ってくるとき、
イエス様だけあとに残って祭司長たちといて、
父母が終日捜した末にやっと出会ったではありませんか? 

その時のイエス様の言葉を見てみましょう。
「どうしてお捜しになったのですか。
わたしが自分の父の家にいるはずのことを、
ご存じなかったのですか」と返答されました。

「終日、私を捜して苦労されました」という内容は一言も言わず、
冷たくあしらったのを見れば、この日までイエス様が
家族に対して気をくさらしていたということがよく分かります。



イエス様には、授受する人がいませんでした。
教会にもいませんでした。
聖書の討論をしても、年が幼いと見ると、
祭司長たちが律法をもってイエス様を引きずり降ろそうとしました。

イエス様は天の事情を知っておられ、
み言の実体として自由な方であられるのに、
しきりに自分たちと同じ人間として限定させようとしますから、
イエス様と教会指導者たちとは通じませんでした。

ですから、イエス様は寂しく、重苦しかったのです。

そのためかどうかは分かりませんが、イエス様は、
ナザレの向かい側にあるタボル山にしょっちゅう行ってお休みになられたといいます。

この地上でだれとも授受できないやるせなさ、
そのやるせなさをどのようにしても解決することができませんから、
天に向かって嘆息なさるしかありませんでした。


今日、私たちもやるせなくなれば、伏して祈るのです。
地上でやるせない心をだれとも相談することができなければ、
神と相談することができる道を開拓しようとするように、
イエス様も地上で人と授受できませんから、
神と授受するために霊界を開拓なさったのです。

実際は、これが危険なのです。

皆さんが教会長や家の中でだれとも通じることができなくなると、
寂しいですから静かに座って祈祷だけするようになるでしょう? 

そのようにして霊界への門が開かれるようになれば、これに神経が奪われます。
これが危険なのです。

地上で情的な基盤がないままに天と通じるようになるならば、
その人は地上で肉身をもっていますが、
自分に協助する霊と授受してなじむようになりますから、
この地上の人々とはますます情が通じなくなります。

結局、見えない世界となじんでいくと、
肉身を脱いだ人と同じ立場に入っていくのです。

しかし、肉身をもっている目的は、
背後の世界と関係を結ぶところにあるのではなく、
地上で他の人たちと情を通わせて
神を引っ張り降ろして侍るところにあるのです。

聖書の中の心情圏
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
一九七七年十月二日 韓国中央修練所
【イエス様の内的生活】より
『地上で情を授受できなかったイエス様』


「誰もわかってくれない・・・」
そのような時には、一人祈りを捧げる、
私も経験したことがありますが、
ヨハネ先生は、「これが危険なのです」と言われました。

考えてみれば、過去にこんなことがありました。

学生部の同期の兄弟が、
み言と祈りを深めていくうちに、霊的になり、
神様やイエス様の心情に触れて、
涙にぬれた生活を送っていました。
そして、あまりにもいろんな聖人たちと
霊界で交流することが増えたので、
より私たちとの関係が疎遠になり、
最終的には、別の道に行くようになってしまいました。

イエス様は最期の最期、
ゲッセマネの祈りを捧げていきましたが、
この時、三弟子がもしも同じ心情圏に立ったなら、
イエス様は十字架ではなく、別の道に、
行く可能性があったと言われています。

真の父母様も、1960年、ご聖婚をされた後、
三弟子の先生たちが、祝福を受けられました。
やはり地上の基台が重要である、ということです。

無念な十字架の道に行かれたイエス様を思い、
イエス様の願いを託された真の父母様と
一つになることを決意する、この日にしていきたいと思うのです。





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posted by ten1ko2 at 09:04 | Comment(1) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月23日

お母様のアイデンティティは、救い主、真の父母、独生女!! その姿に感銘 《徳野会長》 



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アイデンティティとは:自己を確立する要素、
            つまり「私はなんなのか」ということ──
 

徳野会長のビデオメッセージの中で、私自身が特に印象に残った
部分を紹介したいと思います。


まず、お父様のみ言を紹介します。

「神様は全知全能であるけれども形がない、姿がない。
 だから地上の相対圏である先生
 真のお父様、真の父母様、
 その真の父母なくして
 神様は何もできないや。
 私たちが頑張らなければ、
 神様を解放してあげることができないんだ」



昔、このようなみ言を訓読させていただきながら、
「お父様は、本当に自信の塊なんだな」と思いました。

そして、ある先輩に聞いてみました。
「お父様の自信はどこから来るんでしょうか?」
するとこのように答えてくださったのです。


 「メシヤというのは、まず自分を信じることが
  できなければメシヤになれない。

  自分を信じない者をどうして
  神が信じることができるだろうか。
  まず自分を信じて、そして、
  自らのアイデンティティを
  信じなければいけない。

  お父様という方は、
  ご自分が救世主であり、人類の真の父母であり、
  再臨のメシヤであると確信をしておられる。
  ご自分なくして、神様の解放も人類の解放もない。

  ご自分の使命と責任に対して
  限りなく自信と確信をもっておられる。
  メシヤご自身が、自分がメシヤであることを
  100パーセント、200パーセント、
  信じることができないといけない。

  お父様と言うのは、
  そういう方のように思うよ」


先輩のこの話を聞いて、
メシヤという概念、メシヤの実体を知る、という意味で、
大変参考になりました。


私は世界巡回でお母様に侍らせていただきながら、
お母様の姿とお父様の姿が重なるな。。。
このことをとても痛感させていただきました。

お母様は大統領に対しても、
堂々とご自分が、人類の救い主であり、
真の父母であり、独り娘であると語られます。

受け入れるか受け入れないかは
相手の5パーセントですが、
お母様は、謙虚に誠実に語られます。

お母様はご自身のアイデンティティーを
こよなく確信しておられます。

そして、ご自分の使命と責任に対して、
誰よりも深く理解され、信じておられます。
その信念に基づいて、何人に対しても、遠慮なく、
真実を語られる真のお母様なのです。

お父様の生きざまをずっと見てこられたお母様なので、
お父様と重なりあっているお母様であり、
ご自身のアイデンティティーを
心から信じ、その使命に
まい進し続けておられます。

そのようなお母様のお姿に
大変心打たれるものがあるのです。

(文責:ten1ko2)



徳野会長は、ビデオメッセージで、
約1か月間の世界巡回をダイジェストで報告され、
さらに「お母様と共に勝利する神日本家庭連合に」
ということで、3つの柱で話しておられました。
今日紹介したのは、その1つ目の柱の内容です。

真のお父様が、神様と人類を解放する救世主、真の父母であることに
絶対的確信をもっておられたように、
お母様も真の父母、天の独り娘という、
ご自身のアイデンティティーに
絶対的な次元で確信をもっておられることです。

特に徳野会長は、
大統領に対しても堂々とみ言を語られるお姿が
お父様のお姿と重なり、心を打たれたと言います。

徳野会長の話を聞いて思うのは、
「私」のアイデンティティーはどうなのか、
ということです。

私は真の父母様によって祝福を受けました。
ですから、真の父母様の子女です!
そして、お父様はメシヤ、救世主、再臨のキリストであり、独り息子、
さらには、お母様は独り娘であられるのです!

このことを堂々と宣布する、
「私」でなければならないのではないでしょうか。







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過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。

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posted by ten1ko2 at 08:21 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする