金元弼(ウォンピル)先生の「伝統の源流」より。
今回は、『赤い線でいっぱいの先生の聖書』です。
☆
先生はみ言を伝えるとき、聖書を通して統一原理を教えられました。
そうして神の願う人たちを集めました。
神のこれからの摂理の基盤をつくる時でしたから、
先生は心と力、霊魂を投入してこの人たちを教えたのです。
それは言うまでもなく、神の心情、神の伝統を
相続させるという仕事であったと思います。
『原理原本』というものはありませんでした。
それは先生の中にあり、当時は聖書を統一原理で教えていたのです。
先生の聖書を見ると、旧約聖書の創世記から
黙示録に至るまで赤い棒線が引かれているのです。
そしてたくさんのことが書き込まれていました。
その聖書には、涙が流れ、それが乾いた跡がたくさんありました。
☆
先生は、再臨主は雲に乗ってくるのではなく、
イエス様が人の子として生まれたごとく、
人の子として生まれるという原理だけを教えました。
創造原理の内容とこの再臨論を話されたのです。
霊能者たちは牧師から雲に乗って
再臨すると教えられて信じているのですが、
神は「絶対に雲に乗ってこない」と啓示するのです。
イエス様が2000年前に一人の子として生まれたごとく、
肉身をもって必ず来ると教えてくれたのでした。
同時に、韓国に再臨すると教えられていました。
当時、特に平壌は、第二のエルサレムになる
という啓示を受ける人がたくさんいました。
☆
先生は、御自身で原理を書かれるということも、
お話ししてくださいました。
もちろん先生が書かれた原本がありますけれども、
先生御自身が書かれると思います。
今、私が話していることを、皆様もお話ししてください。
私が統一教会の教会長の話をしたとしましょう。
私にはそう見えて話したとしても、
本人はそうではないこともあります。
違う点があるわけです。
ですから結局、先生が直接お話しされたのが正しいということです。
どうしたらレバレンド・ムーンを理解できますか?
それは、私が話していくうちに気付かれると思います。
私の話を聞きながら、私がどのようにして
先生を本当に理解できたのかが分かると思います。
☆
メシヤに対する信仰を100としてみれば、
一の信仰をもってメシヤとして信ずるのも、
それはメシヤを信ずることです。
そして、どんどん高まっていくのです。
ですから、メシヤが分からない最初の段階から、
その次にメシヤのようだ、そしてメシヤに違いない、
メシヤであるという段階をたどると思います。
ですから、ある時にはそう信じながらも、
いやそうではないと思うこともあるのです。
心の中でいつもアップダウン、アップダウンしながらも、
辛抱して確立していくのです。
1から2に上がるときにも、
ダウンしてその次に2に上がるし、
3に上がるときにもダウンして3に上がるし、
このようにして上がっていくのです。
100まで上がるのに、非常に信仰心が篤くて
アップダウンがないというのではありません。
信仰が弱いというのは、弱いときに
アップダウンを見せる人が弱いというのです。
それをたまたま出している人を信仰が良くないというのです。
ところが、弱いときにこれをやらないで、
アップダウンを止めておいていく人を、
あの人は信仰が良いというのです。
☆
(その当時の)私も皆様の初期のころと全く同じだと思います。
原理が本になって表れていたらいいんですけれども、
あまりに感動して恵みの中にいましたので、
人々を伝道する時に結論だけを話しました。
「再臨のメシヤが来ました」と。
しかし、それに対して証することができませんでした。
説明して結論を出したら理解しやすかったと思うのですけれども、
それが分からず、ただその結論だけが非常に大事ですから、
それだけを先に出してしまったのです。
そして、どうしてそうなのかと聞かれると、
なかなか説明ができなくて、詰まってしまったのです。
街頭伝道ではなく、因縁伝道が主でした。
自分の親、子供、一番尊敬する人を伝道したのです。
金元弼先生 伝統の源流
T 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
T 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々
☆
アップダウンしてしまったり、
うまく父母様やみ言を証せなかったり・・・
誰でもそんな信仰初期のころがあります。
失敗や試行錯誤はあっても、嬉しさと熱意にあふれていた頃。。。
私も、初期のころは、お父さまを知ることができた感動、喜び、
み言がはっきりわからなくても、
その思いをぶつけて伝道していきました。
しかし、年月が経つと、
その思いが薄れてきて、
現実にのまれてしまうこともあるのではないでしょうか。
真の父母様との出会いを忘れずに、
また、その思いを拡大して、
今の歩みに連結していきたいです。
やはり、初心忘るべからず、ですね。。。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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