2018年12月22日

赤ペンだらけの聖書で原理を語ったお父様! 金元弼先生の信仰初期、ありがちな失態 《平壌時代》



181222.jpg
青坡洞(チョンパドン)旧本部教会のお父様の机(平壌時代のものではありません)☆


金元弼(ウォンピル)先生の「伝統の源流」より。
今回は、『赤い線でいっぱいの先生の聖書』です。


先生はみ言を伝えるとき、聖書を通して統一原理を教えられました。

そうして神の願う人たちを集めました。
神のこれからの摂理の基盤をつくる時でしたから、
先生は心と力、霊魂を投入してこの人たちを教えたのです。

それは言うまでもなく、神の心情、神の伝統を
相続させるという仕事であったと思います。

『原理原本』というものはありませんでした。
それは先生の中にあり、当時は聖書を統一原理で教えていたのです。

先生の聖書を見ると、旧約聖書の創世記から
黙示録に至るまで赤い棒線が引かれているのです。
そしてたくさんのことが書き込まれていました。
その聖書には、涙が流れ、それが乾いた跡がたくさんありました。


先生は、再臨主は雲に乗ってくるのではなく、
イエス様が人の子として生まれたごとく、
人の子として生まれるという原理だけを教えました。
創造原理の内容とこの再臨論を話されたのです。

霊能者たちは牧師から雲に乗って
再臨すると教えられて信じているのですが、
神は「絶対に雲に乗ってこない」と啓示するのです。

イエス様が2000年前に一人の子として生まれたごとく、
肉身をもって必ず来ると教えてくれたのでした。

同時に、韓国に再臨すると教えられていました。
当時、特に平壌は、第二のエルサレムになる
という啓示を受ける人がたくさんいました。


先生は、御自身で原理を書かれるということも、
お話ししてくださいました。
もちろん先生が書かれた原本がありますけれども、
先生御自身が書かれると思います。
今、私が話していることを、皆様もお話ししてください。

私が統一教会の教会長の話をしたとしましょう。
私にはそう見えて話したとしても、
本人はそうではないこともあります。
違う点があるわけです。
ですから結局、先生が直接お話しされたのが正しいということです。

どうしたらレバレンド・ムーンを理解できますか?
それは、私が話していくうちに気付かれると思います。
私の話を聞きながら、私がどのようにして
先生を本当に理解できたのかが分かると思います。


メシヤに対する信仰を100としてみれば、
一の信仰をもってメシヤとして信ずるのも、
それはメシヤを信ずることです。
そして、どんどん高まっていくのです。

ですから、メシヤが分からない最初の段階から、
その次にメシヤのようだ、そしてメシヤに違いない、
メシヤであるという段階をたどると思います。

ですから、ある時にはそう信じながらも、
いやそうではないと思うこともあるのです。
心の中でいつもアップダウン、アップダウンしながらも、
辛抱して確立していくのです。

1から2に上がるときにも、
ダウンしてその次に2に上がるし、
3に上がるときにもダウンして3に上がるし、
このようにして上がっていくのです。

100まで上がるのに、非常に信仰心が篤くて
アップダウンがないというのではありません。
信仰が弱いというのは、弱いときに
アップダウンを見せる人が弱いというのです。
それをたまたま出している人を信仰が良くないというのです。

ところが、弱いときにこれをやらないで、
アップダウンを止めておいていく人を、
あの人は信仰が良いというのです。


(その当時の)私も皆様の初期のころと全く同じだと思います。

原理が本になって表れていたらいいんですけれども、
あまりに感動して恵みの中にいましたので、
人々を伝道する時に結論だけを話しました。
「再臨のメシヤが来ました」と。

しかし、それに対して証することができませんでした。
説明して結論を出したら理解しやすかったと思うのですけれども、
それが分からず、ただその結論だけが非常に大事ですから、
それだけを先に出してしまったのです。

そして、どうしてそうなのかと聞かれると、
なかなか説明ができなくて、詰まってしまったのです。
街頭伝道ではなく、因縁伝道が主でした。
自分の親、子供、一番尊敬する人を伝道したのです。

金元弼先生 伝統の源流
T 平壌開拓から興南解放
第一章 平壌開拓の日々



アップダウンしてしまったり、
うまく父母様やみ言を証せなかったり・・・
誰でもそんな信仰初期のころがあります。
失敗や試行錯誤はあっても、嬉しさと熱意にあふれていた頃。。。

私も、初期のころは、お父さまを知ることができた感動、喜び、
み言がはっきりわからなくても、
その思いをぶつけて伝道していきました。

しかし、年月が経つと、
その思いが薄れてきて、
現実にのまれてしまうこともあるのではないでしょうか。

真の父母様との出会いを忘れずに、
また、その思いを拡大して、
今の歩みに連結していきたいです。

やはり、初心忘るべからず、ですね。。。






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2018年12月21日

アフリカ最貧国ジンバブエに、天の祝福! 義人ウンダンガをお母様は何と呼ぶ?



181221 ジンバブエ Peace and Family Festival 2018.11.21.jpg


徳野会長のインターネット礼拝の続編です。
今回は、ジンバブエでの証しです。


ジンバブエにお母様が行かれた一つの理由として、
大統領が祝福式に来る、という話になっていました。

皆様もご存知の通り、今年の最初、
アフリカのセネガルにおいて、
大統領を迎えてのサミットがありました。
その時はサミットのみで、祝福式がなかったのです。

ですから、今回、大統領を迎えて、祝福式をすれば、
歴史始まって以来、ということになったわけです。

しかし、残念ながら、大統領は来ないことになりました。
大統領個人の事情もありましたが、
おそらく反対派の影響が強かったりして、
参加ができないことになってしまいました。

お母様はその連絡を受けて、すぐに指示を出し、
大統領と連絡をとりました。
そして、お母様が表敬訪問をされたのです。


皆さん、ジンバブエの食口は何人いるかご存知ですか。
祝福家庭は10家庭しかいないんです。
それなのに、今回行われた祝福式、
会場には2万人近くが埋まりました。

このように行われるようになったのは、
何よりも、ウンダンガ大主教の力が大きいです。
お母様と出会って1年半しか経っていないんです。


また、その式典で挨拶をした
もう一人の『義人』がいました。
チクニ司教という方です。

彼は、家庭連合に出会う前、家庭崩壊寸前だったそうです。
そして、あることをきっかけにみ言に出会いました。
祝福の内容を聞いて、本当にびっくりしたそうです。
それで、三日儀式を通して、夫婦の仲がよくなったんです。


そして、お母様を証しするために登壇したのが、
タンザニアのベンデラ預言者です。
この方は、30万人の信者を持っています。

導かれたきっかけというのが、とても不思議です。

4年前に夢を見ました。
大きなスタジアムにいて、合同結婚式をしているのですが、
その中に一人の美しく神々しい女性が現れました。
そして、自分の手を取り、手を一緒に上に掲げたそうです。

このような不思議な夢を見て、
この美しい女性は誰なんだろう、と思って、
いろいろと調べ上げました。
そうしたら、3年後YouTubeで、
その女性が、お母様であることを知りました。

今、教会の信徒たちに真の父母様を証ししています。
彼は、
「マザームーンと私は親子である。
タンザニアにお母様をお迎えしたい」
そのように言っているそうです。


最初に紹介したウンダンガ司教ですが、
彼はお母様にこのように手紙を書いたそうです。

「お母様、私はあなたから離れません。
たとえあなたが、『お前は出て行け』
そのように行ったとしても私は出て行きません」

皆さん、この人はキリスト教の牧師ですよ。
皆さんが「出て行け」と言われたらどうしますか。
彼は本当に凄いです。
お母様はどれほど感動したでしょうか。

アフリカの指導者たちが
お母様にお会いするために、
韓国に来たことがありました。

その時、ウンダンガはお母様に
このように申し上げました。

「お母様、私は韓国に来る前に、
一度、ヨーロッパに行って、
同じ系列の牧師と会いました。
その時、こう言われました。

『あなたはおかしな団体と付き合っているそうだね。
そんなところと付き合うのはやめなさい。
いいことは何もないから』

その時、私は答えました。

『あなたはムーニーの中身を知っているのか?
立派な家庭を築こう、平和な世界を作ろう。
そうやって具体的な取り組みをしている。
そういうことは、本来、キリスト教がやるべきではないか。
私たちがやるべきことをこの団体は立派にやっている。
やっていることを見て、評価しないといけないのに、
単なるうわさと偏見だけで判断してはいけない』

そのように反論したら、彼は何も言えなくなりました」

お母様はじーっと聞いていました。
その時、彼は、以下のように申し上げました。

「どんなに反対されてもびくともしません」
お母様は、本当に喜ばれたそうです。

お母様は彼のことを「ウンダンガ」
とは言わずに「ダンガ」というんです(笑)
それだけ信頼関係ができている証拠ですね。

それで、「ダンガ、私はあなたを信じているよ」
このように語られたのです。

多少編集しています。
特に、時系列が少し違いますが、ご了承ください。
(文責:ten1ko2)


本当に素晴らしい証しですね。

特にウンダンガ司教は、
お母様に心酔しておられると思います。
信仰暦は、1年半。
しかし、本人にとっては、
今までのキリスト教の信仰が土台になって、
お母様に出会っている実感があるのだと思います。

イエス様を心から慕っている牧師が
イエス様の再臨、その相対に会われているのですから、
キリスト教の基盤のない私たち以上に、
その出会いに心から感謝しているのだと思います。

ウンダンガ司教の言われる通り、
今は、世間の噂を信じるのではなく、
直接、自分の五官をもって、確かめていく、
そのような時であると思うのです。







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2018年12月20日

神の親心、「飢えて死んでいく人のため節約すれば、天運が保護する」?! 《自叙伝》



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苦しんでいる人類のゆえに、
神様はあまりにも悲しんでおられます



浅川先生の自叙伝書写講話。
今回は、「全人類を愛する」です。


自叙伝には

「自分よりも人類をもっと愛し、
私と私の家族の問題より人類の苦痛を
先に考える人になったのです」
(『平和を愛する世界人として〜文鮮明自叙伝』、327ページ)


とあります。
自分と家族の苦痛を考える前に「人類の苦痛を先に考える」とき、
「神様を愛する」のだと言われるのです。


なぜでしょうか。
それは、神様にとって、人類はわが子であるからなのです。

母親は陣痛の痛みをもって子供を産みます。
それゆえに自分の体の一部として、湧きいずる愛で子供を抱きかかえようとします。
まさに、人類は神様が父母として陣痛の痛みをもって産んだ子供たちなのです。

「神様は、自分のすべての愛を注いで
私たちをつくりあげられたのです」

(同、327ページ)



全人類は神様の愛の結晶なのです。
したがって、自分にとって他人であっても、神様にとってはわが子なのです。
つまり、神様を父母とすれば、私と人類は、血を分けた兄弟になるのです。

ある父母に三人の子女がいたとします。
長男は頭脳明晰(めいせき)で出世して経済的に親を支えているとします。
次男は、凡庸でさしたる取り柄がなく、
三男は障害を抱えてかわいそうな境遇だったとします。

長男が、「自分こそが家計を支えているのだ」と傲慢不遜になって、
障害を背負う三男を見下して、厄介者扱いをしたら、どうでしょうか。
長男は親を愛したことになるでしょうか。

ところが、次男は凡庸ながら、三男を哀れんで世話をしていたとします。

次男と長男では、どちらが親をより愛したことになるでしょうか? 
それは次男なのです。
なぜなら、親の愛はかわいそうな三男に注がれており、
その三男を親が愛するように愛しているのが次男だからなのです。


親の心はいつも不憫(ふびん)な子供に注がれています。
そして、兄弟が不憫な子の面倒を親のように見てくれることを願っています。

人間の親でさえそうであるならば、天の父母なる神様の心は、
人類のどこに向けられているでしょうか? 

豊かな先進国ではなく、貧困と戦争と飢餓で苦しむ
かわいそうな国々の人々なのです。

世界で飢えて死んでいく子供がいるなら、そのたった一人の子のために、
全身が麻痺(まひ)するほど悲しみ苦しむのが、神様なのです。


文鮮明先生が15歳の時、イエス・キリストは語りかけました。

「苦しんでいる人類のゆえに、
神様はあまりにも悲しんでおられます」
(同、62ページ)



世界には、生きること自体が困難な境遇で生きている人が大勢います。

私たち日本人が当たり前に生活していることが、
実は世界の当たり前ではないことを知るべきです。

例えば、家があって水道があること、蛇口をひねれば必ず水が出ること、
そしてその水がそのまま飲めること、朝昼晩に食事ができること、
ゴミが回収されること、
電気があってスイッチを押せば蛍光灯がつくこと、などです。

日頃感謝さえしなくなった当たり前の生活が全くできない人々が、
世界にはたくさんいることを知るべきなのです。

ユニセフの「世界子供白書」で栄養不足とそれによって引き起こされる病気で
毎日4万人、年間1400万人以上の乳幼児が死んでいると
報告されたことがあります(岩波新書『地球環境報告』、石弘之)。

しかし日本全体で一年間に捨てられる食品は、
東京ドーム約80杯分、1900万トンあり、
それだけで世界の7000万人が1年間食べていけるそうです。
(2011年3月、読売新聞)


文鮮明先生は、

「人類が飢餓問題を解決しなければ、
この世界に本当の平和はありません。

すぐ横にいる人が空腹で苦しんでいるのに、それを
そのままにして平和を語ることはあり得ないことです」


「全世界の飢えて死んでいく人たちは私たちの責任です」

と言われています。
そのため、いつも日常生活で
世界人類のことを考えなければならないと言われています。
いつも世界人類のことを思って節約することを諭されています。


「飢えて死んでいく人を考えて節約すれば、
天運が保護します」
(『愛天愛人愛国』、光言社、139ページ)


「物を節約しなければなりません。
節約して、1年に2千万人ずつ
飢えて死んでいく人たちを助けてあげるのです」
(同、139ページ)


「飲料水を飲むとき、
『もう一度、改めて世界のことを考えてから
飲まなければならない』」
(同、138ページ)


神様を愛することとは、世界人類を愛することなのです。
15歳の時にイエス様が言われた言葉が、文鮮明先生の生涯を貫いているのです。


「苦しんでいる人類を救い、
神様を喜ばしてさしあげなさい」
(自叙伝、63ページ)


人類を救って幸福にすることこそが、神様を愛することなのです。(続く)

浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第三章】神様を愛する



私たちが当たり前にしていることが、
発展途上国では当たり前ではない。。。
とても胸が痛いです。

アフリカの子どもたちは、
学校に行く事ができず、
一日の仕事が何か、
水を汲みに行くことなのだ、と言います。
しかもその水がきれいではなかったりするわけです。

日本は恵まれた国です。
経済大国です。
その恩恵を私だけ、私たちだけで受けるのではなく、
貧困な国に分け与えていく、
そのような使命があるのだと思います。

真の父母様は、
「地球平準化」そのように言われます。
世界を一つにする、という意味でも、
私たちの神氏族メシヤ活動が、
重要なのだ、と思いつつ、
み旨にまい進していきたいと思いますし、
節約の意味もしっかりと
受け止めていきたいと思います。





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