2018年12月19日

Peace Starts with Me! 独生女を叫び始めた米宗教指導者たち 《徳野会長》



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2018年にどれだけ多くの人が、真の父母を受け入れ、
独り娘に感銘を受けたでしょうか。

11月から12月の世界巡回だけでも、
あまりに大きな結実がありましたが、
その全てに同行された徳野会長が、
インターネット礼拝で報告されています。

今回は、11月12日、NYで行われた
アメリカ大会の部分を紹介します。


アメリカ大会では、
大きな特徴を二つ紹介します。

まず一つ目は、参加した人の内容です。
そこは、2万名の会場ですが、
ほぼ満杯になりました。

そして、今回の特徴は何かというと、
参加した人は、食口が全員でないということです。
実は、4割くらいの人たちが新しい人たち、
特に一般のキリスト教信徒たちが来られました。

5000名の大合唱団が讃美しましたが、
大半は、一般のキリスト教会のクリスチャンたちでした。
そういう意味では、大成功だったといえるでしょう。


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もう一つの大きな特徴です。
ACLC(米国聖職者指導者会議)が変わりました。

長年、家庭連合と大きな関わりをもっている、
スターリング司教やT.L.バレット牧師たちのレベルが上がりました。
彼らは、信者の前に、お母様が一人娘である、
ということを堂々と証しするようになりました。


私はかつてUTS(統一神学校)で1年間学び、
そのあと、シカゴで毎週キリスト教会に訪問したことがあります。

その時に、セミナーに参加した牧師たちに、
「セミナーはどうでしたか?」と聞くと、
みんな「感動しました」と言うんですね。

そして、次のように質問します。
「それでは、イエス様は十字架につくために来たのではない、
ということがわかったんですね?」と聞きましたら、
どのように答えるのでしょうか。
「ノー、ノ―、ノー」と否定するんです(笑)


原理の観点から見るとどうでしょうか。

イエス様が、十字架についた、というのは、
二次摂理なわけです。
すなわち、十字架についたのは、失敗なんですね。

このことをクリスチャンたちは、
わかっているようでわかっていないわけです。

キリスト教は、私たち人類の罪の贖罪が何ですか?
それが、イエス様の十字架です。

しかし、原理ではそのように言っていないですね。
これは、革命的な観点なわけです。
このことをわかっている牧師がほとんどいません。

日本はキリスト教の基盤がないので、
このようなことを言われてもピンときません。

キリスト教の常識がわからないので、
「イエス様は、十字架につくために来たのではないんですよ」
そのように言われたとしても、
「そうでしょうね」と答えるんです(笑)


これも日本人にはピンときませんが、
「独生娘」という言葉は、
キリスト教では簡単ではありません。

しかし、メガチャーチの牧師たちが
お母様を一人娘として証ししています。

まず一人の牧師は、東海岸に教会があり、
4000人の信者がいるのです。
そして、白人の牧師(司教)です。
白人牧師が来るというのは、簡単ではない。
その人が、信徒の前に、お母様のことを
一人娘と証ししているのです。

他にもロサンゼルスのメガチャーチの司教、
この人は黒人ですが、全米的に有名です。
信者は1万7千人、礼拝には毎回1万人が参加します。

この人もお母様のことを証ししました。
「独り娘」「聖霊の実体」
そのように証ししたのです。
洗礼ヨハネの使命を見事に果たしました。

アメリカの(宗教の)主流はキリスト教(プロテスタント)です。
小さな教会ではなく、メガチャーチや白人の
キリスト教会の牧師たちが、お母様を受け入れている。
これは、アメリカが動き出したということであり、
そのことはとても大きいと思います。

編集 文責:ten1ko2


徳野会長が言われるように、
キリスト教の基盤のない日本なので、
イエス様の十字架の失敗、と言われても、
あまり響かないかもしれません。

日本では、どちらかと言えば、
「神様がおられる」「霊界がある」
この二つを受け入れるか否か、
そこに焦点が置かれるような気がします。

Peace Starts with Me ; Healing America
(ピース スタート ウィズ ミ― ヒーリング アメリカ)として行われたこの大会。
まさしく、参加した食口のみならず聖職者たちが、
主体的に、私が平和を作る、と率先して
真のお母様を独り娘として証している。

世界巡回の最初がアメリカでした。
アフリカ・アジアも大きく変わりましたが、
世界の超大国、キリスト教の基盤のあるアメリカでも、
いよいよ動いていきつつあります。。。

本流が動き出しました。
お母様が語られるように、
「摂理の春」を迎えています。
その勢いに私たちも乗っていかなければと思うのです。







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posted by ten1ko2 at 10:19 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月18日

あの素晴らしい愛をもう一度! お父様と山登り、一緒に歌ったあの歌 《金元弼先生》



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金元弼(ウォンピル)先生の『伝統の源流』
今回は「勝利基盤の上で語られるみ言」を紹介します。


先生の説教では、「神の心情とはいかなるものか」とか
「イエス様はみ言を伝えようとこの世に来たが、
人々が信じてくれない時のイエス様の心情は、
どんなにつらかったことだろうか」
ということをよく教えてくださいました。

ところがその受け入れ方は、個人個人によって違うわけです。
その時に起こりうる問題をどのように処理するかは、
先生が平常、一緒に生活しながら、
個人的にふさわしい牧会をしてくださいました。


私たちは先生のお陰で、たくさんの有名な山に登ることができました。
そのころはお若かったので、誰も先生より先に登ることができませんでした。

そして、山に登っては、いろいろなお話をしてくださいました。
そういう中で、兄弟が抱えている問題が一つ一つ解かれていったのです。

先生はまず、食口たちの証を聞いたり、どんどん歌わせました。
それで全員に歌わせました。

人の前で歌ったことのない兄弟たちが、
たくさんの人の前で歌う訓練ができました。
好きな歌がありますと、先生がそれを歌ってくださいました。


ところが、指名されて兄弟が歌う時には、
毎日同じ歌を歌うわけにもいかないので、何を歌おうかと迷っていると、
先生が「この歌を歌いなさい、その歌を歌いなさい」と言ってくださいました。

先生は私が歌う歌をよく覚えていてくださり、
私以上にその歌を好んで、御自身で歌われました。

そういうことによって、メンバーはどう考えるかというと、
「ああ、私の愛する歌を好んでくださっている、
私よりも好んでくださっている」と考えるのです。

そして、「先生は私をこのように覚え、
好んでくださっているんだ」と感じるのです。
歌一つで、先生に対する信頼感をもつようになるのです。


皆さんもそうではないですか。
愛する夫婦の間で、相手にとても好きなものがあれば、
自分は本当に好きではなくとも、相手を愛するがゆえに、
相手が好きなものを自分も好きになろうとする世界があるでしょう。

自分の尊敬する人が左手で字を書くとすれば、
私も左利きで書きたいという心がないですか。
自分の尊敬する人が赤いネクタイをよくすると、
私も赤いネクタイをしたくなります。

愛する人、尊敬する人を見れば、
自分もそうなりたいという心がわくのは、
元々人間が神に習うように造られているからです。

神に近いお方がいれば、その人のようになろうとするのは、
神に近寄ろう、習いたいという心があるからなのです。


それと同じく、私が好きな歌を先生がよく好んで歌ってくださるということは、
先生がその歌を好むごとく、
私を好み愛してくださっているということを意味するのです。

ですから、皆さんもメンバーが好きなことを好んでやってあげるならば、
メンバーはリーダーに対して、とても信頼感をもつようになるでしょう。
このように先生は、とても近くでいろいろなことを教えてくださいました。


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学生部時代にお父様のサインを
上手にまねをして書いている兄弟がいました。
また、お父様の語られるように、
説教をする兄弟もいました。

形から入っていくのかも知れませんが、
お父様を慕い、侍っているがゆえに
そのような行動をしたのだと思います。

み言の解釈においても、
お父様が一人ひとりに合わせて、
嚙み砕いてみ言を語られたなんて、
とても羨ましくて仕方がありませんが、
「求めよさらば与えられん」です。
み言の捉え方も、祈り求めていけば、
何らかの形で、神様が与えてくださるのではないか、
そのように思うのです。




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2018年12月17日

霊界の車は何で動く?! 天国で最も大切なこと 《浅川先生霊界シリーズ》



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浅川先生の霊界シリーズ。
天国編の続きです。


さて、そうなると、天国で生活することにおいて
一番大切なこととは何でしょうか。

たちどころに物をつくることができる最も大切なもの、
着たい物をすぐに着ているようにするものとは
何かについて考えてみたいと思います。

この世ではお金と知識と技術、
この三つがなければ豊かな生活はできません。
この三つが豊かな生活をする要素となっています。


例えば車の運転をすることを考えてみましょう。
歩いて行くよりも、車に乗ったほうが
便利であることは、だれでも知っています。
しかし、車を運転するのも簡単なことではありません。

まずお金を出して車の教習所に行かなければなりません。
教習所に行って、まず学科を勉強しなければなりません。
交通の法規を学ばなければいけないのです。
しかし、学んだだけで運転ができるのではありません。
今度は、教官について運転の技術を身につけなければなりません。
運転技術を身につけるために一緒に訓練を受けるのです。

そのようにして、交通法規を学び、
運転ができるようになって初めて、資格を得ることができます。
そして、運転免許を取得することができるのです。

しかし、免許証がもらえたからといって
車が手に入るわけではありません。
今度は車を手に入れるために、やはりお金が必要になります。
車を買えば、車庫が必要となり、定期点検も必要になります。
このように、お金と知識と技術と資格は、
この世界を生き抜いていくためには、重要な要素になるのです。


では天国の場合はどうなのかというと、
自動車教習所に行く必要は全くありません。

真の愛があれば、その真の愛によって、
自分の思いどおりの車がつくれるのです。
そして、この車はガソリンを入れる必要はありません。
愛があって、その人に愛を届けたいという思いさえあれば、
その車は動き出すのです。

しかもその車は、海にも入ることができ、空を飛ぶこともできます。
自由自在に動くことができる車を、
愛一つで造ることができるのです。
この真の愛は万能です。


知識と技術と資格、これがこの世で
豊かな生活を送るために必要なものですが、
霊界においては、真の愛がお金に代わり、
知識に代わり、技術に代わるのです。

この真の愛一つあれば、すべてが可能になるのが天国なのです。
天国には当然のことながら、
知識や技術を得るための学校はないのです。
たった一つの、最も大切なものが真の愛なのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは
天国で最も大切なこと



浅川先生の講話にあるように、
真の愛さえあれば、霊界では何でもできるといいます。
したがって、この世における価値観と、
霊界を知っている人の価値観は、
大きく違うのです。

霊界においては、天国で必要なのは、
「真の愛」でありますが、
それを獲得するということに関しては、
神様は平等なのではないか、と思います。

外的な価値観、物質的な価値観を見れば、
その人の実力もありますが、
先祖から受け継いだものもあるでしょう。

しかし、真の愛を体恤する、というのは、
地位や名誉や財産がある、なしに関わらず、
誰もが求めることができます。

先祖の因縁が重い人は、掴みにくいのではないか、
そのように思う人もいるかも知れませんが、
神様、真の父母様を強く求めれば、
その部分を超えることができると思います。

だからこそ、祈りとみ言、
そして、ために生きる愛の実践が、
何よりも重要であると思うのです。




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posted by ten1ko2 at 09:20 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする