2018年にどれだけ多くの人が、真の父母を受け入れ、
独り娘に感銘を受けたでしょうか。
11月から12月の世界巡回だけでも、
あまりに大きな結実がありましたが、
その全てに同行された徳野会長が、
インターネット礼拝で報告されています。
今回は、11月12日、NYで行われた
アメリカ大会の部分を紹介します。
☆
アメリカ大会では、
大きな特徴を二つ紹介します。
まず一つ目は、参加した人の内容です。
そこは、2万名の会場ですが、
ほぼ満杯になりました。
そして、今回の特徴は何かというと、
参加した人は、食口が全員でないということです。
実は、4割くらいの人たちが新しい人たち、
特に一般のキリスト教信徒たちが来られました。
5000名の大合唱団が讃美しましたが、
大半は、一般のキリスト教会のクリスチャンたちでした。
そういう意味では、大成功だったといえるでしょう。
☆
もう一つの大きな特徴です。
ACLC(米国聖職者指導者会議)が変わりました。
長年、家庭連合と大きな関わりをもっている、
スターリング司教やT.L.バレット牧師たちのレベルが上がりました。
彼らは、信者の前に、お母様が一人娘である、
ということを堂々と証しするようになりました。
☆
私はかつてUTS(統一神学校)で1年間学び、
そのあと、シカゴで毎週キリスト教会に訪問したことがあります。
その時に、セミナーに参加した牧師たちに、
「セミナーはどうでしたか?」と聞くと、
みんな「感動しました」と言うんですね。
そして、次のように質問します。
「それでは、イエス様は十字架につくために来たのではない、
ということがわかったんですね?」と聞きましたら、
どのように答えるのでしょうか。
「ノー、ノ―、ノー」と否定するんです(笑)
☆
原理の観点から見るとどうでしょうか。
イエス様が、十字架についた、というのは、
二次摂理なわけです。
すなわち、十字架についたのは、失敗なんですね。
このことをクリスチャンたちは、
わかっているようでわかっていないわけです。
キリスト教は、私たち人類の罪の贖罪が何ですか?
それが、イエス様の十字架です。
しかし、原理ではそのように言っていないですね。
これは、革命的な観点なわけです。
このことをわかっている牧師がほとんどいません。
日本はキリスト教の基盤がないので、
このようなことを言われてもピンときません。
キリスト教の常識がわからないので、
「イエス様は、十字架につくために来たのではないんですよ」
そのように言われたとしても、
「そうでしょうね」と答えるんです(笑)
☆
これも日本人にはピンときませんが、
「独生娘」という言葉は、
キリスト教では簡単ではありません。
しかし、メガチャーチの牧師たちが
お母様を一人娘として証ししています。
まず一人の牧師は、東海岸に教会があり、
4000人の信者がいるのです。
そして、白人の牧師(司教)です。
白人牧師が来るというのは、簡単ではない。
その人が、信徒の前に、お母様のことを
一人娘と証ししているのです。
他にもロサンゼルスのメガチャーチの司教、
この人は黒人ですが、全米的に有名です。
信者は1万7千人、礼拝には毎回1万人が参加します。
この人もお母様のことを証ししました。
「独り娘」「聖霊の実体」
そのように証ししたのです。
洗礼ヨハネの使命を見事に果たしました。
アメリカの(宗教の)主流はキリスト教(プロテスタント)です。
小さな教会ではなく、メガチャーチや白人の
キリスト教会の牧師たちが、お母様を受け入れている。
これは、アメリカが動き出したということであり、
そのことはとても大きいと思います。
編集 文責:ten1ko2
☆
徳野会長が言われるように、
キリスト教の基盤のない日本なので、
イエス様の十字架の失敗、と言われても、
あまり響かないかもしれません。
日本では、どちらかと言えば、
「神様がおられる」「霊界がある」
この二つを受け入れるか否か、
そこに焦点が置かれるような気がします。
Peace Starts with Me ; Healing America
(ピース スタート ウィズ ミ― ヒーリング アメリカ)として行われたこの大会。
まさしく、参加した食口のみならず聖職者たちが、
主体的に、私が平和を作る、と率先して
真のお母様を独り娘として証している。
世界巡回の最初がアメリカでした。
アフリカ・アジアも大きく変わりましたが、
世界の超大国、キリスト教の基盤のあるアメリカでも、
いよいよ動いていきつつあります。。。
本流が動き出しました。
お母様が語られるように、
「摂理の春」を迎えています。
その勢いに私たちも乗っていかなければと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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