2018年12月03日

み言を知っても、アップダウンする理由?! やるせない人とは 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》



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李ヨハネ先生のみ言、続編です。


慕わしさの主体、愛の対象

食口たちも教会に行くことによって、
異端と言われたことがあるでしょう。

行かなければ行かないで、
「それ見てみろ、何日もたたずに統一教会に行かなくなると思った」
と後ろ指をさされますから、行かなければならないのですが、
心ではそうではありませんから、これは死ぬような思いです。

これは実につらいことです。
慕わしさの主体がいない時は、私たちの内なる人(霊人体)
の住む所がなくなるのと同じです。
心が安住する所を失ってしまった人になるのです。

このような人は、第二段階までは上がってきたと見ることができます。
ですから、み言を中心にして教会を慕いながらも、
慕わしく思う人がいないのでやるせなく思う、
このような人が実際は最もやるせないのです。


もう一つは、自分がみ言を聞いて悟り、貴重に思って、
自分が貴重に思った人を伝道しようとするのにできないとき、
すなわち恵みを受けたあとには、私を慕わしく
思うことのできる対象者を探し求めなければならないのですが、
信仰の子女がいなければ、皆さんの心は住む所を失うようになります。

古くなった食口たちが教会の責任者と円満であり、
み言もしっかりと立てた生活信条をもったとしても、
繁殖する力、すなわち、信仰の対象者がいなければやはり、
心情が安定した生活をすることができないのです。

世の中でも息子、娘を生めなかった夫婦たちは、愛が深くなりません。
どこか分かりませんが寂しいのです。
夫婦を笑わせる、授受作用させる
媒介体がありませんから笑いが少ないのです。

父母、夫婦、子女、この三数は、喜びを巻き起こす存在数です。
同じく心霊世界でも心と体とみ言が合わさるとき、
自分の心霊が丈夫になるのです。

心にはみ言をもち、また、そのみ言が体で行動となって現れるとき、
内なる人の性相がしっかりすることができるのです。

教会でみ言を聞くときは、「ああ、このようにすればよいのだなあ」
と思っても、家に帰れば自分も知らずにみ言を忘れてしまうのです。

そうであれば心と体の一致がなされず、
イライラしたりするようになり、気掛かりになったりするのです。
これが、信仰がよくなったり悪くなったりする理由です。

李ヨハネ先生
諸職者(教会組織の役職者)研修会での説教 
1977年10月2日 韓国中央修練院




教会に対する迫害は、過去を考えると
ものすごく少なくなっていると思います。

ただ、「慕わしさの主体がいない時は、私たちの内なる人(霊人体)
の住む所がなくなるのと同じです。
心が安住する所を失ってしまった人になるのです」
というみ言は、とても重要なみ言だと思います。

一般社会においては、心の拠り所がなくなり、
自分の存在意義、価値を忘れて、
孤独な思いを抱えている人たちが多くいます。

そういう意味では、
神様・真の父母様を伝えること、
すなわち慕わしさの主体を教えることは、
何よりも重要なのだと感じました。

愛する対象を持つ、ということも
私の心霊を復活させることでも
とても重要になってきます。

お母様も超VIPたちにみ言を語っていかれます。
私たちも愛する対象にみ言を伝えることを通して、
霊的にアップダウンしない者になっていきたいです。





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posted by ten1ko2 at 08:32 | Comment(0) | 信仰生活・信仰講座・礼拝説教 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする