浅川先生の霊界講座。
今回は、「天国での人間生活」です。
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では、人間の生活はどうなっているのでしょうか。
人間の体は、人体と、それとそっくり同じ姿をした
霊人体の二重構造的になっていると前述しました。
霊人体には目もあれば耳もあり、口もあります。
手も二本、足も二本あり、特に重要なのは
胃腸があるというお話をしました。
胃腸があるということは、霊界に行っても
食べなければおなかがすくということです。
ところで天国は、どのようにして食事をするのでしょうか。
これを分かりやすく説明するために、
地上においてはどのように食事をしているのかを、
もう一度考えてみましょう。
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ここに夫婦がいた場合に、ご主人が会社に働きに行きます。
一カ月間働いて、給料をもらいます。
そのお金で奥さんはスーパーに買い物に行きます。
そこで食材を買ってきて、家で料理をして、食事を作るのです。
電子レンジが必要ですし、冷蔵庫やガスコンロも必要です。
スーパーに行くためには時間もかかります。
当たり前のように食事をしていますが、
随分たくさんの手間と時間をかけているのが実状です。
☆
ところが、天国においては、それらは全く必要ありません。
奥さんに、ご主人に対する真の愛がありさえすればいいのです。
愛の力が物を作り出していくのです。
ご主人が魚の料理が食べたいというならば、
ご主人が食べたいという魚の料理を、
奥さんの愛一つでその食卓の上に、
思っただけで作ることができるのです。
また、ご主人がもし、フランス料理が食べたいと言うなら、
思った以上のフランス料理を、食卓いっぱいに
奥さんの心一つで作ることができるのです。
ですから、レストランもスーパーマーケットも天国にはありません。
自分の自宅が最高のレストランであり、
最高のコックさんが奥さんなのです。
これが天国という世界です。
☆
着物を着て外出しようすると、地上生活では鏡を見ながら、
衣装だんすからいろいろな着物を引っ張り出して、着てみるのですが、
この手間も天国では全く必要ありません。
鏡を見ながら、この服がいいと思ったなら、その服の色に変わります。
また、もっと違う服装にしようと思えば、
立っているだけで服がその形に変わるのです。
着ようと思えば現れ既に着ているのが天国の生活です。
自分の思ったとおりの服が、着ようと思っただけで、
既に着ている世界です。
☆
もちろん住宅もそうです。
このような間取りで、二階建てで、地下室がここにあって、
ダイニングルームがここにあると思っただけで、
そのような住居をつくることができます。
人間は神様のように、創造主になっていくのです。
このように愛と創造力によって、衣食住のすべてが
満たされていくというのが、天国の光景なのです。
浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは
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「胃腸があるということは、霊界に行っても
食べなければおなかがすくということです」
なるほど、言われてみれば、そうですよね。。。
ただ、厳密に言えば、霊人体というのは、永存するわけで、
地上における肉身は、食べるものがなければ、「死」に至りますが、
霊人体は、「死なない」わけですね。
天国なら魔法のように食べ物が表れるからいいですが、
もしも(地獄のようなところで)食べるものがなければ、
「おなかがすいた」という思いを持ち続けることになります。
死にそうに「ひもじい」状態が永遠に続くとしたら、
耐えられない世界ですね。
やはり、私たちは真の愛を体恤するために、
日々努力していかなければ、と思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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