2018年12月26日

金の亡者が天国に行ってみたら……?! どんな人がいる所か 《浅川先生霊界シリーズ》



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天国には、どんな人たちがいて、
どんな人間関係を築いているのでしょうか。

浅川先生の霊界講座の続きです。



天国での人間関係

では、天国での人間関係は、どのようになっているのでしょうか。

真の愛を実践する人だけが集まるところが天国ですから、
お互いが相手の幸せだけを考えています。
相手が幸せになることが生きる力となる、
そういう人たちが互いに尽くしては忘れ合う世界です。

天国にも、位の高い人と位の低い人がいます。
天国にも、いわば出世があるのです。
階級の上もあれば下もあります。

この世では階級の上の人は、大いに自分の位置が高いといって
目下の人をばかにする場合もあり、無視する場合もあります。

しかし天国の場合、位の高い人というのは愛の深い人なのです。
愛の深い人が高い位置に立ち、愛が劣る人が下になるのです。
愛の深さ高さが、位が高い低いの基準になるのです。

しかし位の高い人は愛が深いがゆえに、
低い人のために生きることになるので、
結局、上下はないことになります。
これが天国の人間関係なのです。


さて、天国に行こうとして、天国に行けなくなった
男性について物語風に述べてみましょう。

ある男性がいました。
この男性はお金の亡者で、金だけが人生のすべてであると考えていました。
そのように何十年も生きるうちに、一つの人生観が身についてしまったのです。

「人はお金をやらなければ動いてくれない」、このような確信です。
また、「自分が苦労したからには、必ずお金をもらわなければならない。
たくさん苦労したらたくさんお金をもらうべきである。
またお金をもらえないなら働かない」。

このような人生観と考え方が体の隅々にまでしみついていました。
そのくせ、この人は天国に行きたかったのです。


さて、この人が死んで天国に行きました。
天国に行くと、川が流れています。
広い川で、その川を渡ることができません。

川べりに一人の船頭が船の上に乗っていました。
どうやらこの船頭に頼めば、
川の向こう岸まで連れていってくれるようです。

この男性はその船頭に寄っていって、
「船頭さん、船頭さん、ぜひ向かい側の岸まで
乗せていってもらえませんか」と頼んだのです。

ここまではよかったのですが、最後の一言が引っかかりました。
「向こう岸まで連れていってくれたら、
たくさんのお金を払うよ」と言ったのです。

この人は、お金を払わなければ
人は人のために働かないと思っているのですから、
「向こう岸まで連れていったらお金をはずむよ」と言ったのです。
この言葉がこの船頭さんに不思議な印象を与えてしまいました。

随分不思議な人であると思って、異星人を見るように、
しみじみとこの人を見たそうです。

この天国の住民である船頭さんは、
朝から人のために尽くすことしか考えていないし、
そのことしか考えられない人だったのです。
報酬も一切、頭の隅にさえ考えたこともありません。
ただただ人のために尽くしてあげたい、
そう思って生きてきたのが、この天国の船頭だったのです。

ですから、何かをしてくれたらお金をはずむ、
この考え方にはびっくりしてしまいました。

「あなたはここの住民ではありませんね。
今までたくさんの人を向こう岸に連れていってきましたが、
お金をはずむよと言った人はあなただけです。
いったいあなたはどこから来たのですか」
としみじみと聞いたそうです。


この男は向こう岸に渡ってから、会社に勤めて働こうとするのですが、
残業すればいくらもらえる、あるいは休暇なのに働けばいくらもらえる、
これだけ働けばいったいいくらもらえる、時間給はいくらなのか、
そういうことばかりしか考えられませんので、働くたびにそれを要求します。

ところが、天国の会社はそうではありません。
先を競って人のために尽くすことだけが喜びの世界なのです。
ですから、働いたことに報酬を要求するこの人は、
あまりにも不思議な人、おかしな人だと思われるようになります。

そういう日々が続く中で、結局、彼は恥ずかしくなり、
到底天国には住めないと思って、切ない気持ちで天国から去っていくのです。

地上生活、七十年、八十年の生涯で、
心にしみついたものを霊界にもっていきます。
天国へは、人のために生きて忘れていく
という性格がしみついた人が行くというのです。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『幸・不幸と霊界の仕組み』より)
第二章 天国とは
天国での人間関係



人は死ぬと、明るくて暖かでほのかな良い香りのする
天国に引き寄せられるのだそうです。

ただし霊界は、自分の思いが隠せない所であり、
だから、たとえ天国に一旦は行ってみられたとしても、
自分の霊人体にふさわしい場所に、行かざるを得なくなるようです。

浅川先生の、金の亡者を例は
わかりやすかったですね。

地上での人生観、物事の価値観は
霊人体に染み付いてしまうのだと思います。
方便が通用しないのが霊界です。

口先でいいことを言って、
地上では人をだますことはできますし、
素晴らしい理屈をこねている人もたくさんいます。
しかし霊界ではそうはいきません。

どこまでもどこまでも、
本心に忠実に生きる人生、
真の愛を探し求める人生を送ることが、
人生の勝利者なのだと確信します。





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posted by ten1ko2 at 10:08 | Comment(0) | 霊界 霊人と共に歩む生活 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする