久保木初代会長が聖和されてから、
ちょうど20年の命日でもある12月13日、
大先輩16名の追慕礼拝が行われたといいます。
その中で久保木夫人が明かされた、久保木会長の
聖和に関する証しを紹介します。
☆
久保木哲子先生の謝辞(要旨)
久保木哲子先生の謝辞(要旨)
「年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからず」。
花は毎年、美しく咲いて私たちを慰めてくれますが、
悲しいかな、人間というものは、
年々老い、病に倒れてまいります。
死をもってこの世を去っていくのです。
夫は1998年12月13日に聖和しましたが、
前日の夕方5時頃、私は病院でお世話をしていました。
とても元気で、「うちでお正月を
迎えられたらいいですね」などと言っていました。
その時、当時の会長がお見舞いに来て、
真のお父様から願われている内容について進捗状況を報告しました。
お父様は、その会長が
日本政界の重鎮にお会いして
伝えてほしいことがおありだったのです。
その期限が15日でした。
しかし、いかに手を尽くしても面会はかなわず、
「全ての道は閉ざされました」と言ったのです。
夫は「そうか。
私が早く霊界に駆け上らなければだめだなあ」
と独り言のように言いました。
その夜中、午前1時59分に、夫は聖和しました。
「(久保木)会長はなぜ、こんなに早く聖和したんだろう」
「もっと生きていてほしかった」と、どなたもおっしゃいますが、
私は、夫が最後の最後までお父様の願いを果たそうとし、
「霊界に行かなければだめだ」と悟ったので、
急いで霊界に駆け上った気がするのです。
夫が聖和したことを知ったその重鎮の方はとても驚かれ、
「久保木さんの奥さんに会おう」とおっしゃったようです。
14日に、私は会長と渉外担当者を伴ってお会いすることができました。
そして、お父様が「伝えなさい」と言われたことをお伝えしたのです。
追慕礼拝が最後になるということで、
皆さんの前でこの話を初めてさせていただきました。
毎年、このようにしていただいたことに感謝を申し上げます。
夫の聖和から20年たちましたが、夢のようで、
時のたつのが何と早いことかと驚きます。
本当にありがとうございました。
☆
久保木会長がもっと長く生きておられたら。。。
私自身もそのように思いましたし、
同僚や先輩たちからもそのような声を多く聞きました。
しかし、時というものがあるのだと思います。
久保木会長のような方は、
お父様の代身の立場を多く歴任していかれました。
お父様が贖罪のような立場になられたように、
日本のすべての責任を終われて、
霊界に旅立たれたような気もします。
日本にも義人が現れる時を迎えていると思います。
その背後には久保木会長の存在があることを
忘れてはならないと思うのです。
※ このブログは、
あくまでも個人の意志に基づいて、書いているものであり、
教会本部の意向とは直接関係がありません。
過去においても、今後においても
全ての責任は私自身に帰属するものであります。
さらに、当ブログの記事に対して
曲解や悪用ととれる引用、
無断転載はお断りいたします。
(善なる目的で使用することに関しては
その限りではありません)
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