2019年01月25日

今年は、考えられないような大きなことが起こる! 時を逃してはいけません



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2020年まで最後の一年であると、真のお母様は決意され、
今年の御聖誕日と基元節行事に向かって、
私たちをまとめ、準備をして下さっています。

私たちは、どのような姿勢で
何をなすべきでしょうか。

韓国、李基成(イ キソン)会長のみ言です。


時を逃してはいけません。

すべての機関が、お母様とひとつになって行動しなければなりません。
自分自身(私心)をなくして、お母様とひとつにならなければなりません。

世界の前に韓国が中心にならなければなりません。
摂理を進めるためには私心を持ってはいけません。
私的なことを中心に動いてはいけません。

公的に動けるように "死生決断" です。

サタンは、ご子女様や中心の先輩家庭を通してまでも
私たちを揺り動かそうとしました。
このことで日本宣教師が崩れるかと思ったのでしょうが
そうではありませんでした。

イエス様に侍った人たちは、始まりと終わりが違ってしまったと、
お母様が言われました。
私たちは始まりも終わりも同じでなければなりません。

地上で王の王として即位式をすることが重要でした。
苦労することに感謝することが、
本当の蕩減になり、役事がおきるのです。

2018年のクリスマスの祝賀行事は、
イエス様の恨を解いてあげるために開催しました。
2019年は今までにない驚くようなことがおきるでしょう。

責任を持ったら祝福と役事がおきるし、
責任を持たなかったら蕩減になります。

反対派に行ってしまった人たちが戻ってこられるように
お祈りしてあげてください。


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文責:ten1ko2



真のお母様と一つになられた李基成会長。
とても短いみ言、というか、
ポイントだけの抜粋なので、
一つ一つが凝縮されていて、
とても重要なみ言だと思います。

不可能、難しい、できない
そのようなことを言ってはいけない。
真のお母様も語られます。

与えられた責任分担においても、
私自身もそうですが、
困難なことがたくさんありますね。。。
自分の力のなさを感じることもあります。

個人的な証しになりますが、
かつて拉致監禁された時、
反対牧師と勉強する時に、
彼からもらった原理講論の裏表紙に
「必ず道がある。見つけ出しなさい」
そのようなお父様のみ言が書いてありました。

そのみ言を生命として、
絶望に思えるような環境を
お父様とともに乗り越えていくことができました。

真のお母様もご自身を追い込んでおられます。
今日も精誠を尽くしてあゆんでおられる
真のお母様を思って、歩んでいきます。





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posted by ten1ko2 at 08:15 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月24日

お父様は、聖和後をすでにご存じだった?! 《42年前のお父様のみ言》



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あなた達の目の前には
もう新しい天地が
開かれようとしている。
先生はその時間表を
はっきりと知っている
1976.9.20☆


来週の青年礼拝を依頼され、
資料を探していたら、
お父様の貴重なみ言を見つけました。


先生はどんなに苦労が絶えなくとも、
もっと苦労しようと思う。

もっと誤解され、もっと非難されようとも、
それに一言も文句を言わず全て受け、
たずさえて霊界へ行こう。
そしてひき続いて伝統を立てて行こう。

そうすればいずれは、我々のやっていること、
我々の真理は勝利を収めるようになる。

先生は分かっている。
だから先生は霊界にいても、地上にいても働き続ける。

先生が生きている間に、統一を成し遂げるかどうか
というのは、小さな問題である。
仕事は続くのである。
そして先生は霊界にいようが、地上にいようが、
その中心となっている。

先生の思想、先生の戦略、先生の伝統、先生の
心情は、問題なく、統一の世界を目指しておる。

先生が死んで霊界に行ったとしても、
いつでもあなた達に現れてあげる。

この地上に、同じ様に伝統を持って、
完全な神の国を造るまで、
これが先生のやっている一番重要な作戦だ。

先生のやっているのは、十年先のためではない
永遠を基準として作戦を立てているのだ。
先生が地上にいようが、霊界にいようが、
そんなことは問題ではない。

先生は、霊界の組織、霊界のシステム、
霊界の様子を熟知している。
あなた達には見えないけれど。

あなた達の目の前には
もう新しい天地が開かれようとしている。
先生はその時間表をはっきりと知っている。

必ず来る。
新しい世界、新しい生活が必ず開かれる。


1976年9月20日 ワシントン大会後ベルベディアに於けるみ言



実は、青年礼拝ではこのみ言は使わないのですが、
とても感銘を受けたので、
ブログで紹介させていただきました。

いま改めて、ワシントン大会の勝利は
どれほど大きかったのかと思います。

マディソン大会、ヤンキー大会に続いて、
1976年9月18日に開催されたワシントン大会。
歴史的な恨となっていた9月18日を、
みごと勝利に変えたお父様。
そして、その2日後にこのみ言を語られたのでした。

1976年10月4日、お父様は、『天勝日』を宣布されました。
ワシントン大会の勝利により、お父様の再臨はなくなった、
お父様の勝利基盤を通して、必ずみ旨が成就する条件が立った、
そのような歴史的な宣布でした。

ですから、お父様はそのことをご存知で、
「先生が生きている間に、統一を成し遂げるかどうか
というのは、小さな問題である」
そのように語られたのでしょう。

お父様の勝利圏は、
ある意味では、土台作りだと言えますね。
基礎がしっかりしていないと建築物も崩れてしまいます。
盤石な土台を立てて、大方の骨組みまで作られたのかもしれませんが、
家を建て、きれいに仕上げるのは、お母様の立場です。

「必ず来る。
 新しい世界、新しい生活が必ず開かれる」
これが確信のみ言であることが嬉しいですね。

お父様の作られた基礎、土台は見えなかったけれど、
しっかり作られていたのです。

お父様はすでに勝利をなさったのだ、
私たちは、お母様とともに天一国の家を建てているのだ、
そのことを改めて自覚していきたいと思うのです。





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2019年01月23日

神様の存在を知らせる生活! 愛天愛人愛国で何が大切か 《浅川先生の自叙伝講話》



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浅川先生の自叙伝書写講話。
今回は、「幸福を引き寄せる愛天愛人愛国生活」です。

先日紹介したリトルエンジェルスに関する
自叙伝のみ言からどうぞ。


天を愛し、人を愛し、国を愛する教育を
したいと思ったのです。

私は仙和(ソンファ)芸術学校を作り、
「愛天、愛人、愛国」という
とても大きな揮毫(きごう)を残しました。

すると、ある人が
「韓国固有の文化を世界に誇ると言いながら、
どうして愛国を最後にしたのか」と尋ねてきました。

私は「ある人が、天を愛し、人類を愛したなら、
その人はすでに、そのことによって国を愛したのです。
愛国はおのずと完成します」と答えました。
 (165ページ)


私の教育理念は、仙和芸術学校を建てたときと同じく、
天を愛し、人を愛し、
国のために働く人材を育てることです。

学校は、真理を教える聖所のような所です。
学校で教えるべき最も重要な真理は何でしょうか。

一つ目は、神様を知って、その存在を
現実の世界に顕現させることです。

二つ目は、人間存在の根源を知り、自分の責任を
果たし、世界の運命に責任を持つことです。

そして、三つ目は、人類の存在目的を悟り、
理想的な世界を建設することです。
 (294ページ)



人は誰でも幸福を求めて生きています。
しかし、ひらがなではたった四つの文字である
「しあわせ」は簡単にはつかめません。
ばんばひろふみの歌「SACHIKO」にこんな歌詞があります。

幸せを数えたら 片手にさえ余る
不幸せ数えたら 両手でも足りない

では、どうしたら幸福になることができるのでしょうか。
幸福になることこそが人生の目的であると言っても過言ではありません。

幸福とは幸福な生活を送ることと言えます。
日常生活の中に幸福があるのです。
特に家庭生活に、です。

では、幸福になる家庭生活とは、どのような生活なのでしょうか。


ところで、日常生活は四つの要素によって成り立っています。

まず、「起きる」です。
生活は起きることから始まります。
「起きる」がなければ、その人は永眠している人です。

幸福になる起き方があるのです。
また、起き方が不幸な人と、幸福な人がいます。

ある方は、起きるときに、体を起こすだけで涙で感謝するといいます。
なぜなら、全身にガンが転移していて、
あまりの激痛で起きることができないことがあったからです。
その激痛に耐えなければ体を起こすことができなかったのです。

この方にとっては、普通に起きることだけで感謝なのです。
一般の人は、当たり前のように起きます。
それがありがたいこととは思いません。
でも、その当たり前が、かけがえのない人もいるのです。


次に、「家から出る」があります。
生活するために家を出ます。

出たまま帰らなければ、生活になりません。
家出と出家は、文字を逆にしただけですが、理由が家庭不和であれ、
宗教的であれ、家庭の日常生活を離脱したことに変わりありません。

夫は仕事のために、子供は学校へ、妻も買い物のために、家を出ます。
この家の出方にも幸福を引き寄せる出方があるのです。


そして三番目に、「家に帰る」があります。
家庭生活とは家に帰ることです。
幸福を引き寄せる帰り方があるのです。

最後に、「寝る」があります。
そのまま起きなければ、永眠となります。
起きることが前提となります。
幸福を引き寄せる寝方があるのです。

このように、生活とは、起きる、家を出る、家に帰る、寝る、
の四つの要素によって成り立っています。
幸運を引き寄せる、起き方、家からの出方、帰り方、そして寝方があるのです。


ところで、幸福になるためには、人のみを愛すればよいと考えがちです。

例えば、妻として幸福になるためには、ひたすら夫のみを愛すればよいと考えます。
母親として幸福になるためには子供だけを愛すればよいと考えます。
では、家族が家族だけを愛して、本当の幸福になれるのでしょうか。

もし、天の理が、人が人のみを愛して
幸福になれるようになっているなら、それは可能でしょう。
しかし現実には、人のみを愛そうとして、
結果的に不幸となっている場合が多いのです。


文鮮明先生(ムンソンミョン)は、天を愛し、人を愛し、
国、自然万物を愛さなければ、本当の幸福になれない、と教示しています。
愛天愛人愛国です。

愛する対象で最も大切にしなければならないのが神様だと言われます。
まず、命の根源であられる創造主、神様、天の父母を愛することなのです。

神様は人類の親です。
人が生んでくれた親をないがしろにすれば、本当の幸福は得られません。
まして、天地の創造者、神様を愛するのは当然の道理なのです。
私たちは天によって生かされているのです。

次に、人を愛することです。
文鮮明先生にとって、愛する人は、家族はもちろんですが、人類を意味しています。
人類を家族として愛してこそ幸福になれると言われるのです。

では、天を愛して、人を愛すれば、幸福になれそうですが、
本当の幸福となるためには、国を愛さなければなりません。

国は三つの要素で構成されています。
主権、国民、国土です。

家庭は国家の縮小体ですから、国土は住居と言えます。
それゆえ、愛天愛人愛国とは、家庭生活でいえば、
天を愛し、家族と隣人を愛し、住居と自然万物を愛することになります。

家庭生活で最も重要なことは、天を愛する、ということです。
では天を愛する家庭生活とはどのような生活なのでしょうか。

浅川 勇男・著
(光言社・刊『心の書写〜文鮮明師自叙伝に学ぶ〜』より)
【第四章】愛天愛人愛国



『愛天愛人愛国』
『愛人』という言葉だけ見ると、
日本人の私たちからすると違和感を感じます。
また、『愛国』というのも、
指摘された方と同じように、
最後に持ってくるのはどうかと思いましたが、
お父様が『国土・万物』と言われて納得しますね。。。

一般の人から見るとどう思うかわかりませんが、
『愛天愛人愛国』という言葉は、
私たちには馴染みの言葉になってしまっています。
さらに言うならば、創造原理の
三大祝福の言葉に通じるのかな、と思います。

それにしても、天を愛する家庭生活とは何か、
皆様も興味がわいたと思います。
次回のお楽しみに。。。。





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posted by ten1ko2 at 08:05 | Comment(1) | 自叙伝書写(浅川先生) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする